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第3話 穏やかな尋問

 翌朝ハンナは。テントの布地に透ける朝日で目を覚ました。

 隣でいびきをかくスフィンクスを放置して、外に出る。

 新鮮な空気を胸一杯に吸い込み、静まり返った湖畔で大きく背伸びをした。

「んー、いい気持ちね……。たまにはこうして自然に触れるのもいいわ」

 ハンナが毎朝の習慣にしている体操を始めると、ふと昨晩の出来事が脳裏をよぎった。

 湖を眺めると、まるで何事もなかったかのように、水鳥が朝の遊泳を楽しんでいる。

「よッ、お嬢ちゃん」

 体の動きを止めてハンナが振り返ると、あの隊長が隣に立っていた。

 いつの間に近付いたのだろう。こうも容易く背後に立たれては、怪盗の名折れである。

 ハンナは気合いを入れ直した。

「おはよう、随分早いのね」

「お嬢ちゃんこそな」

 隊長はハンナの横に並び、同じく朝日に身を委ねた。

 しばらく沈黙が続いた後で、ハンナが口を開く。

「それにしても、本当に大きな湖ね。水平線の向こうが見えないわ」

「ああ、この国で一番の山上湖だ。ここ100年、水の涸れたことがないんだとよ」

「そんな湖で、どうやってオッシーを捕まえるつもり?」

 ハンナの素朴な疑問に、隊長は首をすくめてみせた。

「さあな……イルジオ様は、上流を塞き止めて水を涸らすと言ってるが……」

 男の返答に、ハンナは眉をひそめる。

「塞き止める? ……山がめちゃくちゃになるわよ」

「俺は知らんよ。イルジオ様に言ってくれ」

 隊長は、他人事のようにそう答えた。

「ところで……」

 隊長は急に辺りを見回す。ハンナも釣られて視線を動かした。

「そんな早起きのお嬢ちゃんに頼みなんだが、イルジオ様の朝食の準備を手伝ってくれねえか? 他の連中は、昨日の見張りでまだ寝てるんでな」

 なんで私がと思いつつ、ハンナは自分の立場を弁えた。

「……分かったわ。でも、炊事場はどこにあるの?」

「いや、料理はメイドの連中がやる。頼みたいのは、それをイルジオ様に持ってって、話し相手になってくれってことさ」

 やれやれ面倒な仕事だと、ハンナは朝から気が滅入ってしまう。

「まあ、そんな顔すんなって。これもお互い様よ」

 お互い様。何がお互い様なのか、ハンナにはさっぱり分からない。食糧を恵んでくれたことには感謝しているが、イルジオの子守りと釣り合っているのか、少女は疑問に思う。

 とはいえ、他に選択肢もなかった。

「じゃ、昨日のテントでいいのね?」

「ああ、そこの入口で待っててくれ」

 そう言って隊長は、ハンナのもとを去って行った。


  ○

   。

    .


「遅いわね……何を作ってるのかしら……?」

 ハンナは天幕の前をうろつきながら、メイドの支度を待っていた。炊事場がどこにあるのかは分からないが、あまりにも時間がかかり過ぎている。よほど手の込んだものを作っているに違いない。

「あんなやつには、ゆで卵でも出しときゃいいのよ」

 本人に聞かれると不味いのだが、ハンナは悪態をつくのを止められない。

「お待たせ致しました」

「!?」

 地面から数センチ飛び上がるハンナ。彼女が振り向くと、そこには昨日見たメイドのひとりが慎ましく控えていた。両手で鍋を持ち、そこから焼き鳥の匂いが漂ってくる。

「七面鳥の香草焼きでございます」

 メイドが告げた料理名に、ハンナは驚きを隠せない。

「あ、朝からそんなもの食べるの?」

「はい、イルジオ様は、健啖家でございますので」

 健啖家なんてレベルじゃないだろうと、ハンナは半信半疑で鍋の中を覗き込む。こんがりと焼き上がった七面鳥の脂に、ハンナは胸焼けをもよおした。

 そんなハンナに、女中はスプーンを差し出す。

 ハンナは訳の分からぬまま、そのスプーンを手に取った。

「どうぞ毒味を」

「……毒味?」

「イルジオ様にお出しする食事は、ふたり以上の者で毒味することになっております」

 女中は片手で器用に鍋を支えながら、もう一本のスプーンで出汁を口の中へ運んだ。

「ハンナさんもどうぞ」

 無表情な女中に促されて、ハンナは出汁を掬い上げる。

 なぜ朝っぱらからこんなヘビーなものを胃に収めなければならないのか、ハンナには納得がいかない。

 心の準備を整えた後、ハンナはそれを口に流し込んだ。

 味は……良くない。塩のスープを飲まされているような感覚が、ハンナの舌に広がる。濃厚な味付けをされているように見えるが、気のせいなのだろうか。ハンナは訳が分からなくなってきた。

「では、鍋をお持ちください」

 女中はハンナからスプーンを取り上げ、今度は鍋を差し出してくる。

「……じゃ、じゃあ持って行くわね」

 ハンナに鍋を押し付け終えると、女中はどこかへ行ってしまった。洗いものがあるのだろうと思い、ハンナはひとり天幕の入口をくぐる。

「失礼致します。……お食事の用意ができました」

 ハンナが会釈をして室内に目を向けると、イルジオは既に正装に着替え、テーブルの前に座ってナイフとフォークを手にしていた。

 他に人の気配はない。

 寝起きが悪いのか、イルジオは不機嫌そうに両足をぶらつかせている。

「遅かったな。腹が空いて死にそうだぞ」

 何を大げさな。ハンナは少年の食欲に呆れ返る。

「申し訳ございません。すぐに皿へ取り分けますので」

「その必要はない。鍋をこちらへ寄越せ」

 さすがのハンナも、これには顔をしかめた。調理鍋から直接食べる貴族など、聞いたことがない。親の躾がなっていないのか、それともヴッハー家自体がただの田舎貴族なのか。少女は首を傾げてしまう。

 だがここで逆らうメリットもないので、ハンナは黙って鍋をテーブルの上に置いた。

「では、ごゆっくりお召し上がりください」

 はしたない食事シーンなど見たくないと、ハンナはすぐに背を向けた。隊長からは話し相手になってくれと言われたが、そこまで義理立ててやる必要もないだろう。そう考えて、ハンナはいそいそと出口に向かう。

「では、失礼……」

 そのとき、ハンナは奇妙なことに気が付いた。あれほど空腹を訴えていたイルジオから、肉を切り分ける音もそれを咀嚼する音も聞こえてこない。

 ハンナは不思議に思い、そっと幕下の奥を振り返る。

「!?」

 そこには絨毯の上に転がった鍋と、うつ伏せに倒れた少年の姿があった。

「イルジオ様!?」

 ハンナが少年に駆け寄ったとき、ふいに先ほどのメイドが、入口に顔を覗かせた。

 メイドは口元に手を当て、すぐにその場を駆け去る。

「ひ、人殺し!」

 遠くで女の悲鳴が聞こえ、にわかに周囲が騒がしくなる。どこにこれだけの兵士が隠れていたのか、ハンナは肝を潰した。

 擦れ合う甲冑の音とともに、隊長が入口の前に姿を現す。

「貴様、イルジオ様に何をした!?」

 隊長は、イルジオとハンナを交互に見比べてそう叫んだ。

「ち、違うわ! 気が付いたら倒れてたのよ!」

「誰か、医者を呼べ!」

 そばにいた兵士が、慌てて持ち場を離れる。

 それを見送った隊長は、じろりとハンナの顔を凝視する。

 ハンナは弁解しようとしたが、それよりも男の命令が早かった。

「この女を捕まえろ!」


  ○

   。

    .


 監査官と称する一団が到着したのは、その日の昼過ぎだった。小さなテントに監禁されていたハンナは、前後左右を武装した兵士に囲まれ、イルジオの死体が発見された天幕に案内される。

 ハンナが小突かれて中に入ると、室内には即席の被告人台がしつらえてあった。イルジオが座っていた席には、あご髭を生やした初老の男が腰を下ろしている。その左右には、甲冑姿でこそないものの、帯剣した男たちが列をなしていた。

 老人が監査官であることは、ハンナにも容易に察しがついた。

 ハンナは被告人台の前に引き出され、男たちの視線が彼女に集中する。

「きみがハンナかね?」

 監査官と思しき老人が、あご髭を撫でながら尋ねた。

「はい」

「きみは、ヴッハー家のご子息、イルジオを殺害したと認めるかね?」

「いいえ」

 ハンナの簡潔な返事に、老人は目を細めた。

「きみは、年齢の割には落ち着きがあるようじゃな。……諦めかね? それとも、この状況で無実を証明することができると思っておるのかな?」

 この状況で、という部分に、老人は力を込めた。それが何を意味するのか、ハンナには分かっている。

 監査官は先を続けた。

「これまでの調べによると、イルジオの死体が発見されたとき、この天幕の中にはきみしかいなかったそうじゃな。……この事実を認めるかね?」

「はい、それは認めます」

 老人は満足げに頷いた。

「正直で結構。では、きみが犯人であることも認めるかね?」

「いいえ、それは認めません」

 老人は刮目すると、興味深そうに再びあご髭を撫でた。

 ハンナは屹然とした態度で、老人の視線に耐える。周囲の従者たちも、何やらぼそぼそと話をし始めていた。難しい状況だ。怯懦に映れば疑われ、傲慢に映ればまた疑われる。心象が重要だと思いつつも、人生経験の浅いハンナは、うまく表情を作れなかった。

 ハンナが四苦八苦していると、監査官が話を再開した。

「ふむ……よいかね、医者の見立てでは、イルジオは毒を盛られ、それが原因で亡くなったと聞いておる。さらに女中の話では、きみとイルジオがふたりきりになる前に、朝食の毒味を済ませたそうではないか。つまり、イルジオに毒を盛る機会があったのは、きみしかいないということなのじゃよ」

 老人は疲れたように、そこで休憩を入れた。

 ハンナはひたすらに沈黙を守る。どう対応すれば良いか、なかなか糸口が見えない。

「これでも、まだ否認するかね?」

「はい、否認します。私はイルジオ様を殺害していません」

 老人は左右の付き添い人を一瞥する。

「この娘の身辺から、毒薬は見つかったのか?」

 老人の問いに、すぐ右隣に控えていた紳士が頭を下げた。

「いえ、まだ見つかっておりません」

「彼女が盗みを働いたような形跡は?」

「それも見つかっておりません」

「ふむ……」

 当然だ。自分はやっていない。ハンナは威厳を保ち、男たちのやり取りを傍観する。

 彼女の頭は、自分の無実を晴らすこと、それだけに向けられていた。

 老人はしばらくあご髭をなで回した後、おもむろにハンナの方へ向き直った。

「……まだ何とも言えんな。明日、また取調べよう。適当なところへ閉じ込めておけ」

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