第1話 嵌められたオオカモメ
第三世界にやって来たオオカモメは、突然身に覚えのない窃盗の容疑で逮捕されてしまう。ところが、町の有力者と思わしきポッセ老人に保釈され、彼の屋敷でボディーカードを引き受けるはめになった。老人が言うには、息子たちの誰かが自分を殺そうとしているらしいのだが……。
【登場人物】
ハンナ 主人公。とある事情で自分の世界を追い出され放浪中。
デイ・ポッセ 一代で莫大な財産を築いた相場師。
ヘステル ポッセの長男。
ホディエ ポッセの長女。
クラス ポッセの次男。
アーツ デイ・ポッセ老人の主治医。
イリーナ ポッセ家に仕えるメイド。
ミステリー度 ★★
オカルト度 ★★★
「ちょっと、ここから出しなさい!」
とある警察署の牢獄から、それは始まった。
鉄格子を揺さぶり、中に閉じ込められたハンナが大声で叫ぶ。
「これは不当逮捕よ!」
声の宛先は、目の前で椅子にもたれかかっている、でっぷりと腹の出た中年男。男はよれよれの警官服に身を包み、昼間からあおったアルコールで上機嫌の様子だ。爪の手入れをしながら、ハンナの抗議をニヤつき顔で聞いている。
「それはできない相談だなあ、お嬢ちゃん」
男はそう言うと、ゲフッと大きくゲップをし、初めてハンナの方へと顔を向けた。
「お嬢ちゃんが泥棒だってことは、もう調べがついてるんだよ。諦めなさい」
「取調べもしてないのに、何言ってるのよ! ふざけないで!」
男はやれやれと肩をすくめ、面倒くさそうに耳の穴を小指で掻く。
「あのね……お嬢ちゃんが市場で物を盗んだのを見た人がいるんだよ。しかも、お互いに面識のない男がふたりもね。要するに、現行犯ってことだ。取調べの必要はない」
「そのふたりをここに連れて来なさい! 私が論破してやるわ!」
「そいつらなら、とうに現場で別れたよ。1時間も前にね」
「メチャクチャだわ! そんなデタラメな捜査が許されると思ってるの!?」
息巻くハンナ。だがそれとは対照的に、警官はもはや反論するのも億劫になったらしく、耳垢をフッとひと吹きして席を立った。
「ま、市場での窃盗くらいじゃ、こっちも酷いことはせんよ。10日ほどそこにいてもらえばいいだけさ。それじゃ、ここらで……」
その瞬間、バタンと勢いよくドアが開き、若い警官が部屋に飛び込んで来た。男は太った男の前に息を切らせて駆け寄り、形だけ敬礼のポーズを取る。
「なんだ? 騒々しいぞ」
太った男が怪訝そうに尋ねた。どうやらこのふたり、上下関係にあるらしい。
「そ、それが……」
若い警官は上司の耳を借りると、手短に用件を囁く。
すると上司の顔が見る見る朱に染まり、脂汗が噴き出し始めた。
「ポッセ様が!?」
「は、はい、この女を釈放して欲しいとかで……」
「ポッセ様はどちらに?」
「上の応接間に……!?」
そのとき二人の警官は、入口にひとりの老人の姿を認めた。簡素だが一目で高級品と分かるスーツを纏った老人は、杖をつきながら許可もなく部屋の中へ入って来る。
それを見た男たちは、一斉に背筋を伸ばして敬礼をする。
「ポ、ポッセ様! このようなところへ、な、何の御用でしょうか!?」
老人はさらに前へと進み、値踏みするように太った男の顔を見つめた。
男の額から流れ出る脂汗が、たらりと一筋の線になり、鼻筋を伝わる。
「お務めご苦労……いや、何も言わんでよろしい……。今日ワシがここへ寄ったのは、そこのお嬢さんを出してやって欲しいからなんじゃよ……」
「お、お言葉ですが、この娘はドロ……」
コホンと、老人が咳払いをする。男は口答えを止めた。
「その件じゃが……証人のふたりは、先ほどワシに確約してくれたよ……この娘が物を盗んだというのは、どうやら見間違いだったとな……。ふたりとも警察署の玄関に待たせてあるから、後で確認するといい……」
太った上官は、部下の若い男に目配せする。本当か、という顔だ。
若い男は、こくこくと頷くばかりだった。
「では、ワシはこれで……」
その言葉を最後に、老人は部屋を出て行った。
警官たちはぼんやりとその背中を見送った後、慌てて鍵束を取り出し、牢屋を開け、ハンナを丁重に連れ出した。
「し、失礼致しました。まさか、ポッセ様のお知り合いとは存じませんで……」
知り合いなどではない。あの老人に、ハンナは見覚えがなかった。確かなのは、彼が町の有力者と言うことだけだ。それも警察権力が頭を下げるほどの。
「玄関は、そこの階段を上がって右に……」
「分かってるわよ。目隠しされてたわけじゃなし」
突然慇懃になった男たちに呆れながらも、ハンナは部屋を後にした。
扉を出た先にある階段を上がり、そこから右へ折れる。さらに十字路に出たところで、今度は左。だんだんと人の声が聞こえてくる。
警察ホールに辿り着くと、赤い服の猫耳少女が駆け寄って来た。スフィンクスだ。
「ニャハー! ハンニャ様! 無事でしたかニャ!」
スフィンクスはハンナの胸元に飛び込んだ。
「ニャハー……心配しましたニャ……」
「ちょ、ちょっと、人が見てるでしょ」
いくら女同士とは言え、警察署の中で抱き合うのは人目につく。ハンナはスフィンクスを押し返そうとしたが、スフィンクスは猫耳をぴくぴくさせるばかりでびくともしない。
そんなやり取りをするふたりの少女たちに、先ほどの老人が近付いて来る。
「スフィンクス! 離れなさいってばッ!」
ハンナは何とかスフィンクスを引き離し、姿勢を正して老人と向かい合う。
「さきほどは、ありがとうございました……」
「なに、構わんよ……。ここでは何だから、馬車で話をしよう……」
ポッセはそう言うと、一足先に警察署を後にした。
ハンナはすぐには後を追わず、スフィンクスにそっと耳打ちする。
「あの老人、誰? ポッセとか言ってたけど……」
「知りませんニャ……おいらもここで初めて会いましたニャ……」
ハンナは警察署の入口へと目をやる。老人の姿は既に消えていた。
馬車で話す。老人の一方的な約束に、ハンナは眉をひそめる。
「どうしますかニャ? トイレの窓から逃げますかニャ?」
「……なるほど、そういうことか」
ハンナは事情を察したかのように、ひとりでうんうんと頷いた。
スフィンクスはハニャーと謎めいた鳴き声を上げる。
「とりあえず馬車が待ってるみたいだから、行ってみましょう」
ハンナはそう言うと、警察署の入口へと向かった。後を追うスフィンクス。
ふたりが外へ出ると、眩い日差しの中に、二頭立ての豪勢な馬車が現れる。御者は待ちくたびれたのか、口に手を当ててあくびをしていた。
「あれね……」
「ハンニャ様、怪しいニャいですニャ。変なロリコン親父かもしれニャですニャ」
「そのときは股ぐら蹴り上げて逃げりゃいいのよ」
物騒なことを言いながら、ハンナは馬車に歩み寄る。
後部座席のドアが開き、その奥には進行方向に向かって座る老人の姿があった。
「乗らんのかね?」
老人はちらりと視線をハンナに向ける。
ハンナは黙って馬車に乗り込んだ。スフィンクスも同乗したところで、御者が馬の尻をひと叩きし、車輪が回り始める。
小窓を流れる風景には目もくれず、ハンナは正面に座った老人の目を見据えた。
「貴方様が、私に手紙を下さった……」
「堅苦しい言い回しは要らんよ……。君の素性は、既に調べてある」
老人はそっけなくそう言うと、ハンナの次の台詞を待つ。
ハンナはキッと口元を結び、先ほどの質問を言い直した。
「あなたが、私にこの招待状をくれた人?」
そう言って、ハンナは懐から一枚の紙切れを取り出す。
隣に並んで座っていたスフィンクスが、その猫目を丸くした。
「ハニャ? それはニャんですかニャ?」
ハンナは二つ折りになったそれを開き、歌うように読み上げる。
「『背景、オオカモメ様。あなたの名声は、既に聞き及んでおります。ぜひお頼みしたことがありますので、明日の12時にカレンダエ広場へお越し下さい』……。日付も署名もないからまさかとは思ったけど……あなたが送り主だったのね?」
少女の挑みかかるような視線に、老人は小気味よい笑みを浮かべる。
「左様、ワシの名前はデイ・ポッセ……おまえさんの雇い主だよ」
「ちょっと待って。まだ雇われる約束はしてないわよ」
ハンナは敢えて強気な態度に出た。ポッセの掠れ気味な声には、そうでもしなければ気圧されてしまいそうな何かが感じられたからだ。
「ほお……ワシの頼みにケチをつけた人間は、久しぶりじゃの……」
そう呟いて、ポッセは含み笑いを浮かべる。
「あなたがこの町の実力者だってことは、おおよそ見当がつくわ。でなきゃ、捕まった人間をあそこまで簡単に連れ出せないでしょうしね……。でもだからって、私があなたの言うことを聞く理由にはならないわよ」
ハンナの反論に、老人はわざとらしく驚いてみせる。
「牢屋から出してやった恩人なのに、かね?」
ハンナとポッセの目がかち合う。
ふたりはお互いに腹の内を探り合った後、ハンナが先に口を開いた。
「……もう分かってるのよ。そもそも私が濡れ衣を着せられたのは、ポッセさん、あなたの仕組んだ罠じゃなくて?」
再度目を見開くスフィンクス。ハンナとポッセの顔を交互に見比べていた。
一方、ポッセは当然のように首を縦に振り、小声で答えを返す。
「なるほど……あっさり引っかかったときは、人選ミスかと思ったが……そうでもないようじゃな。しかし、なぜそれに気付いた?」
「それは簡単よ。あの警官、証人はお互いに面識がないって言ってたわ。そのふたりをこの大きな街中で1時間以内に探し出して連れて来るなんて、あらかじめ計画してなきゃできないことでしょ。いくらあなたがお金持ちでもね」
老人はハンナの説明に感心したのか、ふむと小さく唸った。
「どうやら、少しはできるようだな……。よろしい、この場で雇おう」
「だからそれは、私が決めるって言ってるでしょ?」
ハンナの強気な攻めを、ポッセは軽くいなしにかかる。
「では、対等な商売相手として訊こう……ワシの雇われ人にならないかね?」
「依頼内容も分からないのに返事なんかできないわ。何のために私を雇うの? 隣町で手紙を受け取ったときは、何かの冗談かと思ったけど……。それに、私の存在をどうやって知ったの? 私たち、この町では一度も盗みなんかしてないわよ」
ハンナのごちゃごちゃした質問に、老人は順序建てて答える。
「ハンナくん……いや、怪盗オオカモメと呼ぼうか……。君のことを知ったのは、私の情報網のひとつだ……。それが何かは、教えられないがね……。まあ、たとえワシが呼ばなくても、いずれはこの町で泥棒を働いていたじゃろう……。次に、仕事の内容じゃが……君が想像しているような危険な仕事ではない」
危険な仕事ではない。その表現に、ハンナは慎重な態度を取った。
「それは法的な意味で? それとも、身体的な意味で?」
「前者だ……極めてクリーンな仕事と言える……」
つまり身の安全は保証しないわけだ。ハンナは、ポッセの説明をそう解釈した。
「そんな顔をするなて……クリーンかつ安全な仕事なら、誰にだってできるじゃろ……。普通の仕事ではないからこそ、ちょっとしたテストが必要だったのじゃよ……」
「そのテストが、さっきのでっちあげ窃盗事件ってわけね?」
老人は穏やかに頷き返す。
「その通り……。ただ、ああも簡単に……と、話が逸れたな……。実はな、ワシが探しているのは、ボディーガードなのじゃよ」
「ボディー……ガード……?」
納得がいかないと言った感じで、ハンナは眉間に皺を寄せる。
「意味が分からないわ。あなたほどの実力者なら、その道のプロを雇えばいいでしょ? なんで私のような、流れの義賊に頼むの?」
ハンナの尤もな指摘に対して、ポッセは自嘲気味に笑った。
その笑い方が、妙にハンナの癪に障る。
「誤摩化す気……? それなら、この話は無かったことに……」
「いやいや、そうではない。我ながらバカバカしくてな、つい……。残念なことに、名の知れた者を雇うことはできんのだ。なぜなら……」
ポッセはそこで、一段と声を潜める。
「敵はワシの家族だからじゃ……」
隣で聞き耳を立てていたスフィンクスが、ハニャと声を上げた。
「そ、そんニャことってあるんですかニャ?」
スフィンクスの問いに、ポッセは再び自嘲気味な笑みをこぼす。
「あるんじゃよ……ワシのような身にもなるとな……おっと」
ポッセは小窓から外を見やる。そして、言いようのない歪んだ笑顔を見せた。
「ほれ、あれじゃよ。あれがワシの館、人殺しどもの巣窟じゃ」




