承/第十六話:ムシムシ尽くし(其の参)
「まだ夕食が食べられないなんて……しょんぼりです」
ためらいもなく衣服を脱ぎながら、壱さんは深々と溜め息を吐き捨てて、ガックリ肩を落とす。
「どんだけ夕食が楽しみなんですか……」
あきれつつも、オレは目のやりばに困った。
あまりにも堂々と素っ裸になりおる壱さんを前にすると、むしろこっちが恥ずかしくなってくるのはなんでだろう。
「ていうか、なんで脱いでるんですかっ!」
残念なことに色々と感覚がマヒしてきているのか、指摘するのが遅れてしまった。
「なんでって、お風呂に入るからですよ」
当然、と壱さんは隠す物の無いネイキッドな胸をツンと突き出す。
お風呂に入るから、というのはわかりましたけれども、どうしてアナタはただでさえ自己主張の強い二つのお山を、いまこの場でさらけだしてくれるんでしょうかねっ?
「脱ぐならお風呂場で脱いでくださいよ」
まったく、困ったお人だよね――常識という心の逃げ場になりつつあるバツへ、苦笑の同意を求めて視線をやると、
「……なっ」
そこには、エプロンを外して上着を脱ぎつつある“彼”の姿があった。
我が心のよりどころ、最後のヘイブン(Haven/避難所)が、衣擦れの音と共に崩壊し露出してゆく……。
そんな嘆きとも似た我が眼差しに気がついたバツは、
「あ、うぅ……」
ギュッと身を縮めて、肌の露出面積を最小限にしようと最善を尽くし、
「そ、そんなに、み見ないでよぅ」
羞恥で真っ赤に染まった顔をうつむきかげんに、小動物のごとき潤んだ瞳で抗議してくる。
「え? あ、ご、ゴメンッ!」
とっさに、そっぽを向く。なんだろう、この強烈にマイ・ハートを責め立てる“してはならぬ事をやらかしてしまった”ような罪悪感は――
――って! 男同士でなにやってるんだろう。
と気づけども、だからといってバツの生着替えをまじまじと眺める意図も意味もない。
「というか、なぜにバツまで」
脱いでるんだ……。
あれか、悪い例が間近に居るから無垢がゆえに影響を受けてしまったのか。
なんてことをしてくれたんだ、と全裸な壱さんに抗議の睨みをやる。
がっ! 不覚にも、改めて見るそのバディの造形美に生唾をゴックンしてしまう。
鴉の濡れ羽のごとき黒髪が自由奔放に跳ね踊る、華奢な肩口。鎖骨から絶妙なラインを描いて、奇跡的とも言える素晴らしい形状にぷるんぷるるんと張り出たお胸。思わず指を滑らせたくなる優雅な曲線美の、腰のくびれ。ぷりぷりだがキュッと引き締まったお尻。ヒョウやチーターを連想させる躍動的でしなやかな肢体。上質な絹のごときすべやかな肌に、刻まれた無数の傷痕すら美しさをひきたてる演出のようである。
もしもこの場に芸術家が居たら、発狂の勢いで彼女をモチーフにしたがるだろう。
黙っていれば――つつましやかにしていれば、壱さんはとても……
……はっ! なにを魅了されてるんだ自分っ!
不甲斐なさに形容しがたく身悶える。そんなオレに、
「お、お風呂に入るときは、ゆ“ゆあみぎ”をき着ないとダメななんだよう」
バツは脱衣の理由を教えてくれる。
「ゆあみぎって……湯浴み着?」
見れば、バツは滝にうたれる修行僧みたいな着物姿に衣装チェンジしていた。
なぜ入浴するのに衣類を着るのかよくわからない、というか先だって宿場町のお風呂屋さんではこんなの着なかったハズだが?
疑問はぬぐいきれないけれど、“郷に入らば郷に従え”と言うし、なにより真っ裸で突っ立てる壱さんをこのまま放置するわけにいかないので、面倒だが彼女に“湯浴み着”を着せて、自分も着替えることにする。
オレに用意されていた“湯浴み着”は、我が祖父がご愛用しているステテコみたいなモノだった。お祭りで御神輿を担ぐ人が、股引の代わりに着用していたりするやつだ。
これが男性用の“湯浴み着”なのだろう。
じゃあどうして長い黒髪をお団子結びにしているバツは、壱さんと同じ形状の女性用“湯浴み着”を着ているのか――というのは、気にしてはいけない。
これでいいのだ。
色んな意味で。