第3話:女王
飲み屋で働いて早一週間ぐらい過ぎた。
ボクは息が切れそうなぐらいに動き回ってお客さんの注文に応えている。
何故かみんなボクを名指しで呼んできて食べ物を運ばさせて来るんだ。
何でボクばっかりを呼ぶのかリーゼに理由を聞いたんだけど「気にしなくてもいいよ」と引きつったような声を出すだけで教えてくれない。
それどころか何か機嫌が悪そうに感じたからそれ以上聞くのが恐かったんだ。
店長さんは一生懸命働いた分だけお金をくれるから良い人だった。
だからボクはそんな店長さんの期待に応えたいと思ってますます頑張って働いていく。
それから一ヶ月ぐらい働き続けたけど、何日か旅が出来るぐらいのお金を儲けることが無事に出来た。
店内で音楽が流れている。
けど、これは人が楽器を演奏して流れてる音楽じゃない。
人が作った便利な機械で音楽を出しているんだ。
何だか昔を思い出させる懐かしい曲だ。
ボクはこの曲を聴いたことがあった。
まだ戦争が起こる前の平和な世界だった頃に流行っていた音楽だ。
あの頃はまだ世界は自然の息吹に満たされていた。
鼻を啜る音が聞こえてくる。
過ぎ去った昔を音楽に見出して泣いてるんだろう。
ボクも涙が出そうになってくる。
「出来ることならあの頃に戻りたい…」
誰もが戦争が起こる前の平和な世界に思いを抱いていた。
もう二度と戻ることのない輝いていたあの頃を懐かしんでるんだ。
「誰もが輝いていた時代がある。未来を見据えて動く女と違って、男は過去の栄光に何時までも縋りたいものなのさ。戦争はそんな輝きも栄光も何もかも奪っていったわけだ。全く嫌なもんだよ」
店長さんは悟ったようなしみじみな声で語ってくる。
誰もが輝いていた時代。
ボクにも輝いていた時代が確かにあった。
リーゼロッテ・アインシュタイン。
彼女と過ごした日々がボクにとって最も輝いていた時だ。
ボクはあの掛け替えのない日々を決して忘れない。
懐かしい音楽が響く中で今日もボクは元気に働いていく。
長い旅をするためのお金が貯まったからボク達は店の仕事を辞めることを店長さんに言った。
「出来ればずっと働いて貰いたかったんだけどね。仕方ない」
店長さんは残念そうにボク達を見送ってくれた。
「エテルナ、もう君は女装なんてしないでね。あの格好されてしまうと自信が無くなっちゃうわ。だけど、たまには見たいと思うし…ううん…」
リーゼは何を悩んでいるか分からないけど唸っている。
理由を聞きたいけど、何故か危ない気がして聞く気になれない。
エノクさんも気にしないでもいいと言っていたし、何も聞かないことにした。
唸るリーゼをおいといてボク達は僅かに残っている自然があるという楽園を目指して旅を続けていく。
旅は楽しいばかりじゃない。
危険なことも沢山ある。
ボク達は今危ない人達に囲まれてしまったらしい。
「おい、俺達飢え死にしそうなんだ。金目の物を出してくれよ」
「何だったらてめえ等自身でもいいんだぜ。うひひひっ」
沢山の気持ち悪い息づかい。
舐めるような生暖かい空気が頬を撫でてくる。
周りにはボク達からお金を奪おうとする男達が取り囲んでるんだろう。
「済まない、私の不注意だった。まさかこんなところに狩猟者がいるとは…」
「大丈夫、エテルナは私が守るわ!」
リーゼとエノクさんはボクを庇うように前に立ってくれている。
神様から力を貰ったボクだけどこういうときは無力だ。
戦う力があればとつくづく思う。
だけど、無いもの強請りしても仕方ない。
せめてボクがリーゼとエノクさんの盾になる。
だってボクは不死身の身体を持っているからいくら傷ついても死ぬことはないんだ。
「エテルナ!」
「エテルナ君!」
庇われているボクが急に前に出たことに戸惑ってるんだろう。
リーゼもエノクさんから張りつめた空気が伝わってくる。
「何だ、てめえは?ガキだからって容赦しねえぞ」
「おい、こいつ上玉だぜ。女なのか?」
「この際、男でも女でもいいや。ちょっと味見させてもらって売り飛ばしてやろうぜ」
沢山の獣のように荒い息が近づいてくる。
生暖かい空気に身体が震えてしまう。
だけど、リーゼとエノクさんには手出しさせないようにしないといけない。
「じゃあ、やっちゃおうか。ぐへへへっ」
ボクは覚悟を決めて獣のような人達の攻撃に耐えようとしたときだった。
さらに多くの息づかいがボク達を取り込んでいたんだ。
ボクを襲おうとした男の人達も戸惑っていた。
「女子供に手を出そうなんてなかなか見上げた狩猟者共じゃないか」
低くて高いような声。
ボク達を取り囲んでいた男の人達よりもよっぽど男らしくて格好いい女の声だ。
「やべっ!砂漠の女王シャルナだ!」
「ずらかれっ!」
男の人達はボク達に向けた嫌らしい声とは打って変わって情けない声を出して離れていく。
どうやら僕達は砂漠の女王様という人達に助けて貰ったようだ。
「逃がすと思うかい?始末しな、野郎共!」
「へい、姐さん!」
風を切るような音が連続で響いてくる。
「ぎゃあああっ!」
「お助け…ぐあああっ!」
男の人達の悲鳴と共に鈍く潰れるような生々しい音が聞こえてくる。
砂漠の女王様達が逃げる男の人達を殺しているんだ。
血の匂いが微かに匂ってくる。
「エテルナ、見ちゃ駄目!」
リーゼがボクを抱き締め、殺している場面から見せないようにしてくる。
そう言えばリーゼとエノクさんに目が見えないことを伝えるのを忘れていた。
とりあえず今言うことじゃないと思って、リーゼに抱き締められたままでいた。
男の人達の悲鳴は消え、静かになる。
そんな静かな時を破ったのはボク達に近づいてくる足音だった。
「女みたいな顔したガキだね」
ボク達に近づいてくるのは格好いい声を出していた女の人だ。
確かに女王様と呼ばれるだけあって目が見えないボクでも貫禄みたいなものを感じてくる。
これが人の上に立つ人の迫力なんだと思ってしまう。
「人を殺す場面に居合わせても動じること無いなんて肝っ玉が据わった少年じゃないか」
女王様の言葉にボクは僅かにむっとしてしまう。
はっきり言ってボクは多分この中にいる誰よりも血生臭い場所には何度も立ったことがあると思う。
永遠に生きていれば何度か人が生き死にする場所に立ち合ったりもする。
この世界を汚した戦争にも救護班として従軍した経験もある。
身体が血でべとべとになるぐらいに前線で戦う兵士さんの身体に触って何度も治したりしたこともあった。
だから人が死ぬ場面に立ち合っても動じることが無くなったんだ。
けど、そんなことを言っても多分誰も信じないだろう。
だからボクは黙って見えない目を女王様に向けていく。
「あたい相手に良い度胸だね。あたいの名はシャルナ、シャルナ・ローレンス。ここら一帯では砂漠の女王なんて恥ずかしい名前で呼ばれてる狩猟者さ」
ボクはエテルナ、エテルナ・アインシュタイン。
相手が名乗ったのなら自分も名乗り返さないといけない。
それにしてもこんな格好いい女の狩猟者もいるなんて思いもしなかった。
エノクさんの話だと狩猟者は人さらいをしたり、お金を無理矢理取ったりする恐い人達だと聞いたけど。
「ふうん、エテルナって言うんか」
きっきの男の人とは違う甘い息づかいがボクの鼻を擽ってくる。
ボクをじろじろと見ている感じがして、ちょっと心地悪かった。
「決めた。エテルナ、あたい達の所に来な」
シャルナと名乗った女の人はボクを仲間に誘ってきた。
リーゼとエノクさんはボクの後ろで驚いている。
ボクは何でか分からないけど、女王様に気に入られてしまったみたいだ。
これもまたボクにとっての掛け替えのない出会いになるんだろうか。