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第5話 犯人はいた(解決編)

 ハンナの勝利宣言に、スフィンクスの瞳孔が開く。

「……ニャにを言ってるんですかニャ……探偵ごっこは後にしましょうニャ……」

「いいえ、探偵ごっこじゃないわ。犯人はね……」

 ハンナは、ゆっくりと天窓へ人差し指を向ける。

「あなたよッ!」

 一瞬の沈黙。それに続いて、スフィンクスの溜め息が聞こえた。

「冗談を言ってる場合じゃニャいですニャ……早く外へ……」

「冗談なんかじゃないわ。いい加減にシラを切るのは止めたら?」

 ハンナは、そこで深く息を吸い、吐き捨てるように最後の台詞を言い放つ。

「そうでしょ、湖の主オッシー!」

 その瞬間、室内に突風が巻き起こった。

 風のうなりに視界を遮られたハンナは、衣服の袖で顔を覆い、砂埃を防ぐ。

「……ッ?」

 しばらくして風が止み、ハンナは腕の隙間から外の様子を伺った。

 炭焼き小屋は立ち消え、朝もやが湖面の上に漂っている。

 事件の起きた朝と同じ風景が、そこにはあった。

「やっぱり……幻覚……?」

《見事だ、人間の娘よ》

 例の監査官に似た老人の声。

 ハンナは、腰の短剣に手を掛け、辺りを見回す。

《待て、争う気はない》

 ハンナは声の方角を見定めようとしたが、無駄な試みだった。

 脳へ直接話し掛けられているような感覚に、ハンナは戸惑いを覚える。

「オッシー! 姿を見せなさい!」

 ハンナの叫び声に、水面がぴちゃりと音を立てた。

 小さな頭を持つ毛並みの良い動物が、波紋の中心に浮いてこちらを眺めている。

 それは、一匹のカワウソだった。

「あなたが……オッシー……?」

《そうだ。何かご不満かね?》

 カワウソはそう言うと、音もなくひと泳ぎし、岸辺に近付いてくる。

「いえ……別に、不満ってわけじゃ……」

《フフ、巨大な竜でなくてがっかりしたか?》

 ハンナは、心のうちを見透かされて、ほんのりと頬を染めた。

《まあよい。それにしても、よく私の罠を見破ったな》

 オッシーは、何か問いた気な眼差しで、ハンナを見つめている。

 どうやら、推理のタネを知りたがっているようだ。

「きっかけは、色々あったわ……音とか……」

《音……?》

「あなたの催眠術は一見完璧に見えて、結構穴があったの。まず最初に、隊長と女中の足音を忘れてたわ。それから、鍋が床に落ちる音すら聞こえなかったじゃない」

 オッシーは、細長い首を軽く捻り、ふぅと一息吐く。

《久々の術でな。最初の方は、ちと演出が足らなんだかもな》

 反省しているのかしていないのか、よく分からない口ぶりだ。

 ハンナはそれにお構いなく、先を続ける。

「次に、監査官の到着が早過ぎたわ。往復数時間しか掛かっていない。私は街までの道を知らないけど、そんな距離をイルジオが『遠路はるばる』なんて表現するかしら?」

 ハンナの説明に、オッシーは再び首を傾げた。

「……おぬし、街の人間ではないのか?」

 ハンナは、そこで勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「そう、それが三番目の根拠。あなたは、私たちが街から来たと誤解してた。だから、偽物のスフィンクスに、『南の川を降りれば漁村に出られる』なんて、とんちんかんな解説をさせたのよ。残念ながら、私たちは、ちょうどその漁村から来たの」

《……そうだったか。おまえたちは、他の連中と少し毛色が違うとは思っていたが、完全なよそ者だったのだな》

 ハンナは、力強く頷き返す。

 だが、オッシーはまだ満足していないようだ。

《しかし、最後におまえが発した質問……あれは何だ? 私をからかったのか?》

「お腹が空いたってやつ? あれは、最後の確認よ。スフィンクスは、下の漁村で干物を盗んで、それを非常食にとっておいたの。昨日の昼、あの兵士たちに見つからなかったら、川辺でそれを食べる予定だったんだけど……その干物のことを、偽物のスフィンクスは知らなかった。だから、私は確信したの。これは全部夢だって」

 こうして、オッター湖畔での推理対決は終わった。

 一人と一匹は、お互いにその勝敗を認め合う。

「他のみんなは?」

《兵士と女中どもは、同じような幻覚で、山を降ろさせた。ただ、あのイルジオとかいう子供には、少々痛い目を見てもらっているがな》

 オッシーが鼻先で草むらを指す。ハンナが目を凝らすと、イルジオがうなされながら、雑草の上に横たわっていた。

「……悪い夢でも見てるの?」

《ああ、二度とこの湖に近付かないようにな》

 そのときだった。背後の茂みが、がさごそと音を立てる。

 ハンナは短剣の束に手を掛け、オッシーは軽く身を構えた。

 ところが、そんな緊張感とは裏腹に、間の抜けた女の声がする。

「あー、やっと出られました。死ぬかと思いましたよ」

 どこかで見たことのある制服姿の女が、木の葉まみれになりながら姿を現した。

 女は辺りをキョロキョロと見回し、ふいにハンナと目が合う。

 二人は、お互いにぽかんと口を開けた。

「オ、オフィーリア!?」

「ハンナさん!?」

 言葉を失う二人に、オッシーが声を掛ける。

《知り合いか?》

 その途端、オフィーリアがびっくりしたように自分の頭を抱えた。

「あ、あれ、変な声が聞こえますよ? テレパシーですか?」

《まあそんなところだ。私はこの湖の主オッシー。おまえは誰だ?》

 オフィーリアは岸辺に目をやり、再度驚きの表情を浮かべる。

「こ、このネズミさん喋ってますよ!?」

《……ネズミではない。カワウソだ》

 オッシーの訂正を無視して、オフィーリアはハンナの方を振り向く。

「ハンナさん、変わったペットを飼ってるんですね」

「いや、ペットじゃないんだけど……」

 そこでオフィーリアは、何かを思い出したかのようにポンと手を叩いた。

「そうそう、このへんで、イルジオって子を見かけませんでしたか?」

 予想だにしなかった問いに、ハンナとオッシーは目を合わせる。

「イルジオなら……そこで寝てるけど……?」

 ハンナの指摘に、オフィーリアは草むらへと視線を落とす。

 そして、嬉しそうにぴょんと飛び上がった。

「やったー! 一発クリアですよ!」

 オフィーリアが何に喜んでいるのか、ハンナには見当がつかない。

 事情を知らないオッシーから見れば、なおさらであろう。

「あの……ちょっと説明してくれる? あなた、何でここにいるの?」

 オフィーリアはパッと表情を切り替え、検史官特有の真面目さを取戻した。

「実はですね、この世界の主役である少年が、というかイルジオのことなんですけど、彼がバグって行方不明になってしまったんです。失踪と誘拐の両面で捜査してたんですけど、どうやらこの湖にいるらしいということで、こうやって追って来たんです」

 オフィーリアの簡潔な説明に、ハンナはようやく合点がいった。要するに、イルジオのオッシー狩り自体が、この世界の壮大なバグだったのである。

《……話が見えんな。おまえたち、いったいどこから来たのだ?》

 オッシーの問い掛けに、ハンナは答えるのを躊躇した。

 正直に白状したものだろうか? 異世界から来たなどとは信じてもらえないかもしれないが、催眠術を操るカワウソとて似たような存在だ。

 そう思い、ハンナは自分たちの境遇を説明した。

《……なるほど、よく分かった》

「よく分かったって……驚かないの?」

《なあに、このあたりでは珍しいことではない。何年かに一度、この湖の水源へ遡ったところから、見知らぬ人間が迷い込んで来るのだ。おそらくそれが、おまえたちの言う『世界の変わり目』というやつなのだろう》

 意外な情報に、ハンナは漁村で出会った老人の話を思い返す。

「そっか、じゃあ数十年前にここへ来た夫婦も、別世界へ……」

 ハンナの独り言に、オッシーは首を左右に振った。

《その夫婦なら、この湖で亡くなった。ここから漁村へ続く川、あれはその夫婦が何ヶ月も掛けて造った人工の水路だ。今では、自然のものと見分けがつかんがな》

 予期せぬ事実に、ハンナは目を見張る。

「で、でも……村人はそんなこと言ってなかったわ……」

《真の遺産というものは、記憶されているかどうかとは無関係に、人々に恩恵を与え続けるものだ。違うか?》

 ハンナが感慨深気に頷き返すと、湖の向こう側から、小さな影が走って来るのが見えた。

「ニャハ? ハンニャ様、もう起きたんですかニャ!?」

「ス、スフィンクス!? もう戻って来たの?」

 ハンナの質問に、スフィンクスは首を傾げる。

「もうって、起きてから二時間は経ってますニャ。川でサカニャを獲ってたんですニャ」

 そう言って、スフィンクスは魚の入った篭をハンナに差し出した。

 それを受け取りながら、ハンナはオッシーに視線を投げ掛ける。

《……どうやら、私が術を掛ける前に、寝床を抜け出していたようだな》

 ハンナは、オッシーのうっかりとスフィンクスの無邪気さに苦笑しながら、湖を見た。

 滔々と流れ込む水が、何十年の時を越えて道を指し示してくれたことに、ハンナは心から感謝する。

「それじゃ、次の世界へ行きましょうか」

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