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承/第十壱話:喰い過ぎ、注意!

「では、刀さん。私と夫婦になりましょう」

 壱さんは真剣そうな声色で、そんな突拍子もない事を言い切った。

「はっ?」

 オレは聞き間違いであると確信しているが、

「いま、なんと?」

 確信をさらに確たるものとするため、聞き返した。

「何度も言わせないでくださいっ」

 壱さんは苛立たしげにオレの手首をとり、

「私と刀さんは、夫婦――メ・オ・トっ! なんですっ」

 そしてその美味そうな匂いを手繰るようにして、ガツガツと杖で足元を確認しつつ舞台上へ歩みを進めてゆく。

 べつにオレは行きたくないのだが、壱さんにへし折らんばかりの力で手首を拘束されてしまっているので、抗っても強制的に引きずられ、その背を追う。

 美味い匂いただよう舞台上へ、壱さんとオレが上がると、お祭り特有の高揚感に支配された人々が声を飛ばしてくる。

 みんな楽しそうだ。

 でも残念ながら、オレはお祭りとかの異様な盛り上がりがちょっと苦手だったりする。決して嫌いなわけではない。ただ、積極的に参加するよりも少し距離を置いて見物する事を好む人種というだけだ。

 が、オレ強制参加決定なようで。

「なんだかなぁ……」

 現実逃避を兼ねて、回想することにでもしよう。

 なんで唐突に、壱さんが夫婦になりましょうなんて言い出したのか。

 あるいは彼女の性質をもう少し知っていれば、予想することも可能だったのかもしれない――


 ――とりあえず、体力の限界を突破する前に、ロエさんの村へ辿り着けた。

 家へと道案内をしてくれるロエさんの背を追いつつ、オレは辺りを見回す。

 レンガ造りの家と木造の家が密集するように立ち並んでいる。ロエさんが言うには、一日あればこの村の全域を巡れるらしい。

 異国情緒に八割、ロエさんの話に二割の意識をさきつつ、歩みを進めていると、不意に開けた場所に出た。

 共同の水くみ広場なのだそうな。言われて見れば、広場の中心には井戸がある。井戸を見ると、髪の長い女性が奇怪に喉を鳴らしながら這い上がってくる光景を思い出してしまうのは、某ホラー映画が有名すぎるからなのか、あるいはアノ映画を見てちょっとチビッてしまい、色んな意味で心についた傷のせいなのか。

 ともあれ、言われなければオレはその井戸の存在に気がつかなかっただろう。

 なぜか?

 井戸の向こう側に、地味な井戸より目立つものが存在するからだ。

 学園祭のようそうを思い起こさせる、手作りかん溢るる舞台と看板。そこに群がる楽しそうな雰囲気の人々。遠目から眺めているだけで、なにか本能に近しい部位にある感情を刺激する。どこかで感じたことがあるであろう感覚――太鼓の音色が腹に響いてくれたら、なんかシックリくる。焼きそばの出店があったらなおのこといい。

 雰囲気だけで推測すると、そこにはお祭りの気配が広がっていた。

 看板に書かれている文字が読めたら、なにがおこなわれているのか推測するまでもないのだろうが。

「明日から収穫祭なのですよ」

 楽しげに誇らしげにロエさんが教えてくれた。

 祭りにも様々なモノがあるんだなぁと思う。収穫祭か、話に聞いたことはあるが、学園祭と花火をぶっ放す夏祭りしか実体験のないオレからすると、なんか新鮮な感じがする。

「そんな事より、先ほどから美味しそうな匂いがするのですけど――これはいったい?」

 溢るる唾液を「じゅるり」とすすりつつ、鼻をひくつかせる壱さんは、危ないお薬でもキメてしまったかのごとく嬉々としてテンション高く浮き足立っている。

 美味しそうな匂いだけでここまでイケるのは、ある意味で幸せだろうなぁ。と思いつつ、

「確かに、イイ匂いしてますよね」

 壱さんほどテンション急上昇はしないが、疲れて空いたお腹を抱えるオレとしても、この匂いは魅惑的だ。口内がやたらと潤って、気を抜くと口の端からからツーっと汁が垂れてしまいそうになる。

「明日の本番へ向けて、今日は予選大会なのですよ。夫婦大食い祝事が、収穫祭の目玉ですので」

 舞台のほうを示しながら教えてくれるロエさんの話しを聞いているのかいないのか、

「なにを食べるのですかっ」

 祭りよりも大食いの品目が壱さんには重要なようだ。

「おまんじゅうです」

 ロエさんは気分を害すこともなく答えてくれた。

「おまんじゅうですか――なんとも、いまの私にとって喜ばしい品目です」

 壱さんのテンションここに極まれり。言葉だけなら落ち着いているように思えるが、体はジリジリと匂いただよう舞台のほうへにじり寄っている。

「そんなに、おまんじゅうを食べたかったんですか? 壱さん」

「ええ。今朝、刀さんが“塩まんじゅう”と連呼していたのを聞いてからずっと」

 さいですか。単純ですけど、見聞きしたモノが不意に食べたくなる感覚は、わからなくないですよ。宮崎駿監督作品“千と千尋の神隠し”を視聴して、冒頭のお父さんとお母さんが“神様が食べる料理”を喰っているシーンに登場する食べ物がとっても喰いたくなった経験がございますから。

「ああっ、もう我慢なりませんっ! 私は予選大会に出ますっ」

 痛い。痛いですよ壱さん。手に力を込めすぎっ。オレの手を握り潰すおつもりですかっ!

「でも、夫婦大食い祝事っていうくらいなんですから、夫婦じゃないとダメなんじゃないですか? ね、ロエさん?」

 握られた手の血色がどんどん悪くなってゆく。が、悲しいかな力ワザでは壱さんに敵わないので、力んだところで出れぬものは出れぬという現実をお教えするほか、我が手の血色を正常に戻す術はない。

「夫婦大食い祝事は、“新婚夫婦がこれから食べるに困らぬように”という願いと、“長年共に過ごしてきた夫婦がこれからも食べるに困りませんように”という願いを込めた祭り事なので、出場権があるのは夫婦のみということになっています。でも夫婦なら村の者であっても外の者であっても、それを問わず出場できますよ」

 ロエさんの親切丁寧なご説明を聞いて、飢えたる強者な壱さんも心を静めてくださるかと期待した自分が浅はかでございましたっ。

 痛い。痛いです。よりいっそう手に力がこもっておりますよっ! ねぇ、壱さんっ!

 ここはもう、声を荒げて抗議せねば、と思い、壱さんのほうを見てみると、

「…………」

 手にこめる力は右肩上がりに黙り込み、眉間にシワを刻んで、なにやら真剣に考え込んでいるご様子……。なんでか“声をかけるべからず”というオーラが壱さんの全身からみなぎっているように見えるのは、強迫観念によるオレの幻覚かな。それとも生存本能による幻覚に見せかけた警告かな。

 つまるところ、よくわからない気迫にオレは負けるわけで。声なんかかけられるわけもなく、ただ呆然と壱さんが静まることをお祈りするわけで――

 と不意に、壱さんから形容し難い気迫が消え去り、万力のごとき手から力が抜けた。

 そして壱さんはイタズラを思いついた子どもを思わせる素敵な表情で、


「では、刀さん。私と夫婦になりましょう」


 ――というところでプチ回想を兼ねた些細な現実逃避は終了いたしまして、イヤでも現実と向き合うわけです。


 舞台の上には長テーブルと六人分の簡素なイスが設置されており、壱さんを含めた六人のお人がイスに座りスタンバっている。ちなみに壱さん以外は男の人だ。

 オレは長テーブルを挟んだ壱さんの正面につっ立っている。立っている人数はオレを含めて六人で、オレ以外は女の人――どうやら、長テーブルを挟んで居る男女のペアが出場する一組“夫婦”であるらしい。

 座った人はひたすら喰う係り。立っている人はまんじゅうを運んで補充し、なおかつ座っている人の口へまんじゅうをぶっ込む役目をになっているらしい。つまり、大口を開けて鎮座する壱さんに、オレがまんじゅうを喰わせると、そういうわけか。オレ的には自分で食べてよと思うが、“食べる人”のペースや限界を“食べさせる人”が理解しているか否かというところで、相方との親密度/理解度を推し量る目的がこのルールにはあるらしい。こんな事で親密度がわかるとはオレには思えないけれど。

 というか、シレっと“夫婦大食い祝事(予選)”に出場してるけど、オレと壱さんは夫婦ではない。なので、この“夫婦大食い祝事(予選)”に出場する資格はない。けどなんか出ちゃっている。ダメじゃん。

「壱さん、お腹空いてるのはわかりますけど、ウソはやっぱりダメですよ。よりにもよって祝い事でウソって、なんか輪をかけて悪いことしている感じで居心地がわるいです」

 祭りの喧騒にまぎれ、虫の羽音ほどの音量で壱さんに耳打ちしてみるが、

「いまさら言っても後の祭りですよ、刀さん。ここはいさぎよく、お腹を満たしましょう」

 まったく悪びれた様子のない答えが返ってきた。

「それに、食べ物で遊べる方々の祝いなんて、ただの遊興です。真面目に考える必要なんてありませんよ」

 悪びれていないが、ふざけている訳でもない声色で、

「食べ物で遊べることがどれだけ贅沢か気にも留めない幸せを満喫している方々からしたら、私たちの吐いたウソなんて些細な事――お祭りの余興くらいでしかないでしょうから」

 どこか冷めた印象の言葉が吐かれ終わるのを見計らったように、ふたつの一口サイズ蒸しマンをのせたお皿が壱さんの前に置かれ、それ等を満載した手押し車がオレの横にやって来た。

 いいわけしようがしまいが、“夫婦大食い祝事(予選)”は始まってしまったようだ。


 鳥のヒナが、エサを親鳥に求める光景を思い出した。

 大口を開けて、エサが放り込まれるのを鳴きながら待つヒナ鳥。壱さんを含めた喰う係りの方々は、さしずめ鳴かないヒナ鳥か。

 そんなことを思いつつ、壱さんの大口に一口サイズ蒸しマンを放り込んでいたら、ひとつ疑問が生じた。口を開けているだけの人に蒸しマンを放り込み続ける、という図が六組分。それを見て、どうして会場の方々は盛り上がれるんだろう。おもしろいか? この図はオモシロいのか? 蒸しマンを喰わされている人と喰わしている人を見てオモシロいのか? 端的に言って、メシを喰っているだけの人を見て楽しいの?

 なんて思考をしながら機械的に放り込み作業をしていたら、いつの間にか“夫婦大食い祝事(予選)”は終了していた。というか終わっていたことにオレが気づかず、勝手に記録更新し続けていたらしい。

 壱さんはだいぶ余計に蒸しマンを喰ったようで、着ている紫主色の民族衣装みたいな服ごしに見てもわかるくらい、マンガの過剰表現のごとくお腹が膨れている。まるで妊婦さんだ。

「初めて二人でがんばった共同作業でしたね、刀さん」

 膨れたお腹を愛おしそうに撫でながらそんなセリフを言われると、べつの意味に聞こえてしまうのはオレが妄想族だからですかね。

 ともあれどうしよう、予選を突破してしまった。

 無駄に圧倒的大差で……。


「てか、なんで無理して食べ続けちゃったんですか。満腹でもう食べれないって言ってくれればいいものを」

 ちょっと壱さんのせいにしている気はするけれど、お腹があんなオモシロいことになるまで喰う必要はなかったでしょう。

「刀さんはおかしな事を言いますね。私は決して無理なんてしてませぅップすッんよ?」

 態度は平静ですけど、「〜せ」の後で口からなんか産まれちゃいそうになってるあたりが、無理をしている証拠です。

 お祭り特有の高揚感に支配された人々が飛ばしてくる称賛の声を聞き流しつつ、ロエさん、ツミさんとバツが居る所まで戻ると、

「すごいです。これなら本戦でも優勝間違いなしですよ」

 ウソぶっこいて出場したあげくに予選突破してしまった事がとんでもない大罪に思えてしまうほど、素敵過ぎる微笑と拍手で迎えてくれたのは、天使と見まごうロエさんである。

 ツミさんとバツも称賛をもって迎えてくれた。

 無駄にがんばったのは、主に壱さんであって、オレは特になんにもしていない。ゆえに称賛されてもさしてうれしくもなく、ウソぶっこいたという罪悪感ばっかりが降りかかる言葉によって肥大化してゆく。

 というわけで、素直に事を話してみた。

「あら……では未来の新婚さんが前倒しで出場したということですね。こんなにイイ結果がだせるのですから、きっと先は明るいことでしょう」

 まったく気分を害した風もなく、ロエさんはニコニコと微笑みながら「うんうん」と何度もうなずいた。とってもフトコロがお広いようだ。そして些細な幸福があったかのようなほんわかした雰囲気をまっとて、オレ達を自らの家へ案内することを再開する。

「だから言ったでしょう?」

 杖の代わりにオレの手を取りながら、さして得意げでもなく壱さんが言う。

「お祭りなんてオメデタイ事をしているのですから、起こったことは余程じゃないかぎり、良いほう好いほうに解釈するものです。それに――」

 ズイと壱さんはこちらに身を寄せ、オレの耳を吐息がくすぐるほどに顔を接近させてくる。

「――まだ知れぬ未来では、あながちウソであるとは限りませぅップすッんよ?」

 そうですか……。でもね、未来を思うよりもね――

 人の耳元で吐きそうになるくらいなら、喋らないでいただきたいっ!

 大惨事にするおつもりですか。オレの耳から肩にかけてをっ!


 ――と、村に到着して早々忙しない感じであった出来事を、オレは窓際にある安楽イスに腰掛けゆったりしつつ、件の手帳に書きとめた。

 壱さんの手とリアカーを引きながら辿り着いたロエさんの家は、威厳さえ感じる重厚な木造建築だった。メスム屋という銘の、おまんじゅう屋らしい。“夫婦大食い祝事(予選)”の蒸しマンもこちらの商品だとか。

 案内されるがままに奥行きのある廊下を歩いてゆくと、客間らしき部屋に通された。すると壱さんはチョイとオレの手を引いて、

「ベッドまで運んでください」

 とお申し付けてきた。言われたとおりに寝心地良さそうなベッドまで行くと、壱さんは即行で大の字になり、ベッドに沈んだ。満腹でイッパイイッパイだったらしい。

 でまあ、オレはしばしの間、満足したような可愛い寝顔を見せる壱さんを観察し――そして、手帳に事を書いておこうと思い、窓際にある安楽イスに腰掛けて、「意外と書いてるなオレ」と自賛しつつ書き書きした。

 ツミさんはメスム屋のおまんじゅう作りに興味があるらしく、ロエさんに頼んで調理場の見学に行った。バツは床にお尻を着いて座り、お茶の御供にと出された蒸しマンにパクついている。壱さんは大の字で休憩中。と、手帳に書き終わってしまうと、手持ち無沙汰でどうしたものか……。

 意味もなく手帳をパラパラめくって――なんとなーく、ホントに思いつきで、手帳の最後の方のページを丁寧にチギリ取って、長方形の紙を入手した。

 なにをするのか。まあ、べつに大した事ではなく、紙飛行機でも作って飛ばそうと、そんな思いつきである。

 あっという間に、手の平サイズの紙飛行機は完成した。

 窓の外にでも、景気良く飛ばそうかと思ったが、しかし他人の家の窓から良く飛ぶポイ捨て的行為をするのは気が引けるので、室内で飛ばすことにする。というわけで、テキトウに投擲した。すると紙飛行機は、オレの折り方がヘボかったせいか、予想だにしないアクロバティックな軌跡を描いて――いままさにバツが喰わんとしている蒸しマンに刺さった。

 バツは食べようとした蒸しマンに刺さった紙飛行機に目を点にして硬直している。

「ゴメン、ゴメン。オレの予想を超えるアクロバット飛行しちゃた」

 オレは謝りつつ、蒸しマンに刺さった紙飛行機を引っこ抜く。すると、バツの点になった目は、紙飛行機を引っこ抜いた手の動きを追う。

 バツは蒸しマンを食う体勢のまま、半口を開けて、エサを前にした小動物のごとく、紙飛行機を凝視している。

 ヒョイっと手を動かすと、それにあわせてバツも動く――

「ど、うしちゃったの?」

 蒸しマンに紙飛行機が刺さったのがそんなにショックだったのだろうか。オレは現状のバツに不安を覚えた。

 どうしよう、オレのせいでバツがどうにかなってしまったら――

「と、トウお兄ちゃん。そ、それはなあに?」

 眼をキラキラ好奇心に輝かせて、バツはしかし紙飛行機を見つめたまま問うてきた。

「それって……コレのこと?」

 と紙飛行機をもう片方の手で指差すと、バツはウサギの垂れ耳を思わせるツインテイルが天を突くほどの勢いで首肯する。

「紙飛行機っていうんだけど……ていうか、知らないの?」

「カ、カミヒコウキっていうんだー。ぼ、ボクはじめて見るよ。と、トウお兄ちゃん」

 紙飛行機でこんなに眼を輝かせてくれる子に、オレはいままで出会ったことがなかった。だから、バツの反応が新鮮で、

「じゃあ、バツも作ってみる?」

 そんな、オレの知りえる子どもならばシラケテ居なくなりそうな提案に、

「つ、つくるーっ! つ、つくりたいっ!」

 折れちゃいそうなほどに首をブンブン振って応えてくれるバツは、もう天然記念物っていうのかなんていうか国をあげて保護すべき純粋な子だようっとオレは思うわけだ。

 こんないもう――じゃなかった、弟がいたらなぁ。オレはもうちっとマシな人格者になっていた気がしてならないよ。

 なんで我が父と母は、もうちっと頑張ってくれなかったかなぁ……。

 なんてね、ことを思いつつ、

 この年齢になって初めて、嬉々として折り紙をやるきがする。

 こんなに楽しい気持ちになれるモノだったっけかなぁ、折り紙って――

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