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第6話 用意されていたシナリオ

「お待たせして申し訳ありませんでした、アーツ先生」

 軽く頭を下げるハンナの前で、アーツと呼ばれた医者はパイプに火を点けた。

 一服して口の端から煙を吐き出し、ハンナと目を合わせる。

「構わんよ。これも医者の仕事だからね」

 アーツはもう一服してパイプを口から離すと、事務的な口調で用件に入った。

「さて、何から聞きたい?」

「まずは、ポッセさんの死因からお願いします」

 やはりそこかと軽く頷き、アーツは説明を始める。

「死因は胸部大動脈瘤破裂だ。心筋梗塞かと思ったが、見立て違いだったね。死亡時刻は昨晩の10時から14時の間と考えていい」

「きょうぶだいどうみゃくりゅうはれつ?」

 ハンナは、聞き慣れない病名に顔を曇らせた。

 そこへオフィーリアが助け舟を出す。

「胸の血管にこぶができて、それが破裂しちゃう病気ですよ」

 オフィーリアの解説に、アーツも頷き返す。

 ハンナはその症状を頭の中で思い描いてみるが、うまくいかない。諦めて、自分なりの解釈をアーツにぶつけてみる。

「つまり、ポッセさんは心臓を患っていたということですか?」

 そこだと言わんばかりに、アーツはパイプの吸い口をハンナに向けた。

「それがね、私が1週間前に診察したときには、そんな兆候は無かったんだよ……。いや、見落としていたんだろうと言われればそれまでなんだが……しかし……」

 アーツはそこで言葉を濁した。私に限って見落としはありえないと言った感じの、妙に自信のあるオーラが顔に滲み出ている。

 ハンナはこれを機会に、クラスから聞いた情報へと質問の舵を切った。

「クラスさんからお聞きしましたが、あなたの診断では、ポッセさんの余命はもう半年もなかったそうですね。血管の破裂とは別の病気だったのですか?」

 アーツは少し不快そうな顔をし、パイプをもう一度くゆらせる。

「クラスくんから聞いたのかね……。いくら警察相手でも、患者の容態を気軽に漏らしてはいかんのだが……」

 職業倫理的な不満を口にしながらも、アーツは仕方ないと言った様子で先を続ける。

「確かにポッセ氏の余命は、長くて半年を切っていたな。末期ガンだったからね」

 またよく分からない病名を聞かされたハンナだが、後でオフィーリアから教えてもらえばいいと考え、さらに踏み込んだ質問をする。

「それをポッセさんに伝えましたか?」

「ああ、話したよ。ポッセ氏とは、そういう約束だったんだ。いかなる病名であれ、判明したものは全て告知する。ポッセ氏の主治医になったとき、そういう条件が出たからね」

 ここまでは、ハンナの予想通りだった。

 ハンナはさらに、話題を核心部分へと近付ける。

「そのことを知らされたポッセさんは、どんな反応をしましたか? ショックを受けていたとか、塞ぎ込んでいたとか、そういうことは……?」

 アーツは膨大な数の患者を思い起こすように、親指と人差し指を眉間に当て、目をギュッと瞑った。

 一分ほどして、アーツはようやく瞼を上げる。

「……そうだな。特にショックを受けていたようには見えなかったが……」

「ではポッセさんは、今後の進退について何か口にしませんでしたか? どんな些細なことでもいいのですが」

「うーむ……自分の進退ね……」

 アーツはパイプの火が消えていることも忘れ、前歯で吸い口を軽く噛んだ。

 それから何かを思い出したように、スッと下唇を折り曲げる。

「そう言えば……遺産を整理しなきゃならんとか言ってたな……」

「遺産……? それはどういう意味ですか? 遺言状のこととか?」

「さあ、そんな細かい家庭の事情は知らんが……まあ、こんな事件があっては、その遺産整理とやらも無駄に終わったんではないかね」

 何気なく言い放たれた台詞が、ハンナのアンテナに引っかかる。

「それはどういう意味ですか? まさか、国に没収されるということでは……」

 ハンナが言い終えるまでもなく、アーツは感心したように頷き返した。

「ほお、それをご存知かね。……その通りだよ」

「でも、これは殺人事件とは限らないのですよ? 自殺かもしれないし、あるいはただの病死かもしれない……。それに、他殺だとしても犯人が……」

 ハンナの合理的な解釈に、アーツはハハッと笑った。

 毒を含んだ大人の笑いだった。

「なるほど、そこまで詳しく聞かされていないようだな。よろしい、少し裏話をしよう。確かに、この法律が適用されるのは、貴族が身内に殺害された場合に限られる……が、だ。犯人は見つからなくてもいいし、そういう可能性があるだけでいいのさ」

 ハンナはポッセから聞かされた註釈を思い出した。犯人は分からなくてもいいのだ。

 けれどもそれでは、まだ疑問が解消されない。

 ハンナは大人しく、話の続きを待つことにした。

「さて、何でこんな法律ができたと思う? ……いや、分からんでも結構。お嬢ちゃんはまだ若いからね……。端的に言ってしまえば、国王と貴族の政争なんだよ。敵対的な貴族の領地を没収したり、あるいはポッセ氏のような成り上がりの富豪の財産に目をつけたり……。まあそういう話なのさ」

 目をつけた、という微妙な言い回しが、ハンナにある予感をもたらす。

「つまり……ポッセさんに貴族の称号が送られたこと、それ自体が政治的陰謀だと?」

 物わかりのよいハンナに、アーツは父親のような笑みを返す。

「もちろん、そのためにポッセ氏を暗殺するほど、今の国王もワルじゃない。だが、こういう状況でポッセ氏が不審な死に方をした以上、王の使節はそこを突いてくるだろうね。ヘステルくんたちに、それと渡り合う度量はないよ……。おっと口が滑ったな」

「……ポッセ氏は、そのことに気付いていましたか? 何か陰謀があると?」

 アーツは少しばかり黙り込むと、自分でも合点がいかないように眉をひそめる。

「そこなんだよ……そこが私にも分からん……ポッセ氏は、未来が透けて見えるようなタイプの人だったから、爵位は断ると思ったんだが……。正直、私も驚いたよ」

 新たな謎。何も解決することなく、検屍報告は終わった。

「他に何か訊きたいことはあるかね? そろそろ回診の時間なんだが」

「いえ……どうもご足労をお掛けしました……」


  ○

   。

    .

    

 その後ハンナたちは、何人かの使用人に話を伺い、ヘステルたちの証言に全く嘘偽りがないことを確認した。ポッセの死体が発見されたときは3人とも食堂におり、それ以前に怪し気な行動を見かけた者もいなかった。クラスの夜のアリバイも、同伴した従者によって保証された。

 もはやお手上げかというところで、ハンナは例の女、昨晩コーヒーを持って来た女中に、食堂でばったりと出会った。

「あらハンナ様、いかがなさいまして?」

 探偵に対する礼節と好奇心の入り交じった眼で、女中はそう尋ねた。

 ハンナは、彼女もまた重要参考人であることを思い出す。

「ひとつ訊いていいかしら……えーと……」

「イリーナと申します」

 女中は接客的な笑顔を崩さずに、そう名乗った。

「イリーナさん、あなたは昨日の夜、コーヒーを持って来てくれたわよね? あれは、本当にデイ・ポッセさんからの差し入れだったの?」

 質問の中身が意外だったのか、イリーナは目をぱちくりとさせ、おずおずと答えを返す。

「は、はい、ポッセ様から直に言いつけられましたが……それが何か……?」

「そのコーヒーを淹れてる間、少し目を離さなかった?」

 質問の意図が掴めないのか、イリーナは口を噤む。

 ハンナは質問を言い換えた。

「例えば、テーブルの上に起きっぱなしにしていたとか……」

「いいえ、ポッセ様の目の前で淹れた後、すぐにお持ちしましたよ。冷めてしまうといけませんから」

 イリーナの返事は、ハンナをますます混乱させた。これでは、コーヒーに睡眠薬を入れる機会がなかったことになってしまう。それとも、この女中が……。疑問が多過ぎて、ハンナはだんだんと疑心暗鬼になってきた。

 そこへ追い打ちを掛けるかのように、イリーナが口を開く。

「あ、それともうお聞きかもしれませんが、そろそろお部屋の荷物をまとめていただけませんでしょうか?」

 意味が分からないと言った顔で、ハンナはイリーナを見つめ返す。

「……荷物をまとめる? 出て行けってこと?」

「申し訳ございませんが、ホディエ様のお言いつけです」

 申し訳ないと言いながらも、イリーナは極めて事務的な口調でそう伝えた。

 自分たちが面倒な客だと思われていることに、ハンナはあらためて気付かされる。

「……そうはいかないわ。私はデイ・ポッセさんと契約してるのよ? ホディエさんに何かを言われる筋合いは……」

「だからこそですよ。個人的な契約である以上、ポッセ様がお亡くなりになられた場合は、速やかにお屋敷を引き払っていただかないと。正式な雇い人ではありませんので。契約書にもそう書かれているそうですし……」

 イリーナの無慈悲な説明に、スフィンクスが後ろでニャンと鳴いた。

「自分が死んだときのことまで考えてたんですかニャ。これじゃまるで、死ぬことが分かってた見たいですニャ」

 ハンナがスフィンクスに注意しかけたところで、イリーナが先に割って入る。

「ええ、ポッセ様は、常に先のことをお考えになられていましたからね。いつ株が上がるのか下がるのか、いつ土地が高くなるのか安くなるのか……そういう情報を、2、3日前にはぴったりとお当てになられるんですよ。それに神出鬼没な方で、いきなりいなくなったかと思えば、パッと現れたりして……。まあ、そういう才能のある方ですから、体に負担が大きかったんでしょうね……50過ぎでお亡くなりになられるとは……」

 イリーナは小市民的な感慨に耽りながら、ふぅと溜め息を吐いた。

 ハンナの眉毛が動く。

「50過ぎ……? それって年齢のこと?」

 ハンナの質問に、イリーナはきょとんと顔を向けた。

「ええ、もちろんですよ。正確には存じませんが、52、3だと聞いております」

「嘘……どう見ても70は過ぎて……」

 その瞬間、ハンナの脳内で、ポッセの台詞が次々とフラッシュバックした。

 渦を巻く記憶の洪水の中で、ハンナはぼそりと呟く。

「そうか……それがトリックと動機だったんだわ……」

 ハンナは食堂を飛び出し、オフィーリアとスフィンクスが慌ててそれを追う。

 人気の無い廊下で、ハンナは走りながら叫んだ。

「今夜が勝負よ! ……犯人を説得するわ!」

次回は解決編になります。

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