第十話 戦技教官参上
「おはようタロー。陛下の味はいかがだったかな?」
「って、朝から第一声がそれかいっ!」
恐らくはあのおっぱい窒息攻撃でそのまま気絶した俺は、なんと次の日の朝までぐっすり眠ってしまったらしい。ベッドの中にセインの姿はなく、俺は半裸のまま一人で目を醒ました。
醒ました途端、いつの間にか部屋にいたカグラがそんな事を言ってきたのだ。溜め息の一つも付きたくなるところだが、突っ込みの方が最優先事項だ。
「先日は陛下がタローを落とすと息巻いていたからな。付き添いは遠慮させてもらった」
しれっとのたまうカグラ。どうやら昨日は知っていて見捨てたらしい。見捨てたというよりも共犯なのかもしれない。いやそうに違いない。
「止めろよ! あの淫乱娘にどれだけ酷い目に遭わされたと思ってるんだ! つーか王様ならもっとちゃんとした相手とやっちゃえよ!」
「そう言うな。陛下のおっぱいはなかなかに見事だったろう?」
「俺はぺったん派だっ!」
つーかまたおっぱい話題なのか!?
あんたらそれしかないのか!?
「何!? さては貴様敵だな!」
「その話題に関しては未来永劫の天敵だと主張する!」
巨乳派と貧乳派。
それは未来永劫交わることのない氷と炎のごとく反発する宿命なのだ。
つーか朝から何を言い合っているのだろう俺たちは。
確かに男にとっておっぱいとは夢であり希望であり理想郷でありある意味腹上死に次ぐ死に場所に選びたいアレではあるのだが!
しかし戦争問題と食糧問題を抱えた国で朝っぱらから交わす会話ではないことは確かだろう。
「まああまり怒ってやるな。陛下がタローを気に入っているというのは本当だ。確かにそういう国民性ではあるが、それでも陛下は王族としてそれなりの貞淑さは持っている。きちんと相手を見定めた上で、それでも身体を許していいと思ったからこそああいう行動に出たのだろう」
「待て待て待て! 貞淑な女がいきなり男に襲いかかってたまるか! しかも力ずくで喰われたんだぞこっちは!」
「きっと陛下なりの照れ隠しなのだろう。察してやれ」
「察せられるかっ!」
どんな照れ隠しだ!
「しかし陛下もあれで可愛らしいところはあるぞ」
「どこがだ!」
「あの後『やはり胸は小さいほうがよいのかのう……儂の胸などただの贅肉で、男はもっと引き締まった身体のほうが好みなのかのう……』などとご自分のおっぱいをたふたふさせながら落ち込んでいた」
「マジか!?」
なんだか微妙な罪悪感が!
「……と、いうようなことをタローに吹き込んでやれという裏工作を陛下に頼まれた」
「台無しだよ! 俺の罪悪感を返せ!」
「しかしそういういじらしさは何とも可愛らしいと思わないか?」
「うぐ! そりゃちょっとは思うけど……」
なんというか、ことごとく外してる部分とか、空気読めないクセに萌えポイントはきちんと押さえているところとか……。
「陛下は本気だ。男なら受け入れてやれ」
「待て待て。俺の意志は!?」
「オレは陛下の臣下だからな。タローの自由意志よりも陛下の望みを最優先するのは当然だ」
「命の恩人なのに!」
「それに対しての礼はもう言った」
「礼だけじゃなくて誠意を見せて欲しいなあっ!」
「では陛下に内緒で微乳娘を紹介してやろうか?」
「マジで!?」
「冗談だ」
「………………」
本気で期待しただけに本気で落ち込んだ。
「そこまで本気で落ち込まれるとは思わなかった……」
「うるさい! お前なんかに俺の気持ちが分かってたまるか! 俺の世界でそんな子に手を出したらロリコン扱いの犯罪者なんだぞ! せっかく公認でぺったんロリ娘に手を出せる機会が巡ってきたと思ったのに冗談だったとか言われて見ろ! 泣くぞ!」
というか泣いていた。男泣きだった。目にうっすらと涙が滲んでいるのが自分でも分かった。
「いや、そんな事でマジ泣きされてもむしろこっちが困る……」
そんな俺にマジでドン引きのカグラ。
やはり巨乳派と微乳派は未来永劫解り合えない存在らしい。
「それにそんなことをしたらオレが陛下にぶっ殺される」
「そうか……」
確かにセインが怒ると怖そうだ。副官ならその恐怖も知りつくしていることだろう。
「話は変わるが、今日はちょっと仕事があってな。タローの方にばかりついていられないんだ。だから今日だけは陛下の側にいるか城の中で大人しておくか、どちらかを選んでくれると助かる」
「その二択なら城の中で大人しくする方を選ぶが」
「……陛下が聞いたらさぞかし落ち込むだろうな」
「知るか。何の仕事なんだ?」
「いや。ただの新兵教育なんだがな」
「教育?」
「オレは千人隊長兼陛下の副官兼戦技教官なんだよ」
「なんかそれだけ聞くとすげー忙しそうだな」
「すげー忙しいに決まっているだろう。陛下の巨乳を眺めながらその中に顔を埋める妄想だけが唯一の慰みだ」
「過労死してしまえ」
「………………」
たった半月ほどの付き合いなのに、随分と遠慮のない関係になってしまった気がする。主義主張(おっぱい限定)が違うので決して友達にはなれないけれど、しかしこういう関係も嫌いではない。
「……しかし戦技教官、か。なあ、俺も見学していいか?」
「? 構わんが、見ていて面白いものではないぞ」
「いや、別に面白くて見るわけじゃねえし」
「何か掴んだか?」
「まあそんなところ」
という訳で戦技教官カグラ・シグラエルの雄姿をとくと眺めさせてもらうことにした。
「そこ! 槍を扱う時は点と円を意識しろ!」
「弓で狙うのは頭じゃなくていい。身体の中心点を狙え。中心点には急所が集中しているし、外れてたとしてもどこかに命中する可能性が高い」
「隊列は乱すな! 回り込む際も脆い部分を作らないように注意しろ!」
などなど。実に的確な戦技と戦術の指示を出していくカグラ。そしてその指示に忠実に動くハイディグレードの兵士達。
俺はその様子を隅からこっそり……ではなく、ふてぶてしくもゲスト椅子という名の木の箱に座りながら眺めている。練兵所にはこういう木の箱が積み上げられている場所が多い。武器や防具、練習用の装備などを入れておく箱なのだろうが、今となってはただの椅子である。むしろ俺の所為で椅子になっている。
「見事なもんだなぁ」
軍事も訓練にも無縁な俺だが、それでも素人目でもこれがレベルの高い教導だということが理解できる。
ハイディの歴史は戦いの歴史。国民のほとんどが兵士や狩人として戦う術を身に付けている。だからこそそれを教える技術も発達しているのだろう。
最短時間で最大効率の成果を上げること。
これはどんな分野においてももっとも価値のあることではないだろうか。
そしてこの教導はおそらく……
たふん。
「恐らく……」
たふんたふんたふん!
「恐らく、なんじゃ?」
「……まずは俺の頭の上からその贅肉をどけてくれないかな?」
「贅肉言うでない!」
「痛ぇっ!」
殴られた。グーで頭を思いっきり殴られた。滅茶苦茶痛い。
そして客観的に見た場合には非常に羨ましい状況にある(頭の上にセインの巨乳をたふたふ載せられていた)俺を、訓練中の兵士がギロリと睨みつけている。
あれは美味しい状況にある俺への嫉妬なのか、それとも見事な巨乳を贅肉呼ばわりしたことに対する純粋な怒りなのか、それとも両方なのか。俺にはその区別は付かない。しかし気にしない。だって俺、微乳派だし!
「部屋にいないと思ったらこのような場所におったのじゃな、タロー」
「セイン。あんたって実は暇人なのか?」
王様ってのはかなり忙しい職業だと思っていたのだが、こうやって俺のところにちょくちょく会いに来ているのを見ると、案外暇な職業なのかもしれないと思ってしまう。
「うむ。滅茶苦茶忙しいぞ! 忙しい合間を縫って頑張って会いに来ておるのじゃ。感謝するがよい!」
「つーかむしろ迷惑……いえ、何でもないデス……」
セインよりもセインを信奉する新兵達の視線が恐ろしくなって俺は口を噤む。
どうやらセインは王としてかなりのカリスマを持っているらしい。俺たちのセイン様に何言いやがってくれてんだこのボケ! 的なオーラをひしひしと感じる。つーか刺さる!
「それよりもまずは見て欲しいものがあるのじゃ!」
「見て欲しいもの?」
「うむ。ちょっと付いてきて欲しい」
「うわわ! 引っ張るなって!」
俺が返事をする前に城の裏手へと引っ張っていくセイン。逆らう力もなければ暇もない。ゴーイングマイウェイなセインはどこまでも気ままだ。
むしろ逆らおうとするなら再び巨乳窒息させられるだろう。それは嫌だ。むしろ微乳窒息希望……ううむ、物理的に無理か?
「ここじゃ!」
セインが連れてきたのは城の裏手にあるとても小規模な畑だった。
「ここは……」
いや、畑と表現するのはおこがましいだろう。むしろ家庭菜園というのが正しい。城の敷地で家庭菜園っていうのもかなり微妙だけど。むしろ城菜園……ちょっと語呂が悪いか。
「植木鉢実験と並行してやっておったのじゃ。ここだけは儂の管轄じゃからな。規模は小さいが、その分色々と自由にいじくれる!」
ここ半月ほどで随分と色々やったらしい。小さな菜園からは瑞々しい芽が出ている。貝殻焼成カルシウムなのか、それとも生ゴミ堆肥なのか、どっちの成果なのかは判らないけれど、それらは確実にいい変化をもたらしてくれたのだろう。
「すごいな! 土を弄くるだけで作物とはここまで違ってくるのじゃな! 儂は今かなりの感動をこの身に憶えておるぞ!」
感動というよりは興奮、といった風な様子で喋りかけてくるセイン。
「それもあるけど、それだけじゃないな。これはかなり細かく手入れしているだろう?」
俺が見たところ、土の手入れだけでもかなり細かくやっているのが分かった。畑の土とは違って色が深くなっているし、それに粒が細かい。肥料とも万遍なく混じり合っているようだし、これは間違いなく人的な労力がかかっている。
「うむ! ちょっと滑ったりこけたりして全身土まみれになったが、けど楽しかったぞ!」
「って、セインが全部やったのか!?」
兵士にやらせたんじゃないのかよ!?
いくら小規模だからといっても王自らが土いじりなんて……。
「あやつらに手を貸してもらうのはもっと規模が大きくなってからじゃな。この程度なら儂一人で充分じゃ」
「そ、そうか……」
「それに、まだどうなるか分からないからな。下手に期待させてぬか喜びはさせたくない」
「………………」
失敗してガッカリするのは自分一人で充分。そういう心がけは王として充分に立派だとは思うのだが、しかし……
「なんか寂しくないか? そういうの」
誰一人頼りにしようとしないその姿勢は、孤独な背中として俺の目に映ってしまう。
「え?」
「いいじゃんか。失敗しても、またやり直せば。失敗も後悔も自分一人じゃなくてみんなで分かち合えばそんなに重たくない。カグラも他の奴も、それを不満だと思う奴じゃないだろ?」
「……そう……かもしれぬな……」
目を伏せながら、気まずそうに頷くセイン。
「じゃがな、タロー。儂はあやつらに戦い以外の重荷を出来るだけ背負わせたくないのじゃ」
「戦い以外の重荷?」
「儂らは所詮略奪者じゃ。儂らが、そして民が生き延びる為に何の罪もない、ただ真面目に日々を生きておるだけのルディアの民から食糧を奪って、そして時には命まで奪っておる。儂らは間違っておる。儂らにはどのような意味においても正当性などありはしない。なあ、タロー。これがどういう事か分かるか? 自分たちの正義を信じられないまま、自分たちが間違っていると自覚したまま、戦って、奪って、殺す。それは、とてつもなく苦しいことなのじゃ」
「セイン……」
戦いには正義がある。
みんな自分たちの正義を信じて武器を取る。
正義なんてものはどこにでも転がっていて、そしてどこにも存在しない。
それは誰もが信じられる、自分の信念という曖昧模糊な戯言なのだから。
「とても、辛いことなのじゃ……」
誰もが正しさを信じられるからこそ、戦うことが出来る。
奪うことも、殺すことも出来る。
しかし自分たちの正しさを信じられないまま戦い続けなければならない者達は、どうなのだろう。
疑念は消えず、後悔は積み重なり、それでもやめることが出来ない永遠の拷問。
どれだけ自分たちが辛くとも、奪い続けるしかない。殺し続けるしかない。
「それでも儂らが殺す側であり、奪う側である以上、そのような泣き言は許されぬ。それが悪を為すものとしての最低限の矜持じゃ」
セインは菜園にしゃがみ込んでから、小さな芽にそっと触れる。それが希望の光であるかのように、愛おしむような手つきで。
「タローには本当に感謝しておるよ。この試みが成功すれば、すぐには無理だとしても、きっと数年後には奪わなくても殺さなくてもいい未来がやってくる」
「ああ、きっと大丈夫だ」
「そうだな」
振り返ったセインは子供のように笑っていた。その笑顔があまりにも輝いていたので、俺は思わずブルブルと頭を振って自らを戒める。
「? タロー、どうしたのじゃ?」
そんな俺に対して不思議そうに首を傾げるセイン。
「いやいやいや! あやうくほだされそうになるところだった! 俺はロリコンなんだからそれは駄目なんだ! ぺったん万歳ぺったん万歳微乳最高……」
「なんでじゃーっ!!」
怒った。
自分の信念を再確認していたところを怒られた。うがーっと子供みたいな怒り方で怒られた。
「せっかくタローに慰めてもらおうと頑張ってしおらしくしてみたのにどうしてそういう方向で無視するんじゃーっ!」
「って、わざとかよ!」
「失礼な! ちょっと仕草に脚色を加えただけで全体的には本心じゃ!」
「脚色すんな!」
「恋は駆け引きじゃとカグラに教わったのじゃ!」
「余計な教育してんじゃねえ!」
ここにはいないカグラに届かない文句を叫んでみるものの、かなり虚しい気分になってしまった。それよりも目の前のセインの方がよっぽど脅威だ。
いつか俺の信念が崩されそうで怖い。
「あのさ、俺にはあんまり執着しない方がいいぞ」
怖いのだが、それ以上にセインの為を思ってそんな事を言っておく。
「え?」
意味が分からない、と首を傾げるセイン。
「いや、だから……。俺は元々異世界人だからさ。そう遠くない内に元の世界に帰るんだ。この世界にずっといるわけじゃない」
「………………」
「セインの気持ちは嬉しいけど、いや、嬉しがっちゃ不味いんだけど。俺はセインに対して責任は取れない。だから俺のことは諦めた方がいい」
「………………」
彼女いない歴年齢、いき遅れ中年がまさかこんな台詞を吐く日が来るとは思わなかった。しかし好意を示してくれた相手に誠意で返すのは最低限の礼儀だと思うから。
……好意よりも行為をやらかされたのはまあ置いておくとして(汗)。
「次の満月までにはルディアに戻りたいと思っている。だからセインと一緒にいられるのはあと少しだけだな」
「………………」
セインは何も言わない。
ただ俯いたまま、何かに耐えている。
「ごめんな。俺はセインの気持ちには応えられない」
そんなセインに、今度こそはっきりと告げた。
決定的な終わりを。
「……分かった」
セインは俯いたまま、そう応えた。
そのまま踵を返して、そして立ち去る。
その背中はひどく寂しそうで、辛そうだった。一国の王とは思えないほどに小さく、頼りない。
国を背負う王であり、一軍を率いる武人であるその前に、セイン・ハイディグレードという一人の女の子なのだという事を思い知る。
一人の女の子を傷つけてしまったというその事実は、俺の胸にも深い後悔を残しているのだが、しかしそれを引き摺るわけにもいかない。
物理的な意味で生きる世界が違うのだから、俺たちはどうやっても相容れない。一緒に生きることは不可能だ。
「それ以前に、俺はやっぱり微乳が好きだし」
……真面目に悩んでいたのが台無しじゃねえか! みたいな突っ込みは禁止。俺にとってロリコン・微乳主義というのは人生の至上目的なのだから、ここでこういう台詞を口にするのは山田太郎という人間を示すものとして充分に相応しいのだ。
「あとは仕上げだな」
セインとのこともある程度ケリを付けたし、そろそろ俺が元の世界に戻るための準備に取りかかるとしよう。
答えは得た。
これがうまくいけばハイディグレードとルディアの戦争を止められる。
セインももう、これ以上辛い想いをせずに済む。
ハイディ族も、ルディアの民も、全てが利益という共通目的のために手を取り合うことが出来る。
「よし。頑張れ、俺。もう一息だ!」
ファランクスに喚ばれた最初で最後の戦闘力皆無な脱サラ勇者として、俺自身の経済戦争を開幕することとしよう。




