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第6話 問いと答えと

 次に呼ばれたのは、召使いのリンケだった。緊張のあまり身を縮め、視線を部屋のあちこちへ彷徨わせていた。

「あ、あの……私になんの御用でしょうか……?」

 どの質問をぶつけるか、ハンナは迷った。遠回しなところから始めるか、それともいきなり核心部分に触れるか……ハンナは考えあぐねたあげく、前者を選択した。

「リンケさん、あなたは昨日の夜、どこにいましたか?」

「昨日の夜……ですか? 自分の部屋で寝ておりましたが……」

 当たり前な答え。ハンナは、訊き方が悪かったことに気付いた。

 質問が漠然とし過ぎていたのだ。

「何時ごろ、部屋へ戻りましたか?」

 なんだそういう意味かと、リンケは納得顔でしばらく考え込んだ。

「ハンナ様をお部屋にご案内したあと、すぐ自分の部屋に戻りました。おそらく十一時前かと思いますが……」

「ひとりで、ですか?」

 ハンナの不意打ちに、リンケはあからさまな動揺を示した。

「は、はい、もちろんです」

 今のどもり方は、なんだろうか。ハンナはふたつの可能性を考えた。

 ひとつは、リンケが嘘を吐いている可能性。あのあと、やはりマシューと逢い引きしたのではないだろうか。だとすれば、マシューも嘘を吐いていることになる。彼はハンナたちに邪魔されて、リンケに会えなかったと言っているのだから。

 もうひとつは、逢い引きの時間に話が及んで、単に焦った可能性。マシューに会ったかどうかと関係なく、彼女にとって都合の悪い時間帯を尋ねられているのだ。どぎまぎしてしまうのは、かえって自然な反応かもしれない。

 リンケの様子を観察するハンナ。だが、証拠はない。いい識別方法は無いかと、彼女は考えを巡らせた。

「……ハンナさんは昨晩、他の方をお見かけになりませんでしたか?」

「他の方……ですか……?」

「例えば、ヤコブさんやハンスさんを、館内でお見かけしたとか?」

 リンケは視線を逸らし、口元に手を当てた。ぼそぼそと、小声で返事をした。

「いえ……ハンナさんをご案内してから、すぐ部屋に戻りましたので……」

「そうですか……しかし、それは妙ですね」

 ハンナは、遠回しに疑いの眼差しを投げ掛けた。

 リンケは手を膝の上に戻して、ふたたびおどおどし始めた。

「なにが……でしょうか……?」

「本当は、マシューさんにお会いしたのではないですか?」

「!」

 リンケは膝のうえで指を折り曲げ、スカートを握り締めた。

 ハンナは慎重に話を進めた。

「ど、どうして私が、マシュー様とお会いしなければならないのですか?」

「リンケさん、あなたはマシューさんと恋仲でいらっしゃいますね?」

「!」

 全身を強ばらせ、肩を震わせるリンケ。

 そんな彼女の態度が、答えを待つまでもなく、すべてを物語っていた。

「マシューさんは、結婚をお考えだったのですか?」

「……」

 リンケ、なにも答えなかった。ハンナが同じ質問を繰り返そうとしたところで、ふいにリンケは顔を押さえ、涙を流し始めた。

「すべて私のせいなんです……私が身分違いの恋などしたせいで……マシュー様が家を追い出されてしまうなんて……私さえいなければ、マシュー様は今頃……ううっ」

 オフィーリアも隣でもらい泣きしていた。捜査側が同情してはいけない。一般人のハンナが冷静で、刑事のオフィーリアが直情的。どうしてこうも役割が逆転してしまうのか、ハンナは今更ながらにわけが分からなくなった。

 ハンナはリンケが泣き止むのを待ち、それから事情聴取を再開した。

「やはり、マシューさんとお会いなさったんですね?」

「いえ……昨晩は会っておりません」

 リンケは、唐突に容疑を否定した。

 これにはハンナが面食らってしまった。さらに深く斬り込んでいく。

「あなたは昨晩、マシューさんとお会いする約束をしていましたね?」

 沈黙。ここにきて黙秘するつもりだろうか。ハンナは答えを待った。

「……はい」

「でしたら、やはりあのあと……」

 ハンナがそう言いかけたところで、リンケがむりやり割り込んできた。

「でも、昨日は会っていません。私が部屋でマシューさんを待っていると、メイド長がいらして、あなた方の接客をして欲しいと頼まれました。そのあとはもう、マシュー様と打ち合わせる機会がありませんでしたので……そのまま就寝しました……」

「なぜメイド長は、あなたに接客を頼んだのですか?」

 リンケは既に、震えを克服していた。淡々と言葉を返してきた。

「特に私の担当、というわけではありませんでした。ただ、夜遅くでしたし、寝間着に変えていなかったのが、私だけでしたので……成り行きで……」

 もっともらしい説明だった。ハンナは断りを入れると、席を立って廊下に出た。

 暇そうにあくびしていたスフィンクスと、ばったり目が合った。

「ニャ、ちゃんと見張ってますニャ!」

「分かってるって……ひとつ頼みがあるの」

「ハニャ?」

 ハンナは廊下の左右を確認し、室内のリンケに聞かれないよう、猫耳に囁いた。

「マシューの尋問が始まったら、メイド長のところへ行って訊いてちょうだい。昨晩、リンケさんが私の接客を担当した理由は何か、って」

「ニャ? そんニャこと訊いてどうするんですかニャ?」

「いいから、頼んだわよ」

 首をかしげるスフィンクスを廊下に残して、ハンナは席に戻った。居住まいを正し、リンケの瞳を直視した。リンケの顔には、赤みが戻っていた。どうやら、落ち着きを取戻したらしかった。ハンナは、安心して先を続けた。

「つまり、私たちを部屋に案内したあとは、すぐ就寝なさったのですね?」

「はい、そうです。使用人の朝は早いので、いつまでも待てませんし……」

 そのあたりの事情は、召使いに囲まれて育ったハンナにもよく分かった。肉体労働に等しい仕事なのだから、すこしでも長く眠りたいはずだ。

 ところがひとり、それを把握できない人物がいた。オフィーリである。

「ほんとうですか? 夜中に会うってことは、やっぱりベッドの中でムフフな……」

 ハンナは素早くオフィーリアの横腹に手を回し、思いっきり抓った。

 悲鳴を上げるオフィーリアと、それに驚くリンケ。

「……失礼しました。お赦しください」

 ハンナがオフィーリアの代わりに詫びを入れた。

「あ、いえ……大丈夫です……あの……」

 リンケは軽く頬染めた。何か言いたいことがあるようだった。

 すこしだけ恥ずかしそうに、先を続けた。

「マシュー様と私はまだ結婚しておりませんので……そういうことは……これは私だけでなく、マシュー様のご名誉のためにも、はっきり申し上げておきます」

 ああ、そういうことか。ハンナは全てを察して、その場をお開きにした。

「色々失礼しました。これで結構です」

 ハンナはわざわざ席を立ち、廊下まで彼女を送り出した。

 とびらが閉まったところで、ゆっくりとオフィーリアの方を振り向いた。

 オフィーリアは横腹を押さえながら、ハンナの視線を捉え返した。

「ハンナさん、今の話を信じるんですか?」

「……なにが?」

「結婚してないから、ごにょごにょしてないって話ですよ。ありえないでしょ?」

 オフィーリアの発言に、ハンナは首をかしげた。婚前交渉などしないに決まっているではないか。ハンナの世界では当たり前のことだった。

「そんなことしたら、とんでもないことになるわよ。屋敷を叩き出されちゃう」

「……みなさん、結構ストイックなんですね」

 オフィーリアは、さっぱり事情が飲み込めないと言った顔をした。

 自分たちのなにがすれ違っているのか、ハンナには分からなかった。

 とりあえずこの話は終わらせて、次の尋問に取りかかることにした。

「というわけで、いよいよ重要参考人のお出ましね……」

 ハンナは廊下のスフィンクスに声をかけて、マシューを連れて来させた。

「さてと、なにを訊きたいのかな? 現場で、ほとんど話しちゃったけど」

「昨晩、私たちに逢い引きを邪魔されたあと、なにをしていましたか?」

 マシューはハンナの質問を鼻でせせら笑った。

「そのまま着替えて寝たよ。タイミングってもんがあるんでね」

「タイミングというのは?」

「夜中の見回りさ。うまく合間を縫えるのが、夜の九時半から十時半まで。あんたらが来たのが、ちょうどその時間帯だったってわけ。ピンポイントな妨害だったよ」

 ハンナは自分の中で、もういちど時系列を整理した。この館に到着したのは、おそらく九時半頃。それからマシューに会い、応接間に通されてヤコブと会話をした。リンケとともに寝室へ向かい、ベッドに入ったのがおよそ十一時頃。全て辻褄が合っていた。

 ハンナはしっかりとそれを記憶してから、べつの質問に移った。

「ということはあのあと、リンケさんには会わなかったわけですね?」

「もちろん……そんなこと出来っこないだろ?」

「廊下ですれ違ったりもしなかったのですか?」

 マシューは言葉で返す代わりに、首を左右に振った。

「……ずいぶんと、保身的なのですね」

 ハンナは無意識のうちに、そう呟いていた。

 マシューの顔が曇った。

「保身的……? どういう意味だ?」

「いえ、なにも……それより昨晩はだれか……」

「待てよ。オレの質問に答えないなら、もうおひらきにしてもらうぜ」

 マシューは、かたくな態度を取った。

 どうしたものか。おろおろするオフィーリアの横で、ハンナはしばらく悩んだ。

「……分かりました。率直にお答えします。マシューさん、あなたはリンケさんのことを本当に愛しているのですか?」

 ハンナの質問が癪に触ったのか、マシューはテーブルに肘をつき、前傾姿勢を取った。

「ああ、愛してるよ……それとも、なにかの演技だって言うのか? オレとリンケがつるんで、ヤコブ兄さんを殺したって言いたいのか?」

「そういう意味ではありません……ただ、マシューさん、あなたはリンケさんをそこまで大事にしていない印象を受けるのですが……」

 マシューはテーブルをこぶしで叩いた。怒りに満ちた顔で、ハンナを睨みつけた。ハンナも怯まずに、鋭い目付きをますます険しくして、少年の瞳を見つめ返した。

「どういう了見なのか、説明してもらおうか……返答次第じゃオレも……」

「マシューさん、あなたは発明の才能がおありだそうですね……いえ、お答えにならなくても結構です。だれから聞いたのか、それは言えませんので……もしそうなら、なぜリンケさんを連れて家を出ないのです? この館にいる限り、リンケさんもあなたも、窮屈な思いをするだけでしょう。なぜ駆け落ちという方法を取らないのですか?」

 マシューは小馬鹿にした顔で、椅子にもたれかかる。

「そんなのは他人事だから言えるのさ……オレもリンケも、この屋敷を出たら行く当てがないんだ。親戚からはハブられるだろうしな……あんた、オレの見立てだと、いいところのお嬢さんなんだろ? おっと、答えなくてもいいぜ。今朝の食事マナーを見てりゃ、ただの旅人だとは、誰も思わないからな。言葉遣いだって、そうだ。普段がさつに喋ってるのは、どうせ演技なんだろ?」

 マシューはそこでひと息吐いた。

 ハンナは敢えて、この挑発に乗った。

「私がどこぞの令嬢だとして、それがどうしたと言うのです?」

「だったら分かるだろう……一回手に入れた優雅な生活は捨て難いってな……」

 優雅な生活。確かにその通りだ。この屋敷にいる限り、衣食住は保証されている。彼女も昔は、同じ考えを持っていた。外界の自由に憧れるのは、未熟な理想主義だと。

 だがハンナは今、まったく違う答えを返した。

「私には分かりません」

 彼女が旅を始めた目的。それはある少年を見つけ出すこと。それが恋なのか、それとも憧れなのか、ハンナ自身にも分かってはいなかった。だが、そのような背景があるからこそ、目の前のマシューが意気地なしに映るのだった。

 それとも、そう判断すること自体が傲慢なのだろうか。ハンナは自分自身に問うた。

「……あんた、もしかしてワケありって奴か?」

 マシューの言いたいことを、ハンナはすぐに了解した。

 首を縦に振り、お互いに視線を交わした。

「そうか、それで旅をねぇ……相手はどこにいるんだい?」

「私の知らないところに」

 異世界。自分たちの世界とは異なる、異郷。そう説明したところで、マシューには伝わらないだろう。ハンナはそう考えた。

 彼女の境遇からすれば、ひとつ屋根の下にいるマシューとリンケは、それだけで恵まれた境遇にあった。すくなくとも、ハンナには羨ましく思えてくるのだった。

 ふたりの睨み合いは続き、ついにマシューが折れた。

「……で、次の質問は?」

「昨晩、館のなかで、だれかに会いませんでしたか?」

 マシューは背もたれから背中を離した。

 じっと考え込んだあと、思い出したように先を続けた。

「そう言えば……ヤコブ兄さんに会ったな……」

 被害者との遭遇。それを隠さないところに、ハンナは畏怖の念を抱いた。

 それとも、ただの楽天家なのだろうか。自暴自棄になっている可能性もあった。

「何時ごろですか?」

「そんなのいちいち確認してないさ……あんたらが来たあとだ……」

「なにか話したりしましたか?」

 マシューは首を左右に振った。

「兄貴のやつ、オレを見た途端、そっぽを向いて部屋に戻って行ったよ」

「……そうですか」

 ハンナは、オフィーリアを横目で見た。彼女からの質問は無さそうだった。

「……どうも、ありがとうございました」

 マシューが出て行く。それを見送ったハンナは、口を噤んだまま席を立った。

 オフィーリアはメモ帳をひらきながら、ぼんやりと彼女に声を掛けた。

「どうしますか? ほかの人からも話を聞きましょうか?」

「ちょっと待って……考えをまとめてから……」

 ドアをノックする音。

 ハンナが返事をすると、スフィンクスの猫耳が、とびらの隙間から生えてきた。

「スフィンクス、どうだった?」

「分かりましたニャ。リンケさんが呼ばれたのは、彼女がメイド服を着たまま、部屋にいたかららしいですニャ」

「私服じゃなかったのね?」

「違いますニャ。メイド服だって、はっきりこの猫耳で聞きましたニャ」

 ハンナはそれを予期していたかのように、哀しげな相槌を打った。

「ありがとう、スフィンクス。これで犯人が分かったわ……トリックに、動機もね」

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