序章
人気のない廃工場は、小さな町にあった。寂れた町で、老人と少しの若者、さらに少ない子供たちが住民だ。
そんな町に、一風変わった訪問者がやって来たのが一年前のことだった。訪問者はまだ若い男で、どこかギラギラした目付きさえ除けば、至って好青年といってもよかった。青年と一緒に、年配の学者風の男もおり、彼らは町で幾つか放置されたままになっている、廃工場を買い取った。
何をするつもりかと不動産業者は訝しく思ったものの、たまたま処分に困っていた廃工場が買い取すられたとあって、深く詮索はしなかった。
ちなみに買い取った青年の名は、桐生秀久といい、彼は傍らの年配の男をドクと呼んでいた。
ミスター桐生が廃工場に入ってから暫くして、地元の小学生たちの間では、廃工場を「悪の秘密基地」と呼び始めた。
大人たちは笑い話として受け合わなかったが、真偽を確実に知っていたのは、子供たちの方だった。事実、この廃工場では、夜な夜な怪しげな実験が行われていたのである。
この日の夜も、ドクは自らの実験を成功させるべく、試行錯誤を繰り返していた。そして曇天の空の下、累計516回目の落雷が起きた時に、ドクの研究は実を結んだ。
「やった! 成功だ!」
歓喜の声をあげながら、ドクはヘルメットを脱ぎとった。初老のハゲ頭は、先程の稲妻から得たエネルギーの光を受けて、青白く光っている。
そしてドクは、自分の後ろで腕を組んでいる青年に振り返った。
「オーバーロード様、ついに完成しましてございます」
オーバーロードと呼ばれたのは、あのミスター桐生だった。その顔にはいつもの快活な表情はなく、三日月のような、不気味な笑顔が浮かんでいた。
それでも、ミスター桐生は甘いマスクを被っている美青年だ。彼が不気味な顔をしていようが、世の中の女性たち、あるいは女性に興味のな殿方からは黄色い声でなを呼ばれるかもしれない。
「よくやった、ドク。これで我が野望は次なる段階に移るであろう」
ミスター桐生の腕時計が、重々しい音をたてて腕に沈んでいった。
次の瞬間、腕時計が沈んだ箇所から、黒い液体があふれでた。それはミスター桐生の体を這い、徐々に尖った装甲を形成足しつつ、彼の体全体を覆いつくした。
最終的には赤い目だけをのこし、全てを黒い装甲に包んだミスター桐生は、子供たちの目から見れば新たなヒーローに見えたかもしれない。
しかし、実際のところはそうではなく、彼は世界を征服しようと企む悪の組織の頭領だ。
「この時空転送装置があれば、どの場所にも、自由に飛べる」
「その通りです。いかに警備が厳重だろうと、無意味」
ドクが発明したのは、時空転送装置といって、敵に悟られずに自らを送り出すための装置だった。ミスター桐生こと、オーバーロードは、世界征服にこの装置を積極的に利用するつもりだ。
「では早速、試してみるとするか」
「どちらへ?」
「自宅だ」
一瞬、ドクは聞き間違いかと思ったようだ。
「あの、アメリカのホワイトハウスとか、核施設とかではないのですか?」
「え?だってはじめての稼働だよ?失敗したらどうすんの?」
実は物事には慎重なオーバーロードだ。ドクはイラっとした。
「そんなこと言わないで、試してみたらいかがですか?大丈夫、失敗しないから!」
「いや、マジで自宅からでいいから!お前、マジで失敗したらどうすんのよ?」
その時、部屋中に大声が響き渡った。
「そうはさせんぞ、オーバーロード!」
「まだ何もやっちゃいねぇよ!」
目の前に現れたのは、白銀の戦闘スーツに身を包んだ男だ。戦隊ヒーローのような出で立ちの男は、いつもオーバーロードの邪魔をする存在だった。
「オーバージャスティス、参上!」
「余計なのが来たよ。あのさ、ジャスっちよ、今まだ実験の途中なのよ。出直してくんない?」
しかし、オーバージャスティスは、オーバーロードの願いを聞くつもりなどなかった。彼にとっては、正義をおこない、悪はその芽からつむことが常識だった。
「この悪の権化め!お前が何をしようが、何をするつもりかも知らんが、それを悪と断定して潰すのが俺の役目!」
「なにもしてねえって!だから!」
「問答無用!」
言うが早いか、オーバージャスティスは殴りかかってきた。それにオーバーロードも応戦する。
「あぶねぇな! お前、目の前のものがなにか知ってる? ノーベル賞もんだぜ?」
「知らん!そして興味もない!」
しかし、ここで想定外の事態が起きた。起こしたのはオーバージャスティス。巻き込まれたのは、オーバーロードだ。
「あ」
ドクの声と同時に、オーバージャスティスの肘うちが装置のスイッチを押した。力強く。ことさら、力強く。そんな力はいらないのに。
めり込んだスイッチが押されると同時に、青白い光が増幅された。丸い形状をおびたそれが、回りのものを吸い込み始めるのに時間はかからない。
ドクは鉄の棒にしがみつき、何とか難を逃れたが、残りの二人はそうはいかない。
「離せよ!」
「なんの、道連れは正義の美学だ!」
「お前のがよっぽど、悪魔らしいわ!」
オーバーロードは、何度も敵を引き離そうとしたが、結局光の中に仲良く引きずりこまれた。
静かになった部屋のなかで、ドクは装置を見た。
そして呟く。行き先「不明」になった計器を見て。
「こりゃあ、失敗だわ」
今思えば、さっさと自宅に設定しときゃよかった。
そんなことを思いながら、冷えきったコーヒーを飲んだドクだった。