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第四話 はじめての戦場、意外に役立つ救急キット

 俺に一体何が出来るだろう。

 戦うこと以外で、戦わないことで。

 勇者として喚ばれたこの国で、一体何が出来るだろう。

 彼女の無垢な信頼に、どれほどのものを返せるだろう。


「わあ~。これが『りょくちゃ』ですか。ちょっと苦いですけど、でも美味しいですねぇ」

「だろ? 俺の国だと紅茶よりもこっちが定番の飲み物なんだよな。和むっつーか、落ち着くんだよな」

「ああ、確かにそんな感じですね」

 しょっぱなから真面目なモノローグで開始しておいて、実態はこれだったりする。

 姫さまとのんびりティータイム。

 あれから姫さまは時間があれば俺の部屋へとやってくる。

 俺の部屋にあるさまざまなものがとても珍しいらしく、好奇心溢れる姫さまはあれこれ指差して『これはなんですかぁ?』なんて聞いてくる。色々なことを聞かれて、色々なことを説明してやるのは構わないのだが、時々反応に困る場合もある。

 例えば、だ。

「勇者さま。これは何ですか?」

「へ?」

 姫さまが手に取ったのは布団の下に隠しておいた秘蔵のロリエロ本。セーラー服を半脱ぎした美少女がにっこりと笑いかけている表紙のアレだ。

「…………………………えーっと」

 さて、どう説明しようか。

 エロ本です、というのは簡単なのだが、しかし姫さま相手にそんなことをストレートに言ってしまっていいものなのか。というかこの世界にエロ本なんていう概念は無いのではなかろうか。

「ま、まあアレだ。一種の娯楽作品としての書物だな。一定年齢に達した男子が人生の傍らに必要とするアイテムというか、そんな感じ」

「そうなんですか~。ちょっと読んでみてもいいですか?」

「駄目!」

 ページを開こうとしていた姫さまの手から速攻で取り上げる。確かその本はいきなり本番シーンから始まるやつだ。そんなものを姫さまに見せるわけにはいかない。

 ……ちょっとだけどんな反応をするか見てみたいと思わなくもないけど。自粛自粛!

「この本は男が読むものなんだよ。女が読んでいいものじゃない」

「そうなんですか?」

「ソウナンデスヨ」

 返事が若干棒読み気味なのはご愛敬ということで。

「あ、あの上の方にある本はなんですか? ずいぶんと他の本とは違う感じがするのですが」

「へ?」

 姫さまが指さしたのは本棚の上の方、というよりは完全に不要エリアの場所に積み上げてあった専門書だった。大学時代には活用したものだが、今となっては完全に不要品だ。

「ああ、あれは経済学の本だな。大学時代は経済学部だったからいろいろ勉強してたんだよ。今となっては不要なんだが結構高い本だから捨てるのも勿体なくってさ」

「へぇ~。読んでみてもいいですか?」

「いいけど、姫さま日本語は読めないだろ?」

「あ、そうですね。でも見てみたいです」

 俺は手を伸ばして経済学の本を一冊姫さまに渡してやる。

「………………う~ん。やっぱり分かんないですねぇ」

「だよな。まあ文化圏が違うんだから当然だろ。気にする必要はないさ」

「勿体ないですねぇ。何か役立つことが書いてそうな気がするんですが……」

 姫さまは残念そうにうなだれる。やはりここには戦争を終わらせる手掛かり、というか俺の世界でしか手に入らない情報を求めて来ているらしい。熱心なのはいいのだが、俺に会いに来ているという目的が第一ではないのがちょみっと寂しい。

「そうでもないだろ。大学卒業してからも経済学が役に立った記憶なんてないし。特に戦争を終わらせるなんてこととは無縁だと思うけど」

「そうなんですか? ならどうして勇者さまは『けいざいがく』を学んでいたのですか?」

「う……別に学びたかったわけじゃないんだけどさ。ただ俺の世界だと大学くらい出ていないと就職も厳しい状況だったから。経済学部も学びたくて選んだというよりは何となく就職に有利そうかな~って思っただけで」

 明確な目標や夢があったわけではないので実に後ろめたい。我ながら適当すぎる人生に今更ながら情けなくなってくる。

 結局のところ大学を卒業しても経済学を学んでも、まったく役に立っていない仕事に就いた訳だし。激しく無駄足を踏んだ四年間だった気もする。

 それなりに遊べたから全くの無駄というわけでもないんだろうけど。

「うーん。よく分からないですけど勇者さまの世界もいろいろ大変そうですね」

「まあな。政治家がとんでもなく無能なお陰で景気は最悪だわ就職率は下がる一方だわでかなり大変だよ」

「無能なのにどうして政治家になれるんですか?」

 姫さまはきょとんとした表情でそんな質問をしてくる。

「さあな。むしろ無能だから政治家になれるんだろ。本気で国を思う志がある奴が政治家になろうとしても、そういう奴ほど私腹を肥やしたがる無能政治家に潰されていくシステムになってるからさ。根元から腐ってるんだよ、俺の国」

 傍観者意見も甚だしい物言いだが、しかし傍観者の立場でさえそうとしか思えないのだから仕方がない。発言と行動が一致しなかったり、インタビューで失言三昧だったり、とにかく頭が悪すぎる。

「……変えようとは思わなかったんですか?」

「気持ち一つで変えられるほど簡単なものじゃないだろ、国の仕組みっていうのはさ。でなきゃこの国の戦争だってとっくに決着がついているはずだ」

「……そうですね」

 何事にも大きな流れというのがあって、その流れは決して良いものとは限らない。むしろ自分たちを追い詰めていくものでしかない可能性がある。

 変えようとするのではなく、その中でいかにマシな選択を出来るかどうか、というのが個人の生き方の限界だと俺は思う。

 国や世界を変えるのは人間ではなく英雄の役割だ。

「わたくしには読むことが出来ないので分からないのですが、『けいざいがく』とは一体どのような学問なのですか?」

「ん? うーん。実を言うと俺ももうほとんど憶えてないんだよな~」

「そうなのですか?」

 姫さまが不思議そうに首を傾げる。

「社会に出てからはまったく必要のない学問だったからさ。もうほとんど忘れてる」

「……ちょっと寂しいですね」

「まあ、憶えている限りで簡単に言うなら、世界に存在する有限な資源から、いかに価値を生産して分配していくかを研究する学問ってところかな」

「……ちょっと難しいです」

「だよな。俺も最初はさっぱりだった」

 必死に参考書とにらめっこしていた学生時代を思い出しながら苦笑混じりに言う。

「まあアレだ。たとえばこの国で言うなら豊富な農産物を売ったり交換したりして得られる利益だったりサービスだったりかな」

「売る?」

 姫さまはきょとんと首を傾げる。

『売る』という言葉が意味不明らしい。

「およ? ちょい待ち姫さま。もしかしてこの国には『商売』って概念はないのか?」

「えっと、東の方の国々ではそういうこともしているらしいですが、こちらの方ではまったくないですね」

「マジか!?」

 どこに行っても商売を介してしか物を手に入れられない日本で育った身としては、ちょっとしたカルチャーショックだった。

「じゃあ生産した作物とか、そういうのはどうやって分配してるんだ?」

 農作物が豊富であっても、それを販売するルートが確立していないのであれば利益を得ることはできないのではないだろうか。いや、そもそも商売自体が成立していないのであれば、それも無駄か。

「国民の大半は農業に従事していますから。それぞれが育てた作物をそれぞれが消費するという形を取っています。その年によって作物の育ちが悪い土地などもあるので、余裕がある分と兵士を養うのに必要な分は国に納めてもらって、国民全てに行き渡るようにしています」

「なるほど。なかなかバランスの取れた助け合いシステムだな。しかし作物が余ったりする場合はどうするんだ?」

「余った作物は加工処理して保存食にします。ハイディ族との小競り合いが続いているので保存のきく兵糧はとても貴重なんです」

「それでギリギリ、ってわけか」

「いえ。それでも豊作の時は食糧が余ったりするのですが、その場合はすり潰して混ぜてから作物の育ちが悪い土地に還元します」

「……生ゴミ堆肥じゃねえんだから」

 勿体ないことしてるなぁ。生ゴミで堆肥作ってるのは聞いたことあるけど、まさか余った食糧そのものでやるとは思わなかった。まあ効果はありそうだけど激しく無駄が多い。

「……ん? 待てよ。ハイディグレードが求めているのは『食糧』なんだよな? だったら余った分をハイディグレードに譲ってやれば戦も起こらないんじゃないか?」

 ごくごく当然の解答を俺は言ったつもりなのだが、しかし姫さまは黙って首を横に振った。

「無理ですよ、勇者さま。確かに戦に消費する分の食糧を合わせれば、ハイディグレードの民を救えるだけの余裕はあります。しかしハイディグレードにはそれに対する対価を用意できません。わたくし達が損をするだけですから、その案は受け入れられないのです」

「む……」

 言われてみればそうだ。ただで人助けをするなど、通常ではあり得ない。個人規模でならボランティアなどもあるが、しかし国規模で無償の助け合いなどあり得るわけがない。日本政府がたまにやっている海外援助だって、その実態は援助をすれば発言権ができるので、権力者に対してのレアメタル採掘権や、ゲリラの有力者に対しての人質返還交渉などが真の目的だ。この援助をやめた場合それらの対応は極めて事務的になり、資源に対してはプレゼン参加強制、人質に対しては身代金交渉などの手段しかなくなる。要するに善意ではなく将来の利益やトラブルを見越した先行投資でしかないのだ。

「戦争が終わるなら安いものだと思うけどなぁ……どうせ余ってるんだし……」

 所詮は部外者の意見なのだが、俺は素直にそう思う。自分たちが困るわけではないのだからやってしまえばいいのに、と。

「わたくしも兄様に何度かそう進言したんですけどね。やはり受け入れられませんでした。わたくしや兄様が納得しても、それでは国民が納得しないだろうと」

「王様も色々と大変だな。そのもの言いだとサイラス個人は別に援助してやってもいいみたく聞こえるけど」

「うーん、どうでしょうね。兄様の考えてることはわたくしには分かりませんが、それでも無駄に争いを拡大させるつもりも無いみたいです」

「だがこれが唯一の方法だとは思うぞ。相手が求めるものを与えてやれば、戦争は終わる」

「………………」

「問題はハイディグレードが代わりに何を提供できるか、だな」

「え?」

「だからさ、見返りさえあれば食糧を分けてやってもいいんだろ?」

「し、しかしルディアとハイディグレードは長年の戦争によってお互いにかなりの死者が出てますから、やはりそう簡単には……」

「そこはあんたら王族と国民が解決すべき問題だ。憎しみなんてどこかで断ち切らないとどのみち戦争なんて終わらないぜ」

「……そう、かもしれませんね」

 方法は分からなくとも、たしかにそれはいつか解決しなければならない問題だと理解しているのだろう。姫さまは難しい表情で黙り込む。

「しかし方向性は見えてきた」

「え?」

「だから、姫さまが俺に望んだ『戦わずに戦争を終わらせる方法』だよ」

「本当ですか!?」

 姫さまの表情がぱっと輝く。今にも俺に飛びついてきそうな喜びようは見ていてとても気分がいい。むしろ飛びついてカモン!

「俺が昔勉強した分野、経済学が根幹になるんだけどな。お互いに利益があればいいってことだ。利益と財の供給。その方法。最終的にはその収益とサービスがこの国そのものに還元されればいいってことだから……うーん。それにはやっぱりハイディグレードがネックになるな」

「?」

 姫さまはよく分からないという表情だ。無理もない。この国にはない学問であり概念だからな。

「えーっと、つまりはどちらもに対しても利益があるように調整する法則って感じだ」

「どちらに対しても……そんなことが可能なのですか?」

「可能、かもしれない。そこはハイディグレード次第だが」

 土地も人口も少ないハイディグレードがルディアに対して何を提供できるのかはまだ不明だが、何も物質的なものだけが全ての価値じゃないからな。探せば何か出てくるはずだ。それを探すのが俺の仕事、かな。少なくともこの国の奴らでは思いつかない『何か』でなければ駄目だ。

 姫さまの猫耳メイド服を見るために頑張らなければ!

「わたくしに手伝えることはありますか?」

 姫さまがわくわく顔で聞いてくる。道が開けてきたことが嬉しいのか、やる気に満ち溢れている。

「そうだな。まずはハイディグレードの情報が欲しい。出来るだけ詳しく。現地に行ければ一番いいんだが」

「……現地、ですか。敵地ですし、さすがにそれは難しいかもしれません」

「だよなぁ。しかしハイディグレードの事を知らないことには俺も対応のしようがないし……」

 何とかしてハイディグレードに、いやせめて国境付近に足を運べないものかと悩んでいると、

「ユーフェリア様! いらっしゃいますか!」

 俺の部屋の玄関を乱暴に叩く音と、金切り声に近い感じで姫さまの名前を呼ぶ声が耳に届く。

「は、はい。なんですか?」

 姫さまは慌てて立ち上がって玄関の方へと向かう。

「すみません姫さま。すぐに準備をお願いします! アルザス区にハイディ族が攻め込んできました」

「っ! 分かりました。すぐに準備します!」

 姫さまはすぐに了承してから俺の方へと振り返る。

「すみません勇者さま。今日のところはこれで失礼します」

「ちょっと待て姫さま。まさかあんたも戦場に出るのか?」

 戦いが嫌いだと言っていた姫さまが自分から戦場に出るなど。これが戦争なのか。仕方がないということなのか?

「はい。わたくしは治癒魔法師ですから。負傷した兵の治療には私と数人の治癒魔法師が不可欠なんです」

「あ、なるほど。治療ね……」

 それなら彼女の性質から大きく外れていない。一人でも多くの命を救おうとするその姿勢は、俺が見込んだ姫さまそのままの在り方だ。

「でもわざわざ姫さまが危険な戦場に行く必要ってあるのか? 治癒魔法師って別に姫さまだけじゃないんだろ?」

「それはそうなんですけど。でも治癒魔法師は数があまり多くありません。わたくしが戦場に出ることで一人でも多くの民を助けられるのでしたら、それは出るべきなんです」

「なるほど。立派な志だ」

 その覚悟に敬意を抱く。

「アルザス区って近いのか?」

「いえ。国境なので距離はかなりあります。なので転移魔法陣を使って移動します」

 うむ。さすがは魔法世界。ちょー便利なものがあるじゃないか。

「俺もそこに連れて行ってくれないか?」

「え?」

「見ておきたいんだ。姫さまが止めたい戦争の現場を」

「………………」

「………………」

 姫さまと俺はじっと見つめ合う。

 そして、

「分かりました。一緒に行きましょう」

 了承してくれた。

 姫さまも俺も目的は同じなのだ。そしてその目的のためには俺が戦場を知る必要があると理解してくれたのだろう。


 いざ戦場へ。

 そこで待っていたのは、平和ボケ国家日本で育った俺が初めて目にした、正真正銘の地獄絵図だった。



「あ……」

 辺りには血の匂い。呻き声。

 そして死体。

 敵の死体も味方の死体も入り混じって大地に倒れている。

「ぐ……」

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

 死体に対する嫌悪感は原初の感情だ。意志ひとつでぬぐい去れるものではない。

 ここは紛れもない戦場。人の死が溢れる場所。

「あの……大丈夫ですか……?」

 姫さまと一緒に来た付き人の女性が心配そうに声を掛けてくる。

「だ、大丈夫だ。すまない」

 姫さまは既に負傷者の手当に赴いている。ここよりも遥かに凄惨な場所に自らの意志で踏み込んでいる。

「これが……覚悟の違いか……」

 まあ、認めるしかないだろう。

 あんな幼い女の子が、俺なんかよりも遥かに強い覚悟を持っていることを。

「せめて見ておかないとな……」

 彼女はこれ・・が嫌いなんだ。

 これ・・を終わらせたくて、きっと必死なんだ。

 その為に毎日俺の部屋に来て、自分が少しでも出来ることをしようとしているんだ。

 この世界ではない場所の知識と道具。その中で自分が望む結果へと繋げられるものが何か無いだろうかと必死で探している。

 俺との会話も、俺の世界に対する好奇心も、全ては望んだ未来をいつか手に入れるため。

 俺は彼女に協力すると約束した。

 そしてその方向性も見つけた。

 だからあとは、俺自身が覚悟を決めてこの光景と向き合い、そして答えを見つけなければならないんだ。

「ちょっと一人で歩いてくる」

「待ってください。まだハイディ族が近くにいるかもしれません。ただでさえ勇者殿の格好は我々と違って目立つのですから危険です!」

 付き人の女性がそう言って俺を引き留めるが、俺は首を横に振る。

「心配要らない。俺はここを調査したくて付いてきたんだ。ここでぼんやりしているだけなら無理に付いてきた意味がない」

「だったらせめて護衛を……」

「そんな余裕ないだろ。みんな怪我人ばっかりだ」

「しかし……」

「大丈夫だ」

 引き留めようとする付き人の女性を半ば無視する形で歩き始める。

「………………」

 恐怖がないと言ったら嘘になる。歩き出した足も若干震えている。それでも前に踏み出さなければ何も得られないと知っているから、その足は止まらない。


「……何だかな」

 倒れている奴も、まだ生き残っている奴も、どちらも剣呑な目をしている。兵士に運ばれていき治療される間も、相手への恨み言を呟いているのが耳に届く。

「……本当に出来るのかねぇ」

 彼らを利益によって結びつけ、共存させること。

 それが俺の見出した戦争終結の道だ。

「長年の憎しみで繋がれた負の絆。これを断ち切るのはまず無理だ」

 それも一つの結論。

 お互いが望んだ平和的解決、その終結はあり得ない。

 手に手を取り合ってみんなが笑顔になれる結末など、そんなものは架空の物語、二次元の中だけだ。

 ならば導かれる結論はただ一つ。

 損得勘定と相互利益によるビジネス関係の成立。

 お互いの人間的感情をひたすらに後回しにして、利益のみを追求すれば、たとえ親の敵が相手であってもで契約を結ぶ場合がある。

 かつての日本の歴史を紐解けば、薩長同盟などがその代表例だろう。

 お互いこれでもかという程憎い相手同士、それでも利害が一致すれば協力関係になれる。

 これは戦争がまだ当たり前だった日本で実際にあった出来事なのだから、今のこの国でも通用する理屈のはずだ。

「問題は取引材料、だな」

 ビジネスとしての取引は、『売る側の経済的利益』イコール『買う側の得るべき効用』という等価交換によってのみ成立する。この交換を成り立たせるには、基盤に両者の共感・共鳴の場が作られていることが前提となる。

 更には共感・共鳴の場の蓄積が相互理解を増大さることにより、等価交換を成功させるだけでなく、継続性も持たせなければならない。

「必要なのはまず相互理解。俺に出来るのは多分、この橋渡しだな」

 現状ではハイディグレードの敵でも味方でもない俺だからこそ、彼らとの交渉が可能なのではないだろうか。

「ひとまずハイディ族とやらのリーダー格に会ってみたいものだけどなぁ。無理かなやっぱ」

 さすがにルディアのサイラスほど気安く会える相手ではないだろう。あいつの場合はむしろこっちが呼びつけられた立場だし。

「う……うぅ……」

「ん?」

 あまり目立たない路地裏の方で、一人呻いている兵士がいた。

 格好からするとルディア兵ではなくハイディ族の兵だろう。

 脇腹と右腕の出血が酷い。このまま放っておけば失血死してしまうかもしれない。

「………………」

 辺りに他の人間の姿はない。助けを呼ぶ余裕もないだろう。

「む……」

 俺は兵士に近づいてしゃがみ込む。

 予め持ってきておいた鞄から救急キットを取り出す。

「だ、大丈夫か?」

 とりあえずそんな風に声を掛けてみるのだが、兵士は俺を怪訝そうな目で見るだけだ。

「あんた、誰だ? 変わった格好をしているが、ルディアの奴か?」

「……少なくともハイディグレードの敵であるつもりはないよ。強いて言うなら中立だな」

 俺はしゃがみ込んで治療を始める。

「………………」

 脇腹……の方があきらかにヤバいのは分かっているのだが、さすがにそこを先に直視する度胸はない。なので腕の治療から開始する。

 まずは消毒液で傷口を洗浄。

「いででで! 何だその得体の知れない液体は!?」

「消毒液だよ。いいから大人しくしてろって」

「………………」

 やはりこちらに消毒液はないらしいな。まあいいか。

 ガーゼで傷口を綺麗にしてからパウダースプレーを吹きかける。

「だだだだだからそれは何なんだ!? さっきから一体何をしている!?」

「あーもう、うるせえな。黙って治療されてろよ。異文化の道具が珍しいのは分かるけどその度にビビられてたら作業が進まないじゃねえか」

「異文化……?」

「異世界、とも言うけどな」

「あんた……何者だ……?」

 最後に包帯を巻いてやってテープで留める。これで腕の治療は完了だ。

「何者かって言われてもな。ただのサラリーマン……じゃ通じないか。まあ異邦人って表現が一番近いかもな」

「異邦人……?」

「次は脇腹だな……って、うわぁ、結構深いなあ。こりゃ縫うしかないか?」

 さすがに傷口を縫ったことはない。針と糸も一応救急キットに入ってはいるが、ちょっと度胸がいる仕事だ。

「ぬ、縫うだと!? 馬鹿、やめろ! ただでさえ痛いのに傷口にそんな物を刺されてたまるか!」

 おそるおそる針を構える俺に対して、びくびくと声を上げる兵士。

「そうは言うけどこれ縫わないと出血止まらないと思うぞ。いつもはどうやって治療してんだよ」

「だから治癒魔法師が……」

「居ないぞ、今は」

「う……」

「ついでに言うと多分治癒魔法師が到着する頃には手遅れだと思うぞ」

「うぐ……」

「このまま失血死したいっていうなら放っておくけどさ」

「ぐぬぬぬ!」

 大の男が針一本にびくついている。っていうかその傷明らかに剣で貫かれたものだろうに、今更針一本にビビってんじゃねえよ。

「どうする?」

 無理強いする気はないので兵士の返事を待つ。

「………………」

 兵士は治療された腕から出血が止まっているのを確認してから、それから俺を睨みつけながら頷いた。

「頼んで、いいか……?」

「…………はは。とてもじゃないけど頼み事をするツラじゃねえよな。まあいいけど」

 俺は覚悟を決めて兵士の傷口に針を突き刺した。

「っ!!!」

「あ、こら。暴れんな! 俺だって初めてなんだから内臓ぶっさしても知らねえぞ!」

「……っっ!!」

 それを聞いた兵士は一瞬で顔を真っ青にし、脂汗に塗れながら身体を硬直させた。

「……いや、じっとしてくれるのはありがたいけど力を抜いてくれないと針が通らないっつーか……」

「む、無茶言うな……」

「いや無茶でもやれって。力ずくでぶっさされたくないだろ?」

「こ、この悪魔!」

「人聞きの悪いこと言うなって」

 ……などというやり取りを経て、ようやく兵士の治療が完了した。見様見真似ですらない完全なる想像作業だったが、まあ出血も止まっているし、兵士の方も顔に赤みが戻って来ている。恐らく大丈夫だろう。


「……まあ、なんだ。一応礼を言っておく」

「って、一応かよ」

 仮にも命の恩人に向かって酷い態度だ。まあ感謝されたい訳じゃないから別にいいんだけどさ。

「オレはハイディ騎士団千人隊長カグラ・シグラエルだ。あんたの名前を教えて欲しい」

「山田太郎。騎士じゃねえけどな」

 名乗られたからには名乗り返すのが礼儀、というのは二次元でも三次元でも異世界でも共通の常識なので名乗り返しておく。

「ヤマダタローか。変わった名前だな」

「いや、繋げるな。名前だけで呼ぶなら太郎で頼む」

「タローか」

「うう……」

 やっぱりカタカナだと間の抜けた響きになるな。しかしファンタジーの住人に漢字発音を期待するのは酷だろうし。

「ではタロー。あんたの立場について知っておきたい。あんたは間違いなくルディア側の人間だろう? なのにどうしてオレを助けた?」

「うー。一応勘違いを訂正しておくとな、俺は別にルディアの人間って訳じゃない。客人として城に滞在しているだけで、別にあんたたちと敵対するつもりはないんだよ」

「……それはどういう……」

 カグラの質問に俺が答える前に、

「タロー――――っ!」

「げ、サイラス!?」

 どうやら勝手に一人でうろうろしていた俺を探しに来たらしい。しかも王自らというあたり、おそらく姫さまが頼んだのだろう。あれで結構心配性っぽいところがあるみたいだし。

「お前な! 勝手に出歩くな! というか役立たずの癖に何戦場までのこのこついてきてるんだ!」

「役立たずとは何だ! ちゃんと怪我の治療くらいは出来たんだぞ!」

「って、敵を治療してどうするんだこの馬鹿者!」

「………………」

 喧々囂々の言い合いを続ける俺とサイラスをぽかんとした表情で見つめるカグラ。一国の王と対等に、むしろ罵り合いを続けている光景がよっぽどアレだったらしい。

「とにかく敵を見つけた以上生かしておく理由はない。ここで始末させてもらおうか」

 サイラスは剣を抜いてカグラに突きつける。

「………………」

 まだ自力で動けないカグラはサイラスを睨みつけることしか出来なかった。

「って、何してるんだ! 人が苦労して助けた命を勝手に殺すな!」

「黙れ。こいつは敵だ。我が国の民を何人も殺している。王である我がそれを見過ごせるわけがないだろう」

「そういう問題じゃない! とにかく俺の前でこいつは殺させない!」

 俺はカグラとサイラスの前に立ち塞がる。

「タロー。確かにお前は我が異世界から招いた勇者だが、しかし我の邪魔をするというのなら、元の世界に還す前に斬り捨てるぞ」

 今度は俺が剣を突きつけられる。

 首筋に突きつけられた刃物の感触。揺るぎない殺気。これは脅しではない。サイラスは本気で俺を殺す気だ。役に立たない勇者などサイラスにとって何の価値もない。

 そうだ。今の俺はサイラスにとってもルディアにとっても無価値なんだ。

 俺は俺の価値を、俺の意志を、何一つ示してはいないのだから。

「あんたこそ、俺の邪魔をするな」

 俺は可能な限り冷たい声でそう言った。

 恐れを殺し、震えを殺し、意志のみを貫くために。

「……なんだと?」

 サイラスの眉がぴくりと跳ね上がる。

 そんな物言いをされたのは、生まれて初めてなのかもしれない。

「あんたが俺を喚んだ目的は何だ? サイラス・フォルティース・ルディア。この戦争に決着をつけてルディア国を救うためだろう?」

「そうだ。その為にお前を喚んだ。我が次元魔法で勇者を召喚するはずだった。だがそれは失敗した。お前は我が求めた勇者ではない」

「だが姫さまが望んだ『勇者』は確かにこの俺なんだよ、サイラス」

「……なんだと?」

「姫さまの望みは『戦わずに戦争を終わらせること』。俺は既にその答えを半分だけ見つけている。残りの半分が見つかれば、実現可能なんだ」

「なんだそれは。戦わずに戦争を終わらせるだと? そんなこと出来るわけがないだろう!」

 激昂するサイラスを、俺は静かに睨み返す。

「出来るさ。俺だからこそ(・・・・・・)出来ることがある(・・・・・・・・)。あんたも本当は、それ・・を期待していたんじゃないのか?」

「………………」

「自分に出来ないことを、自分では思いつかない方法を成し遂げてくれる存在を。世界の外側の知識と経験。それだけがこの状況を変えられる」

「……もう半分は見つかっていないのだろう? だったら実現は出来ない」

「見つけるさ。見つけてみせる。その為に今カグラを殺させるわけにはいかない」

「何のために?」

「俺と姫さまが望む『戦争の終わり』を実現するために」

「………………」

「………………」

 剣は相変わらず突きつけられたまま、お互いに睨み合いが続く。

「……ユフィは、いつからお前と関わっていた?」

「ユフィ? ああ、姫さまのことか。俺がルディアに来た最初の日からずっとだ。毎日俺の部屋で茶を飲んだり談笑したりしてるよ」

「っ!」

 それを聞いた瞬間、サイラスの剣に力が籠もる。

「おわぁ!? あ、あぶ、危ねえな! ちょっと切れたじゃねえか!」

 ちょみっと首筋が切れたぞ! あと数センチずれてたら頸動脈イッちゃってたぞ!

「へ、部屋に連れ込んだだと!? きききき貴様! まさかユフィに手を出したんじゃあるまいな!?」

「出すか! 兄馬鹿も大概にしろ! それから連れ込んだんじゃなくて姫さまの方から毎日訪ねてきてんだよ! 勘違いするな!」

「……本当だろうな?」

「嘘を付く理由が今のところ見当たらねえよ」

「………………」

 妹のことでここまで取り乱すとは、こいつシスコンか?

 というか本題から著しくずれている気がするのだが……

「とにかく、今は見逃してやれ。一国の王が怪我人にトドメ刺すような真似は感心できないぞ」

「う……」

 王としての行動、その誇りを傷つける真似、そのあたりを刺激されたサイラスはかなりばつの悪そうな表情になって剣を引いてくれた。

「たしかに、それは王の行動ではないな……」

「つーかむしろ卑怯者の行動だな」

「黙れ」

「というわけだ、カグラ。自陣までは何とかして辿り着いてくれよ。俺もこいつの前でこれ以上の手助けはしづらいからさ」

 俺はカグラに振り返ってそう言った。カグラはぽかんとした表情のまま俺たち二人を見ている。

「勇者……?」

「いや、別にタローでいいから。俺自身は『勇者』のつもりはないし」

 ただでさえ『勇者』呼ばわりは精神的にきっついものがあるのだ。俺をそう呼ぶ人間は少ないに越したことはない。

 ……まあ、なんだ。姫さまの『勇者さま』はちょみっとなごむから満更でもないけどさ。

「もういいだろう、勇者。そいつは放っておけ。さっさと戻るぞ。それから戦争を終わらせる方法というのも帰ってからじっくり聞かせてもらうからな」

「へいへい。でもあくまで俺と姫さまが望む方法だから、あんたの意に添うとは限らないぞ、サイラス」

「それは聞いてから考える。いいからさっさと来い」

「じゃあな、カグラ。苦労して助けたんだからこんなところでくたばるんじゃないぞ」

「………………」

 結局カグラは最後までぽかんとしたままだった。

 まああまりに突拍子もないやりとりと話を間近で聞かされたのだから無理もないけど。

 でもこれでハイディグレードとの繋がりも出来た。

 これは俺にとって悪くない一歩だと思う。

 ハイディグレードへの理解を深める足がかりに、彼はなってくれるだろうか。

 いや、なってくれなければ困る。

 酷い話かもしれないが、その為に助けた命でもあるのだから。

 俺は自分の行動に何の打算も持たないほど聖人ではないからな。

 期待してるぜ、カグラ・シグラエル。

 

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