第十一話 脱サラ勇者の経済戦争?
昼下がり、新兵教育を一段落終えたカグラに食堂から預かってきた差し入れを届ける。
「おう、わざわざ届けてくれたのか。悪いな、タロー」
タオルで汗を拭きながら振り返るカグラ。
「いや。ちょうど話したいこともあったしな。少しくらいなら大丈夫だろう?」
「大丈夫ではあるが、お前人の貴重な休憩時間にそういう事を言ってくるか普通?」
「悪いな。出来るだけ急ぎたいんだ」
「? まあいいけど」
次の満月まであまり時間がない。出来ればそれまでにケリを付けたいのだ。いや、提案さえすればケリはつくだろうが、出来れば見届けたいと思っている。その時間を得るために、俺はなるべく急ぎ足で交渉を進めなければならない。
休憩は一時間ほど。外で話す内容でもないので、俺たちは客室へと移動した。俺が現在使わせてもらっている部屋だ。
差し入れのバスケットを開けてから、具の挟まった丸パンをかじるカグラ。
「ふぉれで? ふぁなしってなんら?」
「……食いながら喋るな。何言ってるか分からん」
「んぐんぐ……。話って何だ?」
「……気が抜けるなぁ」
まあ過酷な教育で心身共に疲労しているだろうから栄養補給を優先するのは仕方ないことなのかもしれないが、どうにも緊張感が殺がれてしまう。
「戦技教導?」
もぐもぐさせながらカグラが返答する。
「そう。物理的な対価も払えない、防衛力としての役務提供も不公平。だったらこのハイディグレードでもっとも価値のあるものは『ハイレベルな戦技教導』だと思うんだ」
「そりゃあ戦闘に関してはそれなりの自負はある。長年戦ってきたハイディグレードは新兵教育にも力を入れてきたからそのノウハウも練度は高い」
「だろ? だからハイディグレードの戦技教官をルディアに出向させるんだよ。ルディアは食糧、そしてハイディグレードは戦技教導。自分たちの国と命を守るための教育概念だ。充分に釣り合うはずだぜ」
「それは、確かに……」
考えてもみなかった、とカグラが感心したように頷く。
「だが敵対国の兵を鍛えるのはリスクが高すぎないか?」
「アホか! そもそも戦争を終わらせるための取引だろうが! 戦争を前提にして考えるな!」
「すまん……」
「……まあ戦ってばかりの日常だったんだから考え方が多少物騒になるのは仕方ないにしてもだ、まずは歩み寄りの姿勢を心掛けろ。いままで敵対してきた奴らを鍛えてやるのは抵抗があるかもしれないが、そこは我慢しろ。これは友好関係じゃなくて取引関係だ。好悪の感情は必要ない。お互いに果たすべき仕事さえすればそれで成立するんだ」
「取引関係……か……。考えたこともなかったな」
「俺の世界では割とありふれた関係だぜ。過去の歴史を紐解けば不倶戴天の敵同士が相互利益のために嫌々手を結んだ例もあるし。今だってビジネスライクでどうでもいい人間同士が手を組んで仕事したりな」
「ふむ……」
「もっと大きな視野で物事を見た場合、人間の感情なんてのは本気でどうでもいいくらいに取るに足りないものなんだ。相手が好き、相手が憎い、そんなことはどこに行っても誰と接しても決して消えないものだ。だから呑み込むしかないのさ」
「………………」
「少なくともこの提案の利点は二つある。一つは戦争が止められること。そしてもう一つは同盟関係を結ぶことにより有事の際の軍事力が二倍になるってことだ。どちらかが危機に陥れば助けに入れる。そしてどこか一国に攻め込まれた際には二国合同で守る方が遥かに有利だ」
「……どうして俺たちがルディアを助けなければならないんだ」
カグラが不満そうにぶちまける。
「それが取引関係だからだよ。この同盟の肝は『お互いがお互いによって支えられている』ということだ。軍事力の低下したルディアはハイディグレードの戦技教導と軍事力の助成が不可欠であること。そして食糧難を抱えているハイディグレードはルディアからの食糧支援が不可欠であること。どちらかが攻め滅ぼされれば、もう片方もダメージを受ける。だからお互いに守るんだよ。自分たちの利益を守る為にな」
「………………」
「これは取引だ。損益勘定という絶対的な尺度で成り立つ相互利益。善意でもないし悪意が入り込む余地もない。そんな人間的感情は勘定にすら入れる必要はない」
それこそが経済の強み。
感情ではなく利益を追求する概念。
もちろんそこに新たな争いが生まれる可能性はあるが、しかし争わずに解決する新たな可能性が生まれることも確かなんだ。
「……言いたいことは分かる。だがそれはお互いがある程度安定したら意味がなくなるんじゃないのか?」
ハイディグレードは今回俺が提案した土壌改良により、時が経てば安定した食糧を手に入れられる可能性がある。
そしてルディアもその戦技教導のノウハウを身に付け、軍事力を底上げできた場合、ハイディグレードは用済みとなる。
到達点は始める前から見えている。
しかし、
「平和な頭で羨ましい」
俺はそんなカグラにそう返した。
歴戦の騎士に。
数えきれないほどの血でその手を染めてきた男に対して、そう断言した。
「何?」
さすがにカチンとくるカグラ。
抑えきれない怒りが表情に出ている。しかし俺は退かない。
「勘違いするな。平和な頭というのは別の意味でだ」
「………………」
「知らないのだから想像が付かないのも無理はないがな。人間ってのは基本的に欲深い生き物なんだよ。何一つ不自由のない環境にありながらも、更なる利益を求める。もっと利益をってな。だからこの先両国がお互いを必要としない状況になったとしても、それでも手を組んでいた方が有利であり、更なる利益を上げられる。その可能性は高いと思っている。だから大丈夫だ。それに利益を求めなくなったら同盟を破棄してもいい。その頃にはお互い戦争なんて必要なくなってるだろ?」
「人間の欲深さ……か……。確かにギリギリで生きている俺たちには分からない概念だな」
「今はまだ、な。だが余裕が出てきたら必ず思い知ることになる。望むと、望むまいとな」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
世界は違っても、同じように生きている人間である以上、奥にある業は同じだと思う。
人は幸せになるために生きているのだから、よりよい幸せを求め、より多くの利益を求めるのはむしろ本能だと言える。
「……分からないな。どうしてまず陛下に言わないんだ? 俺よりも陛下に話を通した方が早いだろう?」
「う。その理由は二つある。一つは現場の判断が確実だからだ。セインは王であって教官じゃない。それが可能か不可能かっていうのはセインよりもカグラの判断の方が頼りになるんだ」
「なるほど。筋は通っているな。そしてもう一つは?」
「うぐ……。もう一つは、その、セインとちょっと顔を合わせづらいってだけだ……」
「………………」
カグラにじっと睨まれる。すごくいたたまれない気分になるのだが、しかしここで目を逸らすのは男としてある種の敗北を喫してしまうので我慢して睨み返す。
「やはり、陛下では駄目か?」
「駄目っていうか、ほら、俺って微乳派だし」
「………………」
「それ以前にこの世界の人間じゃないからな。そう遠くないうちに戻ることになる。だから応えてやることは出来ないんだよ。人には居るべき場所、帰るべき場所ってのがある。そして俺はここに居るべき人間じゃないし、俺の帰るべき場所はあくまでも元の世界だ」
「………………」
「まあセインなら他に相応しい奴がそのうち見つかるだろ。何も異世界の人間にそこまで拘らなくてもいいじゃないか」
「………………」
カグラはさっきから黙り込んだままだ。
「……失敗だったかもしれんな」
「え?」
「いや。タローに言っても仕方がないことだ」
「なんだよ。気になるじゃねえか。言えよ」
「聞けば恐らく罪悪感に苛まれるぞ。オレが今そうであるように」
「余計に気になるわ! つーかなんでセインのことでカグラまで罪悪感に苛まれるんだよ!」
「いや、つい先日、陛下の初めてを頂いたのがオレだからな」
「………………は?」
突拍子のない台詞に俺の方が固まる。
「……いや、だから……」
もごもごと言いにくそうに、俺から目を逸らしながら続ける。
「陛下が相談してきたのだ。タローを手に入れるにはどうすればいいか、とな」
「………………」
「オレは男だからな。安易に考えて誘惑すれば落ちるのではないかとアドバイスしてみた」
「するなよ!」
「しかしその時点で俺はタローの性癖には気付いていたからな。陛下の素晴らしい肉体とタローの趣味は噛み合わないだろうという事も知っていた」
「………………」
その通りだけど。まさにその通りだけどさ!
「そして陛下にはまだ男性経験がなかった」
「そ、それで……?」
嫌な予感はますます膨れ上がる。
「それでオレは考えたわけだ。今のままの陛下がタローを誘惑したとしても、初めてであることを理由にタローが拒絶するだけではないのだろうか、と。だったらむしろ手慣れている風に教育して差し上げてから快楽に溺れさせる、堕とさせる方向で攻めるのが有効なのではないだろうかとオレは考えた」
「的確過ぎだ! その所為で俺がどんな目に遭ったと思っている!」
恐ろしいほどの的確さ。むしろぱねえ!
確かにセインが初めてだったら俺はそこを突いてセインを拒絶していただろう。しかし有無を言わせないセインの攻めとテクニックが俺を完膚無きまでに敗北させた。俺の主義主張、微乳至上主義を粉々に砕きやがった!
「そしてオレは陛下を教育してさしあげた。確実に勝てるように、あらゆる技術を仕込んで差し上げた。オレの腕の中で痛みに耐える陛下はなんともごちそうさまという感じだったがな」
「………………」
カグラはカグラでかなり女慣れしているのだろう。だからこそセインは教育係としてカグラを選んだのだろうし、結果としてその判断はこの上なく的確だったわけだが。それにしても複雑だ。
「陛下としても屈辱だっただろう。いくらタローを手に入れるためとはいえ、自分の大事なものを教育のためになくしてしまったのだからな。初めてが好きでもない、ただの部下としか見ていない相手だったのだ。さすがに泣いていたな」
「う……」
それは確かに、罪悪感だ。
「だから少し後悔している。タローを手に入れるために陛下はオレの教育に耐えたのに、結局タローは手に入らないという事になるからな。そうなるとオレは陛下から一方的に奪っただけ、ということになる。もしくは何もしないまま陛下に任せておくべきだったのかもしれないとさえ思っている」
「うぅ……」
いやいやいやいや。俺の知らないところでそんな涙ぐましい間違った方向の努力をしてたんだからちょっとは汲んでやれとか言われてもさ。困るんだよ! マジで困るよ!
「どうして、そこまで……」
「………………」
セインはどうしてそこまでするのだろう。
仮に俺に惚れてくれたとしても、どうしてそこまでしようと思ったのだろう。
俺なんて所詮は異世界から紛れ込んできた異物じゃないか。この世界とは相容れない、帰る場所がある異邦人なんだから、俺がセインを受け入れられないことくらい分かっても良さそうじゃないか。
それなのに……
「やれやれ。その答えこそ簡単なんだがな。お前はさっきオレの頭を平和だと言ったがお前こそ平和すぎて鈍すぎる」
「へ?」
心底呆れ果てたようにため息混じりでそう言われる。
何だ何だ? 俺は一体どういう失言をやらかしてしまったのだ?
「タローは陛下にとって一つの『奇跡』なんだよ」
「へ……?」
勇者と呼ばれ詐欺師と貶められ、仕舞いには奇跡でせうか?
いい加減ついていけないぞ。
「オレも陛下も、戦うことしか知らない。戦うことが全てだった。だから戦って戦って、そして朽ちていく。そう思っていたんだ。いや、そうとしか考えられなかったんだ」
「………………」
「オレはお前に初めて会った時、お前が眩しかった。ルディア王に正面から啖呵を切ったこともそうだが『戦わずに戦争を終わらせる』という言葉こそが何よりも突き刺さった」
「その程度のことで……」
「お前にとっては当たり前のことでも、俺たちにとっては奇跡にも等しい選択肢だった。本当にそうできるならどれだけ救われるか。オレたちは別に好きで戦ってるわけじゃない。いつだって苦しいし、いつだって痛い。戦いとはそういうものだ」
戦わないこと。
手を取り合うこと。
それが当たり前の世界で生きてきた俺には呼吸をする如く自然なことだった。
しかし呼吸をするように戦って血で染まって、喘ぐように耐えてきたカグラ達にとっては、それは一つの奇跡なのかもしれない。
「オレはお前に命を救われた。だがそれ以上に戦わない選択肢を示してくれたことに感謝しているんだ。オレたちの未来は、お前に救われようとしているんだ」
「ま、待て待て! 俺はそこまで大それたことをしたわけじゃない! ちょっと背中を押してやっただけだろ!」
こっちの想像以上に大きな話になってきているので逆に戸惑う。セインの初めてネタからどうしてそこまで話が飛躍するんだ!?
「だから、陛下にとっもそれは『奇跡』だったんだ。誰よりも陛下が苦しんできたのだからな。一軍を率いる将として、一国を統べる王として。最も深い業を背負ってきたのだから」
「む……」
「あの時陛下は確かにお前に救われたんだよ。奪わなくてもいい未来、そして殺さなくてもいい未来を、夢見ることが出来たのだから」
「………………」
重っ!
なんだこの滅茶苦茶重たい会話は!
俺はそこまでのことをしたわけじゃないぞ!
いやいやマジで。
「だから陛下は本気だった。しかしだからといってタローにそれを強要する気はないから安心しろ。オレも陛下も最大限の努力はしたつもりだし、それで報われなかったのなら巡り合わせが悪かったということだろう」
「うう……」
「精々ルディアの微乳姫と仲良くやってくれ」
「そこでそれを持ち出すな!」
「まあ戦技教導の話はオレから陛下に伝えておこう。タローは残りの滞在期間中、出来るだけ陛下に優しくしてやってくれ」
「無理」
「………………」
振った相手に希望を持たせるほど残酷なことはない。俺はそんな事をするつもりはないし、してはならないと思っている。
出来るだけ避けて、そしてセインが俺に対する心残りを捨てられればいいとすら思っている。
俺はセインを好きにはなれないし、セインのために元の世界を諦めるつもりもない。
だから、これでいいんだ。
これでいいんだと、自らに言い聞かせた。




