第2章 亡国の姫 第一話
城下の惨状は目も覆いたくなるほどだった。
家は焼かれ、全てを失った人々が途方に暮れている。城下は敵兵たちがひしめき合い、好き放題に略奪を行っていた。一人の女の子が兵士に蹴り飛ばされて、その場にうずくまっている。マルガレッタがそれを抱き上げようとしたが、それをオーバーロードが止めた。
「おい、子供に手を出すのは、感心しねぇな」
「お前バカか? 魔王軍の臣民には手加減する必要はないんだぜ? ここにあるものは全部俺たちのものだ!」
言ってもわからねぇ馬鹿には、銃弾が一番だ。
腰に構えたハンドガンから青白い閃光が走る。本当なら大口径の銃から吐き出される弾丸で、原型もわからないくらいに木端微塵にしてやりたいくらいだ。しかし銃弾の補充が聞かないので、節約する以外に道がない。
「てめぇ、何者だ!」
「うるせぇよ」
その場にいたのは五人。
全て頭を撃ちぬいてあの世行きだ。
「おい、嬢ちゃん大丈夫か?」
しかし少女は少しも動かなかった。見れば蹴られただけではない。背中には深い切り傷があった。剣で切られなければ、こんなに大きな傷はつかない。つまり、正義を名乗っている軍は女子供容赦なく略奪し、切り殺しているということだ。
だが、この状況を目にしてもオーバーロードは冷静だった。怒りなど微塵もわいてこない。そうとも、これこそが彼が絶対君主になった理由だ。
すでに、彼の中で人間としての心など失われている。あるわけもないのだ。だから、怒りや悲しみなど少しも沸いてこない。凪の日の海のように、彼の心は揺らめかない。
しかし疑問は持つ。
「なぁ、お姫さん。こいつら一体何もんだよ? あんたらの領地に好き勝手に侵入してさ。まぁ、大方想像はつくけど、戦争なんだろう?」
「そう、こいつらは教皇軍。私たち魔王とその家族、そして臣下を皆殺しにしようとした野蛮人たちよ」
「教皇軍ねぇ」
そういえば、さっき殺した指揮官もそんなことを言っていた。オーバーロードは何度か教皇に会ったことがあるが、彼の世界では教皇はただの爺さんだった。それも温厚で、人など一人も殺せそうにない好々爺だ。まぁ、それでも彼自身は何かしら恨みを買っていたようで、色々なテロリストから命を狙われていたが。
「でも、あいつらここに攻めてきてるのはそれだけじゃないだろう?」
死ぬ前に指揮官が言っていたこと。
そう、彼はマルガレッタを血眼になって探していた。何らかの秘密がマルガレッタにもあると考えたほうが妥当だというものだ。しかしそれを聞かれたとき、彼女はびくりと体を震わせた。
「そうよ。奴らが攻めてきたのは、お父様が私を教皇に差し出さなかったから」
「何か不思議な力でもあるのか?って・・・・・・そりゃあファンタジーすぎるか」
「何を言ってるのかわからないけど、あなたの言う通りよ。私はこの世界でも五人目の巫女だから」
「うん、ファンタジーすぎて何言ってるのかこっちもさっぱりわからねぇわ」
しかしここでわかってきたことがある。この世界がいよいよ自分たちがこれまで住んでいた世界と全く別物の、まさしく創作物そのものの世界だという可能性が出てきたということだ。その昔、某軍隊で本気で考案されていた異次元への侵攻計画、どうもそれは夢物語ではなかったようだ。
そうはいっても、巫女だのなんだの言われていきなり受け入れられるほどオーバーロードも柔軟な頭は持っていない。
しかしマルガレッタは彼の話など聞いていないかのように話を続ける。
「教皇っていうのはね、この世界に浸透している世界宗教リーフィス教を統治している神の代理人よ。私はそのリーフィス教の巫女。世界に五人しかいないけど、この世に災厄がもたらされるときに召集されて、この世を滅ぼそうとする者たちと戦う宿命を背負ってる」
「ふぅん。で、お前俺と組んでていいの? 俺世界を支配するつもりの人間だぜ?」
「悪いけど、私には今あなたしか守ってもらえる人間がいないの。だからあなたが世界を征服しようが、好きにして。教皇以外なら後回しにしてあげるから」
マルガレッタの強い眼光が、オーバーロードを射抜いた。漆黒の瞳と、赤い瞳が交差する。そこにあるのは強い意志の強さだ。彼はその瞳の光の強さを気に入った。それは彼にはなくても彼女にはあるものだった。そしてそれが自らが欲するものを手に入れるのに、絶対的に必要な力であることを、彼自身は知っていた。
「いいだろう! あんたはどこまでもいい目をしているお嬢ちゃんだ! しかしこれからクソみたいに地面を這いつくばって戦うんだろう? その覚悟はあるのか?」
「あるわ! 私はこの少女に誓うもの。もう、この子みたいな人を二度と出さないって。そのためにこの国を再び手に入れるのよ! 巫女が統治する国としてね」
「うん、まぁ巫女ってのはよく分からんがお前の意志の強さはよく分かった。もう少し協力してやろう。ときに姫様、軍勢がほしくはないかね?」
この言葉を聞いたとき、マルガレッタは正直耳を疑った。この状況下で軍勢ですって? 何を狂ったことを言っているのかしら。目の前の男は・・・・・・。
しかしオーバーロードは大まじめだった。
「おい、そろそろ目ぇ覚ましな兄ちゃん。もう薬が効いているはずだぜ?」
「・・・・・・あんた、いったい何もんだ? 本当の魔王じゃないだろうな?」
口を開いたのはそれまで気を失っていた男だった。そう、城内でオーバーロードに負傷させられ、ここまで運ばれてきた兵士である。彼はオーバーロードからの治療を受け、驚異的な治癒力で意識を回復させていた。
「悪いが魔法は使えねぇよ。それよりも、お前純粋な教皇軍の兵士じゃねぇな?」
兵士がにやりと笑った。
「あぁ、そうとも。俺は西方諸国の王族の末裔さ。数年前に教皇軍に、同じように故郷を奪われた国の王子だ!」
その顔にはありありと憎悪が浮かんでいる。オーバーロードの耳と目はここに来るまでにあらゆる情報を拾っていた。それはこの教皇軍が決して一枚岩の軍団ではないことである。そこかしこから、略奪へのためらいと人を殺すことへの躊躇が聞こえてくる。それは先ほどから堂々と自分たちの正義を主張している人間どもとは全く逆の意見である。想像できるのは、彼らの意志がすべて統一されたものではないということ。これらを味方に付けるのは容易ではないかもしれない。しかし可能性はある。
「お前、名前は?」
「シラド。シラド・ウィルプス」
「よっしゃ。俺はオーバーロードだ。しばらく俺に従ってもらうが、お前は俺の言うとおりにしておけばでかい反乱勢力を手に入れることになる。そしてこの世界を教皇軍から奪い取る力を得るだろうよ」
もちろん、そんなことが現実になるかどうかはわからない。しかしやって損はない。というか、やらざるを得ない。彼らは既に底辺。これから這い上がっていく以外に、道などどこにも存在しないのだから。
「さて、それじゃあ俺の策を聞いてもらうから。お前にはもう一度痛い目を見てもらうぜ?」
かなり凶悪なオーバーロードの笑み。それはシラドやマルガレッタを、少なくとも震え上がらせたのだった。