第五話 損得勘定への道標
色々あった先日から一晩経った次の日。
俺とサイラスは二人で向き合っていた。
最初の時のような謁見の間ではなく、今回は窓辺のテラスだった。テーブルにはお茶とお菓子が並んでいる。
「では聞かせてもらおうか、タロー。お前が見つけた『戦争を終わらせる方法』というやつを」
しかし相変わらずサイラスは偉そうだ。まあ王なのだから偉そうなのはデフォルトなのかもしれない。
「簡単な話だ。あいつらの求めているものを与えてやればいい。それで戦争は終わる」
俺は単刀直入に言ってやった。
経済効果とか相互利益とか細かいことを全部すっとばして、結論だけを先に述べた。
「………………」
サイラスはやっぱりな、とでも言いたげな、失望したとでも言いたげな、そんな表情を俺に向けた。
「無理だ」
そして即答。予想はしていたがとりつく島もないほどに頑固な意志を見せつけられるとこちらとしても意地にならざるを得ない。
「阿呆、人の話を全部聞かない内から即答してんじゃねえよ」
「即答したくもなるわ。ほんの少しでも期待してやった我が馬鹿だった」
……むう。やはり結論から先に言うのは早まったか? サイラスのヤツ、既に心の耳栓を装着しそうな雰囲気だぞ?
「ユフィも以前同じ事を言っていたがな。出来るわけ無いだろう。ただで手を差し伸べてやるほど我も民もお人好しではない。ルディアが提供する食糧に対して、ハイディグレードは返せる対価が何もない。これでは我らが損をするだけだ」
「損をするだけ、ね。戦争で死んでいく命の数に比べたら、余っている分の食糧を提供してやるくらいは決して高くはないと思うんだがな」
「む……」
これに対してだけはサイラスも黙り込んだ。
人の命というものを決して軽んじていない証だ。
その点においてはサイラスも悪い王ではないのだろう。命の重さを理解しているのは王として大事な資質だと、少なくとも俺はそう思う。
「だがそれも無理だ。我らも奴らもお互いを殺しすぎた。今更戦争を終わらせるためだけに手を差し伸べるなど、感情的にも無理だ」
「殺しすぎた、ね。最初からそうしてやれば良かったのにな。まあそれはあんたに言っても仕方がないことなんだろう。戦争をおっぱじめたのはお前らじゃなくてもっと前のご先祖様だっていう話だし」
「………………」
「なあ、サイラス。たとえばの話だ」
「?」
「親の仇が目の前にいたとする。あんたならそいつをどうする?」
「殺すに決まっているだろう」
「…………ちょっとくらい悩めよ」
「悩む理由はない。命を奪ったものは命で贖うべきだ。少なくともこれは世界共通のルールではないのか?」
「まあ、な。俺の国でも数人殺せば死刑になる」
「そうだろう」
そうではあるのだが、俺が聞きたいのはそういう状況においても別の道を探そうとすることが出来るか、ということなんだが。
「たとえ話の続きだ。そういう二人を結びつけるには、まずどうすればいいと思う?」
「無理だ」
「即答すんな。考えろ」
「………………」
少しきつめにそう言ってみると、サイラスは仕方なく考え込んだ。考え込みすぎて眉がぴくぴくなっている。きっと考えたくもない内容なのだろう。
「……そうだな。仇を見逃すことで別の誰かを助けることが出来るのなら、考えないでもない」
「なるほど。いい解答だ」
「今度はお前の番だ。どういう意図があって我にこのような質問をする? 答えろ」
「答えはそのままなんだがな。つまり一人を見逃せば一人ないしはそれ以上を助けられる。そういう前提条件でならルディアとハイディグレードとの同盟関係は成立する」
「……続けろ」
この話には続きがあることをいい加減悟ったサイラスは、俺にその先を促した。
「だがこれは今のところ成立しない。何故か。お互いの実力に明確な開きがないからだ。潰し合いは可能でもどちらかがどちらかを殲滅するほどの差はない。拮抗状態が崩れない限り、これは変わらない」
「その通りだ」
「だから成立させるためにはもう一つの要素が必要になる。それは『利益』だ」
「利益……だと?」
「簡単に言えば得をする法則、かな」
「よく分からん」
「だからちっとは考えろ。さっきの話だと親の仇を一人見逃すことで助けられる命が一つないしはそれ以上ある。これは親の仇を見逃すことによる『損』よりも助けられる命の『得』の方が大きいということだろう。『得』と『損』の間にある『差分』。これが『利益』だ」
「そ、それは分かる」
「損か得かを判断して徹底的に打算的な解答を導き出す。これが損得勘定だ。そこには国民感情も個人的な憎悪も何も関係がない。そこにあるのは『利益』の追求のみ。面白いとは思わないか?」
「何がだ?」
「最も人間性に欠ける選択こそが、より多くの人間を幸せにする場合もあるってことさ」
「………………」
「ルディアは『食糧』。そしてハイディグレードからも代わりの『何か』を提供できて、そこに『利益』が生まれるとしたら、これ以上命を削り合う必要はなくなる。どれだけお互いに憎みあっていたとしても、お互いの『利益』の為に手を結ぶことが出来る」
憎しみも、恨みも、別に忘れる必要はないんだ。
憎みあったままでも、恨みあったままでも、一歩を踏み出すことは出来るのだから。
「もちろんこれは損得勘定で動かないほどの感情を持った個人には通用しない。自分がどうなっても構わないから相手を殺したい、という奴もいるだろう。それは仕方のないことだし、他人が止められることでもない。だがあんたもハイディ族の長も、自分一人の感情で動ける立場じゃない。守るべき民のために個人の感情を封じなければならない人間だ」
「……つまり、損得勘定による利益獲得のために、我自身の感情を抑え、民の感情も抑えろと、そう言いたいのか」
「そうだ」
「………………」
長年積み重ねられた感情。
それを覆せる可能性。
過去を踏みにじってでも、未来を繋げるその覚悟。
俺はサイラスにそれらを問いかけている。
「サイラス。敵はハイディグレードだけだ。少なくとも今はな」
「………………」
「だがこの先も戦争を続けて、国力を疲弊させればその限りではないだろう? 俺はこの世界の在り方もこの国の事情も大して知らない。だが弱った獲物にはハイエナが寄ってたかるものだという事くらいは知っている。このまま今のやり方を続けていれば、勝っても負けてもルディアという国は救われないんじゃないのか?」
負ければ滅ぶ。
だが勝ち残ったとしても無傷で済むことはあり得ない。そして弱り切ったルディア国を、恐らく他国は見逃さない。
「これが俺の見つけた答え、その半分だ」
選ぶのはサイラスだ。
姫さまが望んで、俺が見つけることが出来た『戦争の終わり』。
きっかけ一つで変われるものがあるとすれば、それは未来への道標となるだろう。
「残りの半分、ハイディグレードが提供できる『何か』。我にはそれが思いつかない。痩せた土地に飢えた民。あの国には他者に与えられる物なんて何もないように思える」
「だからそれはこれから探す。ハイディグレードにあってルディアに無いもの。なおかつルディアの利益になるもの。それが見つかれば、この戦争は止められる」
「……出来るのか?」
サイラスは問いかける。
出来るのか、それは成し遂げて欲しいという期待を込めた問いかけ。
「出来る! ……とまでは断言できないけどな。だが俺には異世界の知識がまあそれなりにある。この世界の人間が思いつけないようなことでも、俺になら思いつけるかもしれない」
「……なんとも頼りない解答だな」
サイラスは呆れたように口をへの字にした。期待していたものが期待する段階ですらなかったことに失望しかけたような、そんな表情だ。
「一国の命運がかかってるからな。さすがに軽々しく請け負ったりは出来ないよ。俺はあくまで客人であって王じゃないからな。だが方向性は見えている。『物』が無いなら『サービス』を提供してもらうっていう手もあるしな。まずはそこから探ってみるさ」
「さあびす? それは何だ?」
「……そこから質問するか。えーっと、そうだな。何て言ったらいいのかなぁ。むう。例えばルディアが提供できる食糧は『物』、つまり『有形財産』なんだ。その他に『無形財産』ってのがあって、これは『形が無くとも価値のあるもの』を意味する」
「ふむ……知識や我の『次元魔法』のようなものか? これらは形あるものではないが大変貴重なものだ」
「ああ、そんな感じ。形はなくとも価値が成立する概念みたいなものかな。それなら資源の少ないハイディグレードにだって何かあるかもしれないだろう?」
「……ふむ。そういうことなら心当たりがなくもないが。……いや、やはり無理か」
サイラスは何かに思い至ったようだが、しかしすぐに首を振った。考えるだけ無駄な内容だったらしいが、俺はわずかに興味が湧いた。
「参考までに聞かせてくれよ。その心当たりって奴を」
「構わんが、無駄だぞ。これはハイディグレードが滅びを選んででも絶対に譲ったりはしないものだ」
「いいから聞くだけ聞かせろって」
「…………『時間魔法』だ」
「へ?」
「五大元素を基盤とする『通常魔法』と違って、架空元素を基盤とする『固有魔法』は扱える人間が非常に少ない。ハイディ族の長、セイン・ハイディグレードはその固有魔法の使い手だ。その知識が得られるのなら、我は食糧提供を躊躇わない」
「……えっと、魔法のことはよく分からんけど、その物言いだとかなり貴重っつーか、どえらい魔法なんだな?」
「我が持っている固有魔法は『次元魔法』。セインが持っているのは『時間魔法』。この二つは架空元素を基盤とした固有魔法だ。通常魔法と違って固有魔法は『世界』そのものへの干渉を可能とする。故に扱える人間はごく一部だ。我は先祖が練り上げた『次元魔法』を代々受け継いでいる。セインも恐らくは同じように先代から受け継いだのだろう。魔法師の知識の結晶。受け継がれていく奇跡。それは決して外部に漏らしていいものではない。我の『次元魔法』が我だけのものではないように、セインの『時間魔法』もハイディ族の歴史そのものなのだ」
「歴史そのものというよりは国そのものと同価値なんだろうな……。代々受け継がれる家宝のようなものか。一子相伝、部外秘みたいな」
「その理解で概ね正しい。固有魔法は王族の財産であり血の証明でもある。王族でもない個人の魔法師が固有魔法を扱えるのは稀だ」
つまり魔法の知識は取引材料にはならない、と。
だがそれ以外にも何かがあるはずだ。
俺はそれを探さなくてはならない。
「もしもお前がそれを探し出せたのなら、ハイディグレードとの同盟を視野に入れてもいい」
「そりゃ助かる。俺もここまで考えた甲斐があったってもんだ」
かつて学んだ知識を、忘れかけた学問を、ほぼかき集めて辿り着いた答えなんだ。これが無駄になったら微妙にがっかりするところだった。時間と思考労働の無駄的な意味で。
「ではまずハイディグレードについて色々知りたい。……いや、出来ればハイディグレードとの国境で色々と調べたい」
「待て、タロー。それはさすがに危ない。国境はハイディ族の警備が厳しい。武力を持たないお前が近づけば命の保証はできんぞ。ハイディ族の情報が入り用ならこっちで調べてやる」
「……いや。個人の主観を経由した情報はこの場合役に立たない。ハイディ族に対して何の感情も持っていない中立の立場で見た印象、それが今の俺には必要なんだ」
「……しかし捕まればただでは済まないぞ」
「そこはまあうまくやるさ。護衛を付けて欲しいなんて事も言わない。あんたは俺を国境まで案内してくれればそれでいい」
「………………」
必要なのは情報。
こちらに必要なものと、あちらが持っているもの。
それらをすり合わせて、糸口を探さなければならない。
「……いいだろう。護衛は一人しか付けられないが構わないか?」
「充分だ」
一人付いただけでも御の字だ。ひとまず身の安全だけはそれなりに保証されたということだからな。
姫さまのメイド服と猫耳尻尾を見るために、男・山田太郎、必ず利益に繋がる情報を手に入れてみせるぜ!
「……ところで」
「?」
必要な話が一段落付いたところで、サイラスが別の話題を切り出してきた。
「ユフィとは本当に何でもないんだろうな?」
「………………」
さっきまでそれなりに真面目な会話をしていたはずの王様モードとの落差に思わずがっくりとなる。
「一言だけ言っておくが、ユフィに手を出した日にはその命ないものと思え」
「…………あんたさぁ、姫さまにかかわる男全員にそんな態度なわけ?」
「うるさい。ユフィにはいずれ俺が相応しい相手を選んでやる。俺が認めた相手以外との結婚は許さん」
「うわー。迷惑な兄貴だな……」
ここまで来るとシスコンレベルではなかろうか。相応しい相手なんて見つかるのかねぇ。ウチの娘はやらんぞ! とか吼えてるどこぞの父親と大差ない気がするぜ。
「まあさすがにこんな冴えない中年にどうにかなるほどユフィも趣味は悪くないだろうが……」
「ほっとけ!」
冴えないのは認めるがまだ中年ってほど歳はいってねえ!!
……まあ姫さまから見れば充分に『オジサン』なのかもしれないけどさ。
俺も本気で姫さまをどうこうしようって気はないしな。
とりあえずご褒美にメイド服と猫耳尻尾姿で『ごしゅじんさま~』と一言言ってもらってそれから写真撮影させてもらってついでに一晩だけ添い寝でもしてもらえれば充分充分……って、ちょみっと高望みしすぎかな? いやいや命懸けなんだしそれくらいの見返りはあっていいだろう。うん。
「……貴様。何かよからぬ事を考えてないか?」
不穏な気配、もといエロ妄想を感知したサイラスがギロリと俺を睨んでくる。鋭いというか病んでるというか。妄想くらい自由にさせろや。
「さあね。姫さまが了承してくれてるんだからあんたにとやかく言われる筋合いはないね」
「なんだと! 貴様ユフィに何をさせるつもりだ!」
「さあ~。気になるなら姫さまに直接聞けばいいだろ~」
憤慨するサイラスの様子が思いのほか愉快だったので敢えてからかうような口調にしてみる。
「ぐっ……! ユフィに手を出したら元の世界に還すどころか次元の海に永久放浪させてやるからな!」
「怖いこと言うな!」
何だかよく分からんが死亡フラグであることだけは分かるぞ!
とまあこんな感じで真面目な話をしていたはずなのに、最後はなんだか色々と台無しな感じになった王様対談だった。