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 シャンデリアの輝きが、いつもより濁って見える。

 王立アカデミーの卒業記念パーティー。華やかな音楽と、高級な香水の匂いが入り混じる円形ホールの中央で、私、エルナ・ラインフェルトは、凍り付いたような静寂の中に立っていた。


「エルナ! 貴様との婚約を破棄し、聖女の称号を剥奪する!」


 突きつけられた指先。その先にいるのは、この国の第一王子であり、私の婚約者であったジュリアン様だ。

 彼の隣には、私の義理の妹であるマリアベルが、勝ち誇ったような笑みを浮かべて寄り添っている。


「……婚約破棄、ですか。あの、理由を伺っても?」


 私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。

 十年。私が彼のために、この国のために捧げてきた歳月を思えば、もっと取り乱してもおかしくないはずなのに。私の心にあるのは、燃え上がる怒りよりも、糸が切れたような奇妙な解放感だった。


「理由は貴様自身が一番よく知っているはずだ! 聖女とは、神の光を以て魔を払い、国を導く慈愛の象徴。しかるに貴様の持つ力は何だ? 【概念清掃(塵払い)】だと? 笑わせるな!」


 ジュリアンの嘲笑に合わせ、周囲の貴族たちからも忍び笑いが漏れる。


「ただの掃除ではないか。そんなものは下卑た使用人にでもやらせておけばいい。我が国の聖女に必要なのは、マリアベルが授かった【極光の審判】のような、悪を焼き払う強大な力だ」


「お姉様、ごめんなさいね。でも、聖女の座は『お掃除』で務まるほど甘いものではないですのよ?」


 マリアベルが、わざとらしく胸元で手を組み、憐れむような視線を向けてくる。彼女の手のひらからは、キラキラとした光の粒子が溢れ出していた。見た目だけは、確かに派手で美しい。


 けれど、私は知っている。

 その光が、どれほど表面的で、内実を伴わないものか。


「掃除……ですか。確かに、私の力は地味に見えるかもしれません」


 私は、自分の手を見つめた。

 私の【概念清掃】は、単に埃を払うだけの力ではない。

 この世界に存在するあらゆる事象は、時間の経過とともに「劣化」し、「澱み」が溜まっていく。鉄は錆び、食べ物は腐り、建物は脆くなり、そして人の心は濁る。

 私は、その「事象の劣化エントロピー」という汚れを拭き取り、あるべき純粋な状態に巻き戻していただけ。


 私がこの王宮の廊下を歩くだけで、大理石は永遠の輝きを保ち、柱は腐朽から免れる。

 私が庭園の花に触れれば、枯れることのない美しさが維持される。

 そして、私が「聖女」としてこの国を磨き続けていたからこそ、結界は綻びず、魔導具は故障せず、国全体の治安すらも保たれていたのだ。


 だが、その「当たり前」の裏にある私の労苦を、この人たちは一度だって理解しようとはしなかった。


「エルナ、貴様のような『雑用係』が聖女の座に居座ることは、この国に対する冒涜だ。今すぐその聖印を返上し、北の果て、魔獣が跋扈する辺境地へと消え失せろ。あそこなら、死ぬまで『掃除』のしがいもあるだろう!」


 ジュリアンが投げ捨てたのは、国外追放を記した公文書だった。

 私はそれを静かに拾い上げる。


「わかりました。……そこまで仰るのなら、謹んでお受けいたします」


 私は深く、淑女のカーテシーをした。

 その瞬間、私は十年間、片時も絶やさずに発動させ続けていた「広域概念清掃」の術式を、完全に、そして永久に解除した。


 ――ふっ、と。

 目には見えないけれど、何かが「切れた」感覚が私の中に走った。


「おや、潔いな。言い訳の一つでもするかと思ったが」


「いいえ。ジュリアン様が、マリアベル様の光こそがこの国を救うと仰るのでしたら、私のような日陰者の力はもう不要でしょうから」


 私は、首元にかけていた「王国の御飾り守護石」を外した。

 王室に伝わるこの魔導具は、聖女の力を増幅し、国全体の結界を維持するための核だ。……という建前になっているが、実際は、私の【概念清掃】が国中に届くための「中継地点」に過ぎない玩具。


 私はその石を、マリアベルの手に握らせた。


「マリアベル、これからはあなたがこの国を『輝かせて』あげてね」


「ええ、もちろんよ! お姉様のように地味な掃除なんてしなくても、私の光で全てを浄化してみせるわ!」


 マリアベルが誇らしげに石を掲げる。

 その瞬間。


 カチリ、という小さな音がした。


 誰も気づかないほどの、微細な音。

 だが、私の目にははっきりと見えた。

 マリアベルが握った瞬間に、あんなに透き通っていた守護石の奥底に、一筋の「濁り」が走ったのを。

 

 そして、ホールの天井を吊るす巨大なクリスタル・シャンデリア。

 その鎖を繋ぎ止めているボルトが、わずかに、しかし確実に「錆び」始めたのを。


「では、失礼いたします」


 私は背を向け、一度も振り返ることなく歩き出した。

 背後からは、新しい聖女の誕生を祝う喝采と、私を嘲笑う声が聞こえてくる。


(……ああ、空気が重い)


 一歩、ホールの外へ出るたびに、世界の「劣化」が加速していくのを感じる。

 今まで私がどれほどの労力を使って、この腐りやすい、呪われた国を「磨き上げて」きたか。

 明日には、王宮のミルクがいつもより早く酸っぱくなるだろう。

 三日後には、豪華なドレスの刺繍がほつれ始めるだろう。

 一週間後には、王宮の誇る魔導騎士団の剣が、戦わずしてボロボロに欠け始めるだろう。


 そして一ヶ月が経つ頃、彼らは気づくはずだ。

 派手な光魔法では、積み重なる「時間の汚れ」を落とすことはできないのだと。悪魔の呪いは恐ろしい……。


 王宮の門を出たところで、冷たい夜風が私の頬を撫でた。

 手元に残ったのは、小さなトランク一つと、ボロボロになった清掃用の布きれ。

 

 でも、不思議と悲しくはなかった。この国は、呼吸していくだけで、魂が呪われていきそうになる。

 

「さて……その北の地は、どんなに汚れているのかしら」


 私は少しだけ口角を上げた。

 この王国を覆っていた澱みから解放された私の心は、今、人生で一番、真っ白に磨き上げられていた。


 ――その時、背後の王宮から、ガシャァァァン!!という何かが砕けるような音が響いた。

 

 あら。

 案外、崩壊は早いのかもしれないわね。


 私は足を止めることなく、夜の闇の向こう、雪が舞う北の空を見据えた。

 そこには、私を待っている「何か」がある予感がした。

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