第5話 3人の容疑者たち
検死が行われている間、ハンナたちは主要な参考人を控え室に呼び出し、一人ずつ事情を伺うことにした。
初めに選ばれたのは、長男のヘステルだ。
ヘステルは、上等なニス塗りの椅子にふんぞり返りながら、面倒くさそうにハンナたちの顔を順繰りに見比べていた。
「で、俺に何を聞きたいのかな、お嬢ちゃん?」
挑発的なヘステルの態度を気にも留めず、ハンナはいきなり本題に入る。
「昨晩10時以降、どこにいらっしゃいましたか?」
「10時以降? ……そんなの覚えてねーよ」
ヘステルは体重を前にかけ、今度は猫背気味にハンナの顔を見つめ返してくる。
どうにもいやらしい視線だ。女だと思ってあからさに見くびられているのが分かる。
それでもハンナは毅然として、質問を続けた。
「ヘステルさん、それはアリバイがないと受け取ってよろしいのでしょうか?」
「……アリバイ?」
そこで初めて、ヘステルの表情が変わった。妙な真剣味を帯びてくる。
「親父は病死だろ……? 大方、心臓発作か何かに違いねえな」
「それは、医師が判断することです。昨晩のことについて、何か思い出しましたか?」
ハンナの誘導に、ヘステルも諦めたように乗ってくる。
「そうだな……10時といやあ、部屋で酒を飲んでたかな……よく覚えてねえ」
敢えて奇を衒わないところを見ると、どうやらなかなか抜け目がないらしい。嘘を吐くときは過度に整合性を気にしてしまい、それで墓穴を掘る人間も多いと聞く。無理にアリバイを作ろうとしないのが、ヘステルなりの賢さだろう。
ハンナはヘステルの人物評を上書きしながら、先を続けた。
「今朝、デイ・ポッセさんの死体が発見されたとき、どこにいましたか?」
今度は言い逃れができない質問だ。深夜とは異なり、人目につく時間帯。
そんなハンナの思惑を見越したのか、ヘステルはあっさりと口を割る。
「食堂にいたさ。ホディエとクラスもいたな。あとは使用人も何人か」
一見、完璧なアリバイだった。極めて検証性が高い。
後で裏を取ろうと考えながら、ハンナは別の質問をぶつける。
「失礼ですが、お母様は?」
「おふくろなら、もう10年以上も前に死んだよ」
なるほど、どおりでポッセの妻を見かけないわけだ。
ハンナはそう納得し、最後の、そして一番重要な質問に取りかかる。
「ヘステルさん、この手帳をご存知ですか?」
ハンナはテーブルの下に隠していた呪いの手帳を取り出し、ヘステルに見せた。
それを前にして、ヘステルは何か合点がいったように、ニヤリと笑う。
「ははーん……それで俺たちを取り調べてるってわけか……病死なのに、警察がウロチョロしてるのは変だと思ってたんだが……」
「ということは、これが何かご存知なのですね?」
「ああ……子供の頃、親父が俺たちに見せてくれたからな……。と言っても、まさかそんなお伽噺を信じてるんじゃねーだろうな?」
ヘステルは小馬鹿にしたように、大声で笑った。
ハンナは黙って鉛筆を持ち、手帳の最初のページを開く。
「では、試しにあなたお名前を書かせていただきましょうか、ヘステル・ポッセさん?」
ヘステルは椅子を鳴らして立ち上がり、顔を強ばらせる。
「そ、そういう冗談は止せよ……」
ハンナはヘステルの瞳をじっと見つめ返す。
彼の額には、大粒の汗が浮かんでいた。
「……失礼致しました。これで質問を終えます」
○
。
.
「このような無作法な真似をして、後で署長に掛け合わせていただきます!」
ホディエの見当違いな脅しを無視して、ハンナは早速尋問を始める。
どうせこの事件さえ解決してしまえば、ハンナたちは次の世界へ移るのだ。オフィーリアがどこから来ているのか、彼女にもイマイチ分からなかったが、やはりホディエの脅迫などどうでもいいという顔をしていた。
「今朝、ポッセさんが発見されたとき、どちらにいらっしゃいましたか?」
「今朝……? 皆で食堂にいましたわ……。それがどうかして?」
ホディエは神経質な声でそう答えた。
「『皆で』というのは?」
「お兄様と弟と……それから召使いたちですわ」
ヘステルの証言と一緒だ。ハンナはそれを記憶しておく。
「では次に……昨日の夜10時から朝食の時間までの行動を、簡単に説明していただけませんでしょうか?」
ハンナのアリバイ探しに、ホディエはプイッとそっぽを向いた。
「答えたくありません」
手のかかる女だ。そう思いつつ、ハンナは先に手帳を見せることにした。
ハンナがテーブルの上に手帳を置くと、ホディエの頬がサッと青ざめる。
「そ、それは……」
「ご存知なのですね?」
「し、知りません……」
ホディエはそう言って、視線を逸らせた。
ハンナは追及の手を休めない。
「ヘステルさんは、これが何かご存知でしたが……あなたは記憶にないと……?」
ホディエは素の性格が出てしまったのか、チッとあからさまに舌打ちをした。
内心で兄のことを罵っているのだろうと推測し、ハンナは女の対応を待つ。
「……思い出しましたわ。名前を書くと人が殺せるとかいう、子供騙しの代物でしょう?」
「子供騙しですか……では、ここにあなたの名前をお書きしてもよろしいですね? 少し紙を切らしてまして……メモを取りたいのですが……」
ハンナが言い終わる前に、ホディエは慌てて手帳に腕を伸ばす。
だがホディエの緩慢な動作よりも、ハンナの方が素早かった。
サッとテーブルから手帳を拾い上げ、テーブルの下に仕舞い込んだ。
「冗談ですよ……大事な証拠品ですからね……。ところで、昨晩何をなさっていたのか、そろそろ教えていただけませんでしょうか?」
ホディエは歯ぎしりして、こめかみに青筋を立てた。自分のことを身分の低い女扱いしていたが、ホディエの方がよほど酷いではないか。ハンナはそんな評価を下す。
1分ほど経って、ホディエは観念したように口を開いた。
「昨晩は、9時には部屋へ戻り……少し本を読んで寝ましたわ……。起きたのは、いつも通り6時で、着替えて化粧をしてから、食堂へ下りました」
「証人はいますか?」
「……確か、部屋を出たときに何人か召使いとすれ違いました。その者たちが証言してくれるでしょう」
やはり夜中の行動は再現できないか。
ハンナは少し肩を落としつつ、尋問を切り上げた。
「ありがとうございました。これで結構です」
○
。
.
「昨日の夜10時ですか? ……召使いの者と一緒に、研究室で薬剤の調合をしていたと思いますが」
次男のクラスは、アリバイを淡々とそう説明した。
ハンナもすらすらと質問を続ける。
「その召使いの名前を教えていただけませんでしょうか?」
ハンナの問いに、クラスは2人の男の名前を挙げた。ハンナはそれを記憶し、今度は手帳を取り出す。
手帳を前にしても、クラスは平然とした態度を崩さなかった。
「死の手帳ですか……父が死んだのは、それが原因で?」
「……驚かれないのですね」
クラスはクイっと眼鏡を押し上げ、軽く溜め息を吐く。
「ええ……父が自殺するのではないかと、以前から心配していたもので……」
「自殺?」
ハンナは思わず身を前に乗り出した。
そんな彼女を他所に、クラスは平然と先を続ける。
「父は内蔵を煩っていましてね……おっと、なぜそんなことを知っているんだという顔をしてますね……。私はこう見えても医学生なのですよ。今日検死にいらしたアーツ先生は、私の師匠です……。そのアーツ先生の見立てでは、父はもう余命半年もないとのことでした。父の体調がおかしいのには、私もさすがに気付いていましたが……」
老人自身の口から聞かされていなかった情報に、ハンナは戸惑いを隠せない。
「そうですか……ところで第一目撃者は、あなただと聞きましたが?」
「ええ、毎朝中庭で犬の散歩をしてるんです。ちょうどあの部屋の前を通りかかったとき、連れていた犬がいきなり吠え始めましてね。窓の方を威嚇していたので、てっきり室内にネズミでもいるのかと思い覗いたら、あの有様で……」
「窓から覗いたとき、ポッセさんが亡くなられていることに気付きましたか?」
クラスは言葉を返す代わりに、首を左右に振った。
ふたりの間に、沈黙が流れる。
「……有益な情報、ありがとうございました」
ハンナがうつむき加減にそう言うと、クラスはあっさりと腰を上げ、部屋を出て行った。
バタンとドアが閉まったところで、スフィンクスがぶつぶつと文句を言い始める。
「自殺だったんですかニャ……人騒がせですニャ……」
スフィンクスが背もたれに寄り掛かり、両腕を後頭部に回したところで、ハンナがふいに自分の親指の爪を噛んだ。
険しい顔付きで宙を見つめている。
「……その推理、ちょっと検証が必要よ」
「ニャ?」
スフィンクスは体勢を戻し、ハンナを凝視する。
ハンナは親指の爪を噛んだまま、身じろぎもせず物思いに耽っていた。
「自殺じゃないってことですか?」
オフィーリアがハンナの集中力を乱す。
「分からないわ……確かに一番合理的な説明だけど……現場は密室だったし……。でも、それじゃ説明のつかないことがあるのよ。まずポッセさんは、なんであの空き部屋で自殺したのかってこと……鍵まで掛けて……。どうせ死ぬなら、密室なんて必要ないじゃない?」
「他の人に邪魔されたくなかったとか?」
オフィーリアが思いつきのアイデアを出す。
しかしハンナは、あっさりとその可能性を否定した。
「それなら、自室で死ねばいいでしょ? そもそも首吊りと違って、手帳に自分の名前を書くだけなんだから、誰も邪魔したりしないわ」
うーんとオフィーリアは唸り、腕組みをして黙り込んでしまう。
それでもハンナは独り言のように、疑問点を羅列していく。
「それに……こっちの方が問題なんだけど……ポッセさんはどうやって手帳を私たちから取り返したの? 例のコーヒーに睡眠薬が盛ってあったとしても、私たちの部屋は内側から鍵が掛かってたじゃない? しかも、外から開けられるタイプじゃないやつが……。部屋は3階にあるから、老人が窓から入れるとも思えないし……」
「金庫に最初から入れてなかったとか? あるいは、偽物を入れたとか?」
一見尤もらしいアイデアだが、ハンナはそれも否定した。
「ポッセが金庫に入れた手帳は、これとマーブル紋が同じだったわ。この端っこの鳥目みたいになった模様とか、角がめくれてるところとか……私の記憶と完全に一致してるし……」
ハンナの解説に、オフィーリアは考えることを放棄した。
しばらく沈黙が続いた後で、ハンナがおもむろに口を開く。
「検死の結果を聞いて、それから他の使用人に聞き込みをしましょう」




