起/第二話:旅は道連れ、世は三倍の見返りっ――
とりあえず、現状を受け入れることにした。
いや、というかね、受け入れたと言うか、諦めたって言ったほうが正しいか。
もうね、学力が胴体擦るどころか時々墜落しちゃってる超低空飛行な我が頭脳の処理能力限界を突破してしまったのさ。
あれだね、もうどうにでもなりやがれコンチクショウめ。誰か酒もってこいっ! って感じ。
注意っ! いちおう、飲酒は二十歳になってから――でもまぁ、修学旅行でチューハイとかグビグビ飲みまくっている人達いるけどね。ていうか、なんでこの年齢(現役の高校生)で酔っ払いは意味もなく絡んできてウザッタイっていう知識を得ているんだろう。オレと早寝の友人(A)以外の、同室の奴らが飲んだクレ野郎どもだったからっていうのと、教員諸君も焼肉をお供に出来上がっていたっていうのが、原因なのは間違いないけどね。てか、修学旅行で飲むなよ教師達……。
ていう、ちっさい現実逃避はダメですか?
……そうですか。
でもね、修学旅行云々は実話だよ?
……はい。
じゃあ、現実を見ますよ。
ええ、見ますよ、見ればようござんしょ?
じゃあ、ハイ始まりはじまりぃ――
――あまりの意味不明さに耐えかねたオレのシンプルな脳が、
「どうなってるんだぁぁぁぁああああぁぁぁぁああああっ!」
爆発した。
「ええっと、いまさっきまで行き倒れていて、私が起こして、私があげたおむすび食べて、絶叫したんですよ?」
ものすごく平静な声音で言ってくれるのは、紫色が主色の民族衣装みたいな服を着て、左手に棒のような物を握り、明後日の方向へ目線をやっている、少しバサついた黒髪を肩口の辺りでテキトウにぶった切った、女のような顔をした人物だった――ていうか、女の人だと思います。
「ええ、そうです。そうなんですけれどもっ! アナタに起こされて、おむすび恵んでもらってるあたりからして、どうなってるんだぁっ! っていう心情なんです、いまの自分」
「アナタじゃありません。イチです」
「はいぃ?」
「だ・か・ら、私の名前です。私はアナタなんて名前じゃありません。イチです。イ・チ」
明後日の方向をムッと睨みつつ、眉間に小さなシワを寄せ、若干ほっぺをぷくっと膨らませるアナタさん――改め、“壱/いち”さん。
んん〜このお人は“我が道を往く”タイプのお人なのかな。まったく、オレの話を聞いていないように思えるんだ、ちょっと前から。
「わかりました。アナタさん改め、壱さんですね。わかりました。わかりましたから、オレの話を聞いていただけないでしょうか?」
「ダメです」
ええぇー、まさかの拒否ですかっ。
押したら『俺の話を聞けっ!』って代わりに叫んでくれるボタンが欲しい。とっても欲しい。ボタン連打して『俺の話を聞けっ!』ってリズミカルに我が心情を代弁して欲しい。いまこの瞬間に欲しい。どなたかプリーズッ!
というか普通、ちょろっとでも、こう、ねぇ、こんな状況のと――
「貴方の名前を聞いていません」
――き…………思考すらぶった切るのですか。
でも、なるほどそういえば名乗っていなかったですね。
「オレは、オレの名前は佐刀です、磨磨佐刀」
「え? あのもう一度いいですか」
ああ、口の中が血と砂でジャリジャリなもんで、発音悪くなって聴き取りにくかったですか。
「磨磨佐刀です」
今度は舌で口内舐め回して洗浄したから発音バッチリだったでしょう。
「え?」
壱さん若そうに見えて、じつはお年を召しているんでしょうかねぇっ?
「と・ぎ・ま――さ・と・う――で・すっ!」
今度は、今度は強調したよ。とっても強調して言った。力んだオカゲで口の中いっぱいに鉄っぽい血の味が充満してるもん。
「……え?」
じつは訊ねておいて知る気ないでしょうオレの名前、と心の隅で思った刹那――
「……ああ」
と壱さん、やっと聴き取ってくださった。
ああもう、ジラシプレイみたいなことはやめてくださよ。
「“トウデスッ!”さんですか」
なぁーんでソコをチョイスしちゃったんですか。
「“トウデスッ!”って……」
ずいぶん斬新な聴き取り方しますねっ!
いや、世界は広いですから(現に意味不明な場所にオレ居るし)、探せばそんなネーミングの人も居るでしょう。あるいは、さっき言っていたクレベル王国でしたっけ? には名前に小さい『つ』や『!』を標準装備している人も居るでしょうよ。
でも、
「最後の『ですっ!』は、どうがんばっても名前じゃないでしょう」
「そうなのですか? こう、終わりが『っ!』だと、元気のない時でも名前を呼ぶときに『っ!』て空元気振り絞った感じになって、とってもイイと思いますけど」
空元気じゃあ、とってもダメでしょう。というか名前呼ばれるたびに空元気振り絞らせてるみたいでイヤですよ。元気ない人を強制労働させるみたいな名前は。
「じゃなくて、『ですっ!』は名前じゃありませんから、呼ぶときはくっ付けないでくださいよ」
「はい、すみません――とうさん」
「父さんって、オレは壱さんの親父さんじゃありませんよ」
「なに言ってるんですか? 当たり前じゃないですか。トウさんが、私の父さんなわけがありません……」
「だから、そう言って――」
「……私の父さんはもうこの世に居ませんから」
ええぇ! なんでこの場面でカミングアウトッ?
処理する難易度が超高い繊細な事柄を、なぜ唐突に言われるのでしょうかねっ。
「――あの、その、ええっと……」
我がボキャブラリーは残念なことに乏しく、二の句が継げずに言いよどんでしまう。
「なんですか? トウさん」
一瞬前のカミングアウトなんぞ無かったかのような気さくさで、壱さんは小首を傾げる。
よし、話題を変えよう。このタイミングを逃すべからず。
というか、その呼び名は固定なのでしょうか。もう変更できないのでしょうか?
そして何より、
「“と・ぎ・ま――さ・”の部分は、なぜ無かったことになってるんでしょう」
とても切実な疑問なのです。なんたって自分の名前ですからね。
「だって、呼び難いじゃないですか」
おっ、おう。壱さん、しれっとスゴイこと言った。いまスゴイこと言ったよ。なんですか呼び難いってっ!
「普通、名前は“二音/二文字”ですよ。トウさんの名前が長すぎます。王族さんとかですか? それともムツゴロウ王国ではそれが普通なのでしょうか? すみません、遠い国の風習は知らないので」
に、“二音/二文字”までの名前が普通って、ここ何所だよ――て、ああ……オレの知らぬ所だったっけか。我が現在位置は、どーこーでーすーかーなのでしたね。
てか、さっきの“トウデスッ!”っていう無茶な呼び方は“二音/二文字”以上だったと思うのですけれど……気にしたら負けですか?
……そうですか。
「すみません。オレがこっちの風習をしらなかっただけですね。オレ、王族じゃないですし、ムツゴロウ王国もたぶん“二音/二文字”以上が普通でしょうけれど――強いてあの王国の風習をいえば、“全身全霊でディープなまでに動物と語り合えっ!”ってのだと思います」
気持ちの切り替えって大事だよねっ! 情け容赦なく色々と起こりやがる現実を生き残るためにはっ!
「スゴイ王国なのですねぇ、ムツゴロウ王国という所は」
おおぉ〜と感心しきりな壱さん。確かにスゴイですけど、実際にスゴイのは動物が逃げ腰になるほどスキンシップがディープな国王様だけだと思いますよ。
ともあれ、
「なにはどうしても、オレの名前は“二音/二文字”に縮小されるわけか。トウ、とう、刀、ねぇ……」
どう頑張ってもオレに拒否権は無さそうだし……、なんだかなぁ……。
ダンプにぶっ飛ばされて、状況がよくわからないままに改名させられて、
「我ながらエキサイティングな人生に足を突っ込んじゃったなぁ」
深い深い深淵より深い溜め息が、血の味でガビガビな口から漏れてしまっても、しかたないじゃないですか。
なんかノリと勢いで改名させられてますけど、こんな現実――どうやって受け止めろと? 勘弁してほしいですよ。心身不安定過ぎて、なんかずっと中途半端な丁寧語で喋ってるじゃないですか、オレ。いまさら気がつきましたよ。
「はぁ……」
深い深い深淵より深い溜め息が、血の味でガビガビな口から漏れてしまっ――
「さて、そろそろ行きましょうか刀さんっ!」
すくっと元気に姿勢良く起立すると、壱さんはほがらかな――しかし視線の合わない表情をこちらに向けて、「さあさあ!」と出発をうながしてくる。
壱さん、意外と強引なんですね。初対面では、おしとやかな大和撫子に見えたんだけどなぁ……。どうやらオレの眼は節穴だったらしい。
「行くって、どこへですか?」
正直、自分の現在位置が不明ないま、あまり動きたくないのですが。
「この先にある――ハズ――の宿場町ですよ」
言って、壱さんは問答無用で歩みを開始する。
「なんですか、ハズって、歯切れ悪いですね」
そんなオレの言葉に、彼女は立ち止まり、
「だって、しょうがないじゃないですか。教えてもらった道をちゃんと進んでいるかは、すれ違う人に聞かないとわかんないんですもん。それにその答えが正しいという保証もないですし……」
眉間にシワを寄せ、ほっぺをぷくっと膨らませる。不満がある時にほっぺをぷくってさせるのは壱さんの癖なのだろうか? ちょっとかわいい……て、そうじゃなくて――
「あの、壱さん」
「なんですか」
「あの、その、やっぱり、その、あの……………………………………………………………………眼が?」
「タメが長いですよ。それに、わかっていて訊いているでしょう、刀さん」
壱さんは呆れたふうに眉尻を下げる。
「え、はい、すみません」
「いえいえ、謝ることじゃないですよ。むしろ好都合です」
にっこり、というよりニンマリって感じの笑みを、壱さんはその口元に浮かべた。
「なんですか、好都合って」
オレには好ましくない都合に思えて、気が気でないのですが。
「旅は道連れ、世は三倍の見返りっていうじゃないですか。米一粒の恩は一生の恩とっ!」
それはココでは常識なんでしょうか。それとも壱さん限定で常識なのでしょうか。ていうか米一粒 = オレの一生だと、オレはいったい何千回の一生を捧げなくちゃいけないんだろう。
「刀さんには、杖の代わりにでもなってもらいましょうか。あ、安心してください、ちゃんと食べ物は支給しますから。刀さん行き倒れていたんですもの、お金とかはないでしょうし、刀さんにとっても損な話ではないでしょう?」
言うと、壱さんは杖で足元を確認しながらゆっくり一歩ずつ歩んでいく。
そりゃあ、頼れるアテのない我が現状だもの、壱さんのご提案は魅力的ではあるけれど、
「壱さん、女性ですよね?」
いちおう、訊いてみる。
「当たり前じゃないですか。なんですか、私のことを男だと思ってのですか? あ、それともイケナイことでも?」
そう、イケナイこと、それです――って言っても、べつにオレがなにぞするぞというわけではなく、
「いちおう言っておきますけど、オレは男ですよ? なにかするつもりなんてミジンコほどもないですけど、危ないかも、とか思わないんですか?」
壱さんはスッと立ち止まると、こちらを向いて、
「いやぁぁぁぁああああ――」
自らの両腕で自身を護るように抱きしめた。
イマサラですか。
べつにもう、驚きとか、戸惑いとか、狼狽とか、無いですよ。疲れてきてますもの私――じゃなくて、オレ。ああ、一人称が変化し始めるとは……ちょっと危ないかなぁ……。
「――なんてね。冗談ですよ、じょーだん」
テヘッと小憎たらしくも素敵な笑みを顔面に浮かべて壱さん言うけれど、もし今の一瞬を通行人さんに目撃されていたら、確実にオレは変態さん達のコミュニティーへ仲間入りのでしたよ。無実の罪で我が心を殺す気ですか、アナタはっ!
「もしも刀さんが鬼畜変態畜生だったら、私は容赦なく奥の手を使用しますからね」
なんですか、奥の手って。
というか、なぜに口の端を薄く吊り上げて言うんですかね。“今宵の琥鉄は血を欲しておる”ってセリフが似合いそうで怖気がしますよ。
じつは、じつは身が危ないのはオレだったりするんじゃなかろうか。
ああ、なんか背筋がゾクゾクしてきた。
「さあ、行きましょうよ刀さん。陽が暮れてしまったら野宿ですよ?」
そう言うと壱さんは歩みだす。
が、これはどうなんだろう。
オレは一緒に行ったほうかいいのだろうか?
てか、一緒に行って大丈夫なのだろうか?
どうする。
どうすんの。
どうすんだ――オレっ!
「あの、何はともあれ――、助けてくれてありがとうございました」
いまさらながら、お礼を言うことにした。