承/第十話:ワイルドに朝食を
――なんだか遠くが騒々しかった。
テレビをつけたまま寝入ってしまったときの感覚、とでも言おうか。
夢と現の境目が、つまりはうるさくて。
テレビの電源を切るために――騒音を排除して安眠を獲得する為に、少し意識を覚醒に近づけ、薄目を開けた――
瞬間、若干の砂埃をまとって登場したソレと、オレは寝起きで「コンニチワ」したくなかったけど、してしまった。
ソレとはなんぞや?
当然、気になってあたりまえなのだか、オレは数泊の間、ソレをまじまじと見つめても、初めはソレが何なのか理解できなかった。というか理解したくなかったというのか、拒絶というのか、現実逃避というのか。
ソレは、獣の頭部だった。
それもやたらとデカイ。
巨大なイノシシとでも言おうか。かの有名な宮崎駿監督作品“もののけ姫”に登場した、あの巨大イノシシを思わせる。
あぐらをかいて、たき火の番をしつつ居眠りをこいていたオレの目前で、頭を地べたに這いつくばらせている巨大イノシシ。だがひとつ、奇妙な点がその巨大イノシシにはあった。
頭のテッペンから、棒のようなモノが生えているのである。
長いとは言いがたい我が人生だが、頭から棒を生やした生物など見たことも聞いたこともない。
棒状のモノを見つめていたらば、その延長線上、巨大イノシシの背中の方から、朝日をバックに、人影が現れた。
逆光になっていて誰なのかよく見えないのだが、
「朝ごはん〜朝ごはん〜、美味しいおいしい朝ごはん〜」
とてつもなく上機嫌な感じに「朝ごはん」を連呼している声には聞き覚えがあり、
「……壱さん?」
試しに名前を呼んでみたらば、
「あら、刀さん。おはようございます。早速、朝ごはんにしましょうっ!」
彼女は楽しそうに言い、そこから流れる動作で、巨大イノシシの頭部に刺さってその息の根を止めたと思しき棒――壱さんの杖――をねばっこい音をさせながら引っこ抜いた。
なんか、あまり心臓によろしくない目覚めだ……。
頭の中身がコンニチワしちゃっている巨大イノシシから目をそむけて、気分転換にと、朝の空を見上げてみる。
あ、小鳥さんがお歌を歌いながら飛んでいるよ――
「さ、刀くん。まどろんでないで、解体するの手伝ってちょうだい」
いつの間にか背後に居たツミさんが、ポンっとオレの肩をたたく。件の日本刀風お肉解体包丁を肩にかつぎ、朝日をあびながら、そよ風にポニーテイルをゆらし、爽やかに。
生きていたモノを食べるために解体する。
そんな人生初の経験をした本日――といっても実際には、巨大イノシシを肉にしてゆくツミさんの手際を眺めるばかりだったが、オレはイマサラながら、“いただきます”と“ごちそうさま”の重要性っていうのか、意味というのか、を理解した気がする。
巨大イノシシのお肉は、それはそれは獣で肉々しいモノであったが、
「ごちそうさまでした」
気持ちは美味しくいただきました。
「それはそうと――」
オレは、猛獣のごとく骨付きお肉に喰らいついている壱さん以外の方々に、ずっと気になっていたことを訊ねてみる。
「――当然のように一緒に朝食を楽しんでいる、そのお人は、誰さんなのでしょう?」
謎なお人は、我が正面、はふはふ言いながら焼きたてお肉を食べているバツの隣で、お上品に巨大イノシシ汁をすすっている。金色で装飾された白主色の法衣――のような服を身にまとった、長い金髪が印象的な人物。女の人かな、たぶん。
「いま食べてる、お肉を連れてきた――」
ツミさんが食べるのを止めて、我が問いに答えてくれようとするが、
「……そういえば結局のところ、どちら様なのかな?」
巨大イノシシを連れてきたということ以外、知らないらしい。そういえば、夢と現の狭間で「どなたかァーッ! 助けてくださいましぃーッ!」って誰かが叫んでいたのを聞いた気がするのだが、叫びの主は、この長い金髪のお人なのかな。
そんな感じで疑問の眼差しを向けると、長い金髪のお人は、これまた上品に口元を拭ってから、
「助けていただいたお礼も、あげく名乗りもせず、失礼いたしましたこと許してくださいまし」
頭を下げ、
「わたくし、メスム屋十二代目次期当主――ロエと申します」
朝日の下で、長い金髪に天使の輪を出現させお上品に微笑み名乗るロエさんは、なんだか本物の天使のように美しく、思わず見惚れてしま――
「――ぐぉっぼっ!」
不意に腹部へひじ鉄の一撃を喰らい、いまさっき食べたものたちが喉の辺りまでリバースしてくるのを――そこから先へ臨界突破しないよう堪えつつ、一通り悶絶してから、
「いきなりなにするんですかっ! 壱さんっ!」
オレは隣にいらっしゃる、理不尽な暴力の発生源へ抗議の声を上げる。
我が心からの訴えに、しかし壱さんはお肉をもぐもぐと喰らい、ハムスターのごとくほっぺを膨らませながら、
「いえなにか、刀さんからとってもイヤラシイ気配を感じたもので。このまま刀さんがエロエロ変態魔人さんに堕ちてしまっては、私としては少し哀しいものがありますから――つまり、愛のムチというやつですよ」
メシを喰いながら愛のムチって言われてもね。というか、一糸まとわぬ赤裸々な破廉恥極まりないイデタチの破廉恥漢――イワさんを地面から呼び出して共闘していたアナタに言われても、なんか説得力に欠けますよ。
ていうかね、
「壱さん、口のまわりが油でギトギトになってますよ――」
もっともらしく何かを語るなら、せめてお口のまわりをテカテカのギトギトにしないでくださいよ。
オレは布切れで壱さんの口元を拭いつつ、
「――誰も横取りなんてしないんですから、落ち着いて食べてください」
そんな進言をしてみた。幼子のような食い方をしますよね壱さん。
「私は全力で味わっているだけですっ」
壱さんはぷくっとほっぺを膨らませる。
なんだかなぁ……。
腹に一撃喰らって一瞬でもイラッとした自分が、
「なんだかなぁ……」
オレはとりあえず、腹への一撃のお返しに、壱さんのぷくっと膨らんだほっぺを、全力で突っつくことにした。
「仲がよろしいんですね」
オレと壱さんとのやりとりを、なんでか目を細め見ていたロエさんは、不意にそんなことを言う。
「そうですか?」
不意にひじ鉄くれてくる人と、不意にひじ鉄くらった人とを、どうしてロエさんはそんな優しい眼差しで見れるのか。オレとしてはちょいと複雑な気分なのだが。
「ええそれはもう、私と刀さんはお互いの趣向から毛穴の数まで熟知している仲ですから」
趣向は、まあいいとして。
毛穴って、壱さん――オレとアナタはどんだけディープな仲なのよ。
常識的に居ないでしょ。どこの世の中を探してもさ。毛穴の数を熟知し合っているフレンドリーなんて。
ていうかむしろ教えて欲しいよ、我が毛穴の数を。
すると、壱さんはズイとこちらに身を近づけて、
「じゃあ深夜、二人っきりのとき語り合いましょう」
吐息が耳を舐めるほどの近距離で、そんな事を言うもんだから、一瞬でもドキッとしてしまった自分が非常に残念です。
普通に考えて、お互いの毛穴の数について夜中に二人っきりで語り合っている光景って、それはもう狂気的でしょう。
「ていうかもう毛穴の話はどうでもいい、というか置いておきましょう」
毛穴の話を続けたところで、得るものなんて何もなさそうですからね。
「そうですか? それは残念です」
どうしてそんな心底から残念無念みたいな表情できるんですか壱さん。
まあそれも置いておいて。
「よく考えてみれば、オレが壱さんと出会ってから、まだ一週間も経っていないんですよね」
なんかやたらと濃密な時間を過ごしたような気でいたが。
「あら、そうなんですか? それにしてはずいぶんと仲がよろしいように見えましたけれど」
ロエさんは口元に手をあてがい、お上品に驚きを表す。
「べつに、一緒に過ごした時間が親密さと同義であるなんて決まりはないでしょう? 長くお互いを知っていても犬猿の仲ということだってありますし。それとは逆に、出会ったその瞬間から意気投合して十数年来の親友のごとくなったりだってします。ようは相性の問題なのですよ。その点、私と刀さんの相性は、それはもうビックリするぐらいバッチリだったと、そういうわけです」
コブシを握って口を動かす壱さんの力説を、ロエさんは慈母のような眼差しで聴いて、最後にひとつ「なるほど納得」と肯く。
いったいロエさんは何に納得しちゃったんだろう。ていうかバッチリな相性って、何さ。
「それは、朝昼晩と――えっと、その……」
なぜそこで言いよどむの壱さん。てか、朝昼晩ってなに。あれですか、食生活の相性ですか、朝メシ昼メシ晩メシって感じに。
「そんな人前で言うなんて……恥ずかしい」
ええっ!
なにその、いままでにないくらいの恥らった表情はっ!
で、結局なにが相性バッチリなのか、オレが知りえるまえに、出発の準備――おかたづけとあいなった。
おかたづけを行いつつ、次にどこへ向かうのかという話になり、
「助けていただいたお礼をさせていただきたいので、是非に我家へいらしてください」
ならばとロエさんが提案してきた。なんでも本日中に訪れることになろう村は、ロエさんが生まれ育ち、現在も暮らしている所なのだそうな。
オレの知らぬ間に人助けをしていたらしい壱さんは、出された提案に対し、
「では、そうさせていただきましょう」
当然のように即承諾した。
遠慮っていうか、謙虚さっていうか、ザ・日本人なオレからすれば、承諾するにしたって、もうちょっとまわりくどいデコレーションされたキレイな言い方があるんじゃなかろうか、と思ってしまうのだが。
「どうして好意を受けるのに、まわりくどい態度をとらなければいけないんですか? むしろ私には、失礼に思えますけど。なんでも素直が一番ですよ――」
言うや、我が右側にいらっしゃる壱さんは、探るように左手を空にさまよわせ、その手がオレの肩に到達すると、そこからたどって首から頬の方へ、そして左手を我がアゴとほっぺの境目にピトッと置き、
「――ですから私、自分の心情に素直になろうと思います」
モノを捉えぬ潤みの増した瞳でこちらを見上げ、なんだかとっても悩ましげな表情をする。
なんだかとってもロマンティックな、このまま我が頬と壱さんの唇が衝突事故を起こしちゃいそうな図じゃないか。
そんな状況がゆえに、ひとつだけ疑問を訊ねさせていただきたい。
「どうして壱さんは素直になると杖の石突を――あのイノシシさんの脳天ぶち抜いちゃった杖の石突を、我が頭部に突きつけることになるんでしょうかねっ」
艶っぽい表情の壱さんは現在、左手でガッチリと固定したオレの頭部に、右手で握った杖の石突を突きつけているのです、なぜか。
「さっき私のほっぺを『ぶぅっ』てしたじゃないですか刀さん。ですからその報復ですっ」
そんな素敵な笑顔でおっしゃられると恐怖倍増なんですが。
ていうか、報復って、ぷくっと膨れたほっぺを軽くつついただけじゃないですか。
「生まれて初めてです、あんなハズカシメを受けたのはっ」
なにその敏感過ぎる羞恥心はっ!
というかそれ以前に、アナタ、百倍は恥ずかしいことしてるでしょう。絶対に。
て、思ってるそばから、鋭利な何がしかか我が頬に食い込んできちょるぜおっ!
お口の穴が二つになろうかという、そのとき、
「――はい」
と仕切りの拍手をひとつ打って、ツミさんがご登場した。
「かたづけ終わったから、そろそろ出発しましょう」
目前の暴挙が見えていないのか、ツミさんはいたって平静な態度だ。
「あ、あのツミさん」
「ん? なにかな」
「目の前で繰り広げられている事について、なにか思うところはないのでしょうか?」
できれば、いますぐ迅速に壱さんを止めていただきたいのですが。
なんて我が心情は察してはいただけないようで、ツミさんはオレと壱さんへ交互に視線をやってから、
「あれだ、過激な愛情表現ってやつだね。見せつけてくれるなぁご両人――」
どうやらツミさんは平和過ぎる思考の持ち主のようだ。土鍋で寝るネコを愛でるような、ほほえましい光景を眺める眼差しをしちゃっているもの。
「――でもさ、ほっぺから血がにじみ出てきちゃってるから、ほどほどにね」
ほどほどとか言う前に止めていただきたい。ていうか、背を向けてリアカーのほうへ歩みださないで――
カァームバァーック!
という心からの叫びを眼差しで全力表現していたら、不意に食い込んだ鋭利なヤツから我が頬は解放された。
ほっとしつつ、手で頬に触れてみると、その指先には流血の痕跡が付着してた。
「ヒドイですよ壱さん。ホントに出血しちゃってるじゃないですかっ」
てか、下手したら穴が開いちゃうところだったんですよ。冗談にしても過激すぎます。
我が抗議を耳にした壱さんは、確かめるように左手で我が頬に触れ、指先が液体の感触を知るや、
「あら、ほんとうに。でもコレくらいなら、ツバつけておけば治りますよ」
悪びれた様子がミジンコ程もない態度で言ってきた。
なんか怒るのもバカらしいと思えてくる。
「はぁ……」
溜め息を吐いたそのとき、我が頬を生温かくて湿った軟質の何かが撫でた。背筋にゾクゾクと変な感覚が走る。
数瞬の間、なにが起きたのかわからなかったが、
「な、ななにしてるんですか壱さんっ」
超近距離にある壱さんのお顔を拝見して理解した。
「なにって、だからツバつけたんですよ」
言って壱さんはチロリと舌を出す。
ていうか、つまるところ、壱さん、アナタ……オレのほっぺを舐めやがりましたね。
「さあ、さ、そろそろ出発しましょ」
だか壱さんは何事もなかったかのように、我が手を引いて、眼になれといってくる。
なんだかなぁ、
どうなんだろ、
なんて思考するヒマもなく、
オレは壱さんの眼を兼ねたリアカーを引っ張る人動力となり、
我ら御一行は、ロエさんが生まれ育ち暮らす村を目指し出発した。
川べりから出発して、川沿いの踏み固められた道を、えんやえんやとリアカー引いて歩いたわけだが、なかなかどうして村までは距離があり、さすがにリアカー引きっぱなしでは、我が体力のキャパシティーを軽く越えてしまう。そんなわけで。
「あの、そろそろ休憩にしませんか?」
いっぱいいっぱいな雰囲気が声に乗っかってしまっているのが、自分からして恥ずかしいというか情けないのだが、身体はプライドよりも休息を求めているので、言葉はかなり素直に出てきた。
「なんですか、もう息があがってしまったのですか?」
言葉だけだとなんか気にかけてくれているような壱さんの物言いだが、表情は露骨に「情けない」と語っている。
事実、自分でもそう思う。
女性三人と子ども一人が、まったく疲れの色を見せていないのに、そんな中にあってチキンハートでも男である自分が、ヒイヒイ言っちゃって休ませてくれとは。しかし残念ながら、意地を張って無理をする余裕もない。
――と、事ここに至るまでの出来事を、オレは倒木に腰掛け休息しつつ、件の手帳に書きとめた。
ちなみに、べつに疲れていないけど休んでくれている方々は――女性三人は、ツミさんの淹れたお茶をたしなみつつ、なにぞ楽しそうにお喋りをしている。女三人揃えばカシマシイ、というのだったっけか、こういうの。
「と、トウお兄ちゃん。こ、これはなんてよむの?」
で、もう一人オレの休息に付き合ってくれている人物――バツは、日記を書く我が隣に腰掛けて、ときおり手帳に書かれている文字を指差しては読み方を問うてくる。どうやらオレの書く異文化な文字に興味があるようだ。
「カシマシイだよ」
漢字で書くと“姦しい”。まさに読んで字の如く。
ともあれ、国語を教えてあげられるほど、オレは学を極めていないので、あまり問われても困るのだが。
「ど、どういうイミなの?」
知的好奇心に目を輝かせながら問われては、むげにはできず。ああ、なんで異世界に来てから学校の勉強をもうちょっと真面目に受けておけばよかったと思うんだろうなぁ……。
無いものねだり、と言えばそうなのだろうが、思ったところで後悔は先に立ってくれない。
「目の前でおこなわれている光景の事だよ」
女性陣を示して、とりあえず答えてみるが、言った途端に、正しいのか正しくないのか自信がなくなってきた。
ともあれ、ここに来てわかったことがある。
この世界の方々には、おおよそ日本語――喋りが通じるけれども、ここに存在しないモノの名称だったり、存在するけれど名称が違うものだったり、そもそも概念が違うものだったり、があって通用しないモノもあるということ。
そして文字はまったく共通していないということ。とりあえず、日記を盗み読みされる心配はまったくないということが知れた。正直、わかろうとわかるまいと何かが変化するようなことはないが。
まあいいや。いまはとりあえず、
「あの、ロエさん。あとどれくらいで村に到着するのでしょうか?」
自分の体力が村に到着するまで持つかを心配しておこう。