承/第十弐話:まんじゅう怖い(前)
「なにをしているんですか?」
折り紙に興じていたらば、不意に背後から声をかけられた。
「折り紙ですよ」
オレは応え、いつの間にか目を覚まして明後日の方角を見ながら訊ねてきた壱さんの手に、雑だがなかなか悪くないデキの“折り鶴”を乗っける。
彼女は探るように慎重に指先の触覚を駆使して“折り鶴”の形状を読み取り、
「小鳥――のような形状が紙で再現されているようですが……、これが折り紙というモノなのですか?」
「そうです。それが折り紙というものです」
というか、それ以外の答えをオレはしらない。
「知的な遊びのようですね。完成形へ到る形状を逆算しつつ四方形の紙を折っていくとは」
壱さんは言いながら、オレの折った“折り鶴”を分解してゆく。
「なかなかどうして、私の知的好奇心という欲求をくすぐりますね。これは」
分解しきられ折り目のついた四方形の紙と成り果てた“折り鶴”を、再び折り、元の姿へ復元しながら、壱さんは楽しんでいるような笑みを浮かべる。
というわけで、どうしてか、オレ、バツ、壱さん、の三人で折り紙をするという図がうまれた。
「バツぅ〜、ちょっと手伝ってもらえる?」
しばらくすると、教わった蒸しまんじゅうを試作中のツミさんが調理助手を呼びに現れた。
「あ、う、うん。わかったよ、お姉ちゃん」
バツは急いで作り途中な“折り鶴”を完成させると、ツミさんの背を追った。名残惜しそうな眼差しがだいぶ尾を引いていたけれど。
結局、壱さんと二人っきりになってしまった。だからどいしたというわけではないのだが、なんとなく、黙々と紙を折る壱さんの手元をに視線をやる。
「壱さんは、なにを折ってるんですか?」
ものすごく真剣そうなので、興味がわく。
「んー」
手元は機敏に動くも、言葉は口の中で怠惰なようだ。けっこうなタイムラグの後に、壱さんは口を動かす。
「あきました」
残念なことに、やっと出た言葉は、オレの問いかけに対するお答えではなかった。
がしかし、
「あきるの早過ぎませんか」
黙々と折り紙しているから楽しんでいただけているものと思っていたのに。
「だって――」
壱さんは面白くなさそうに口を尖らせ、あるいはすねているようにも思える態度で、
「――っやっぱりいいです」
何か言葉をグビッと飲み込んだ。
「それよりもっ」
楽しいこと思いついちゃったっ、というようにパチンと拍手を打って、
「男と女が部屋に二人きりになってしまいましたけど……刀さん、私にいったい何をするおつもりですか?」
壱さんは訊いてくるが、
「オレが何かする前提で言われても困るんですけど」
正直、まったく、なにも、オレは壱さんになにぞするなんてこと考えてない。
「またまたぁー。魅惑のわがままボディーを前にして、抑えきれない溢るる欲望がワナワナと湧き上がってきているのでしょう?」
壱さんは自分の身体を魅せつけるように撫でながら小首を傾げる。
ここでオレは考えるわけだ。
いままでの壱さんから推測するに、ここで正直に欲望なんぞ溢れてきていないと言ったら、問答無用で鉄拳制裁が執行されることだろう。(オレ欲望溢れない)=(壱さんは魅惑のわがままボディーではない)、ということに彼女の中ではなってしまうのだろうから。
しかし待て。
ここで、オレ欲望溢れてきてます、と言ったらどうなるか?
たぶん、恐らく、絶対に、「なんてイヤラシイっ! エロエロ魔人さんに成り果てる前に私が成敗してくれます」みたいな意味のわからないこと言って、武力を執行してくるに違いない。
どちらを選択しても、オレは何がしかの痛みを負わなければならないのか……。
この危機を回避する為に、オレはいったいどうしたらいい。
どうする。
どうすんの。
どうすんだ――オレっ!
「散歩にでも行きませんか?」
無理矢理にでも話題を変えるしか、危機回避する方法は考えつかなかった。どうせ真正面から問答しても、オレは確実に大なり小なりの痛い思いをするだろうし。
「お散歩……ですか?」
幸いにして、壱さんは話題変更に乗っかってきてくれた。
ちなみに、散歩それ自体に特段の意味はない。苦し紛れに口から出てきた単語がそれだったというだけだ。
「そうです、お散歩です。夕食の前に適度な運動をしておけば、さらに美味しくご飯を食べられるでしょうし――ね、だから行きましょうよ散歩」
自分でもなんか必死だなぁと思うが、
「しかたありませんね。刀さんがそんなに私とお散歩をしたいというのなら、行ってあげてもいいですよ」
駄々っ子に渋々付き合ってあげる、みたいな態度で壱さんは承諾してくれる。必死感がイイ方向に解釈されてよかった。がしかし、釈然としない何かが胸の内でモヤモヤとするのだが、この気持ちはなんだろう。
……気にしたら負けなのかな。
なんだかなぁと思いつつ、これから行く窓の外へと視線を転じてみる。
そこには、黄昏色の光が満ちていた。
村に到着したときの空色からして昼は過ぎているだろうと思っていたが、折り紙に意志を注いで結構な時間を喰っていたらしい。
「さあ早く行きましょうよ。誘っておきながらモタつくなんて、人としてダメダメさんですよっ」
外に意識をやっていた我が手首をグイっと掴み、壱さんは急かしてくる。
「壱さん……」
「なんですか?」
「これからは迅速に動くことを誓いますから、急かすフリして手首を握り潰そうとしないでいただきたい」
結局、オレは何を選択しても痛い思いをするという宿命の下にいるらしい。
辺りに広がる稲穂を、ときおり波打たせるそよ風を感じつつ、
「なんだかなぁ……」
と見上げた夕刻の空に、オレは一番星を発見した。
今現在、オレは壱さんのお手を引きつつ、村へと至るまでに通った畦道を歩いている。
オレとしては村の中を一周する程度でよかったのだが、祭りの熱気が冷めぬ喧騒の空気を感じた途端、「もう少し静かなお散歩がしたいです」と壱さんがほっぺをぷくっと膨らませてご機嫌斜めなご様子だったので、いたしかたなく畦道へと歩みを進めたのだ。
「騒がし過ぎる所は好きじゃないんです」
何を喋るでもなく、畦道の中間ほどまで歩んだところで、ぽつりと壱さんが言った。
「音が聴こえ過ぎて、怖いのです」
怖い、とはずいぶんとまた似合わない言葉を口にしますね。
「刀さんは私をなんだと思っているんですか? 怖いものくらいありますよ」
ぷっと頬を膨らませて、すねたように口を尖らせたのち、
「それに魅力的な女性には、か弱い一面も必要でしょう?」
壱さんはおどけて言う。
そりゃあまあ、ひとつくらいは怖いものがあって当然だと思いますけど、
「壱さんが怖いって言うと、なぜか“まんじゅう怖い”を思い出してしまうから不思議です」
というのを聞くや、壱さんはピタリと歩みを止めてグイッと我が手を引っ張り、
「おまんじゅうは怖くありませんっ! むしろ大好きですっ!」
ものすごく真剣に宣言した。
畦道の中心で、まんじゅうが好きと叫ぶ。
某感動ストーリーのように涙は誘わないけれども、まんじゅう屋さんは泣かない程度に喜ぶだろうから、
「オレじゃあなくて、ロエさんに言ってあげれば喜ぶと思いますよ」
まあ、あのお人ならば大抵のことに天使のごとき微笑をもって応えてくれるのだろうけれど。
「ちなみに“まんじゅう怖い”は、読んで字の如くな意味じゃないですよ」
「じゃあどんな意味があるのですか?」
「意味というか……、有名な落語のひとつなんですけど」
「ら、くご……? なんですか、“らくご”って」
ポカンと口を開けて、しかしどこか興味津々というように、壱さんはオレからの返答を「な・ん・で・す・かっ」とリズミカルに腕をぶん回しながら問うてくる。
しまった。またも問われて回答に困ることを口走ってしまった。
オレも正確に説明できるほど落語をしっているわけではない。が、なにか答えないと、壱さんにオレの腕がぶん回し千切られてしまうピンチなわけで。
「えっと、落語っていうのは……」
とりあえず知っていることを聞かせておこう。
「オレの世界にある話芸のひとつでして。筋のある滑稽なお話を身振り手振りを加えて語って、最後にオチをつけて聞く人に楽しんでもらう芸――だったハズです、たしか」
ものすごくザックリしているが、間違ってはいないと思う。正しいという自信はないけれども。
「話芸、ですか……」
口の中で言葉を飴玉のようにころがしたのち、「ふーん」となにかとりあえずわかってくれたようだ。
「“まんじゅう怖い”っていうのは、“らくご”のお話のひとつである、と?」
壱さんセコイけど理解力があってくれてよかった。
「どんなお話なんですか?」
やっぱり興味持ちますか。
しかし残念なことに、スラスラ語れるほど熟知していないのです。けれど、返答しないという選択肢が、オレに用意されているわけもなく――
「えーっとですね」
一番星を見上げながら、埋没した“まんじゅう怖い”の記憶を発掘することにいたしましょう。
閑話:《まんじゅうこわい――の説明っぽい妄想》
「ヒマだねぇ」
お茶を淹れなおしながら、艶やかに着物を着崩す、頼れるツミ姐さんが言った。
「ボ、ボクはこういう静かなの、す好きだよう」
淹れなおされたお茶をお盆に乗っけて集まった面々の前へ配りながら、前掛けが妙に似合う女の子と勘違いしてしまう、健気なバツ坊が微笑む。
「まあ悪くはないけど、たしかにヒマといえばヒマですよね」
オレは礼を言いつつ出された薄っいお茶を努めて美味そうにすする。ツミ姐さんは頼もしいし憧れるけれども、どうして茶の淹れ方がなっていないのが、玉にキズだなぁと思う。ま、完璧過ぎるのもよくないから、ちょうどいいのかもしれないけれど。
「じゃあ、嫌いなモノや怖いモノを言いあいませんか」
拳がスッポリと入ってしまいそうな大アクビをかましていた遊び人の壱さんが、怠惰に思いつきを口にする。
「嫌いなモノ、怖いモノ、ねぇ……」
あまりにもヒマなのか、煙管をくゆらせながらツミ姐さんが遊び人な壱さんの話に乗っかった。
「あたしゃぁ、カミナリが怖いねぇ。理由なんてわかりゃあしないんだよ。ただ、アレが轟くと背筋がゾクッとしてねぇ」
とツミ姐さんは自らを抱くように身震いする。
「こ、このまえ台所に居た、ゴ、ゴ、ゴキブリがボクは、怖いよう。か、顔に向かって飛んできた時は、い、息が止まりそうだったもの」
ギュッとお盆を抱いてバツ坊は顔をしかめた。
「オレもゴキブリが顔に向かってきたらイヤだなぁ」
なんでか、なんてわからない。ただ理由なんて知らずとも全身全霊が拒絶するのだから、好ましからざるモノであることに違いない。
「なんですか皆さん、情けない」
言いだしっぺな壱さんが、ずいぶんとふんぞり返ったことを言う。
「カミナリなんて大音量の太鼓だと思えば、お祭り気分で楽しいじゃないですか。それになんです、男の子がそろってゴキブリが怖いだなんて。あんなモノ、たた脂ぎってるだけの羽虫じゃないですか。恐れているヒマがあったら握り潰してしまいなさい」
せめて叩き潰すにしてくださいませんかね。どうやらオレにはゴキブリを握り潰すなんて高等なマネは、一生かかってもできそうにありませんし。
「というか偉そうに言いますけど、壱さんにだってひとつくらいあるでしょ、怖いモノ」
「私にあるわけないでしょう。物事を恐れていたら賭け事なんてやってられません」
遊び人らしい言い回しではあるが、
「本当ですか?」
はぐらかされているようにしか思えない。
「当然です」
壱さんは、胸を張って鼻を鳴らすが、
「本当に本当に本当ですか?」
信じられない。というか、むしろ疑わしい。
「ないものはないのです」
しかたがないでしょう? とシレッとした表情で言ってのけられると、こっちとしては面白くない。だから、日が暮れるんじゃないかというくらいにひつこく問い詰めた。
すると、
「……じつは、あります」
やっと折れた壱さんは、「ココだけの話しにしてくださいね」と念を押す。
「わかりました。それで、なんなんですか?」
オレはやっと掴みかけた尻尾を放すまいと、慎重に答えをうながした。
それでも壱さんは言うか言うまいかさんざん口を開閉させ、そしてやっと、神妙な顔つきで告白する。
「おまんじゅう、です」
「……はい?」
「ですから、おまんじゅうです」
言うと、壱さんは両の手で顔をおおいかくし、
「おまんじゅうの話をしたら、気分が悪くなってしまいました……」
這いずるように隣の部屋へ移動すると、
「気分が悪いので、寝させてもらいますよ」
頭までスッポリと布団にもぐってしまった。
「ど、どうしよう」
お茶請けを用意していたバツ坊が、あわあわと動揺する。
「お、お茶菓子、おまんじゅうだよう」
バツ坊は素直な優良お子様だから、その反応は間違っていない。
だが、オレは壱さんの弱点たりうるものを知って、
「日ごろの恨み晴らしに、まんじゅう攻め」
思わずニタリとしてしまうわけだ。
願わくばバツ坊がオレみたくなりませんように。
オレは人数分のまんじゅうが乗ったお盆から二つを取ると、それを壱さんがもぐった布団の中へと放り込んだ。
すると、
「怖い、怖い――怖いから食べてしまいましょう」
もぞもぞと布団の中身はうごめき、
「ああ、美味し過ぎて、怖い怖い」
なっ! 喰いおったっ!
ていうか、騙されたっ!
自分のまんじゅうまで喰われて冷静ではいられなくなったオレは、力いっぱいに布団を剥ぎ取り、
「ふざけないでくださいよっ!」
美味そうに口のまわりをペロリと舐める、してやったり顔な壱さんに、オレはありったけの憤怒をぶん投げた。
「本当に怖いものはなんなんですかっ!」
我が全力投球を受け止めた壱さんは、しかし悪びれた風もなく、
「そうですね……」
ちょっと考えたのち、シレッと神妙な表情で言いおった。
「今度は、濃いお茶が怖いです」
閑話休題――
「――ていう話です」
自分解釈な“まんじゅう怖い”を聞かせてみたが、しかしコレが正しいのか、あいかわらず自信はない。
「へぇ、高度な頭脳戦術ですね。尊敬に値しますよ」
この話に感心するヒトが居るとは、激しく予想外でした。
なんかもう、溜め息すらでない。
語る事からよくも悪くも気が散って、辺りを気にする余裕ができた。
「日が落ちるまで、もう秒読みですねぇ」
話して聞かせることに集中していたから気に留めていなかったが、辺りはもう夜の一歩手前である。
「帰りませんか?」
オレは壱さんに帰還することを提案してみた。
すると、どうしてだろう――
「――ガゥァッ!」
いきなり振り上げた左拳でアゴを殴り上げられ、そのままの勢いで地べたに倒された。
そして息の根を止めるかのごとく、倒れたオレの上に壱さんはのしかかってくる。
「い、いきなり何をするんですかっ! アナタはっ!」
近距離にある壱さんの顔面へ、ツバが飛ぶのも知ったこっちゃないと、オレは抗議の声を荒げた。
「シっ! 静かにしてください」
なぜオレが怒られるっ?
納得いかないので、再度、抗議の声をあげようとしたら、それにかぶせて、周囲を気にしている風な真顔の壱さんが言ってきた。
「殺気を感じました」
オレは殺意を感じましたよ、アナタからっ!
ああ、怖い怖い。
「あら、それはつまり、話の流れから察するに、私のことが大好きってことですか?」
小声で嬉しげに言ってくれるが、なんですかそのポジティブというより自分中心の思考は。
ていうかそんなのはどうでもいい。オレは三度目の抗議の声をあげようと、大きく口を開いた――
「いまはちょっと黙っててくださいね」
――ら、握り拳を口に突っ込まれた。
アゴが外れそうなくらい無理がある。
息が詰って苦しい。
あまりの辛さに、意図せず無言の涙が出てきおった。