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第七話

 サキモリの成功から数ヶ月。俺たちの日常は、加速する未来と、変わらない物理法則との間で引き裂かれていた。

 世間では「ジェネシス景気」が続き、テレビからは楽観的な未来予測が溢れかえっている。だが、俺たちのいるJAXAの現実は、そんな浮ついた空気とは無縁だった。モニターに映る数字は、嘘をつかない。宇宙は、人間の希望や絶望などお構いなしに、ただ冷徹な法則で支配されている。


 その事実を、俺たちは2016年の間に、何度も突きつけられることになった。


 春、アメリカの民間企業スペースXが、洋上の船にロケットを垂直に着陸させるという、離れ業をやってのけた。管制室のモニターでその映像を見たとき、俺の隣で白髪の部長が「……時代が変わるな」と、畏怖と賞賛の入り混じった声で呟いた。W12の「グローバル・ローンチ・アライアンス」の一員となる彼らは、まさに革命の旗手だった。


 だが、その直後、俺たちは奈落に突き落とされる。

 二月に打ち上げたばかりの、日本のX線天文衛星「ひとみ」が、軌道上で分解したのだ。原因は、姿勢制御プログラムの単純なバグ。何百億円という国家予算と、何十年という研究者たちの夢が、たった数行のコードミスで宇宙の塵と化した。JAXAの庁舎は、通夜のような重い空気に包まれた。俺も、ひとみの軌道投入に関わった一人として、胸に鉛を流し込まれたような無力感に苛まれた。


 秋には、欧州の火星着陸機「スキアパレッリ」が地表に激突。そしてアメリカでは、またしてもスペースXのロケットが、今度は地上で爆発した。

 成功と失敗のニュースが、ジェットコースターのように世界を駆け巡る。宇宙開発とは、栄光と挫折を燃料にして、ほんの少しだけ前に進む、そういう営みなのだ。


 そんな中、中国が有人宇宙船「神舟11号」を成功させたというニュースが流れた。数年前なら、それはアジアのライバルの台頭として、我々を焦らせたはずだ。だが、今は違った。テレビのコメンテーターはこう解説していた。

「中国独自の宇宙ステーション計画は、W12への参加によりジェネシス計画へ統合されました。今回のミッションは、彼らが国際宇宙港テラ・アンカーの建設において、いかに重要な役割を担うかを世界に示す、技術的なデモンストレーションと言えるでしょう」

 かつての競争相手は、同じ船に乗る、頼もしい仲間になっていた。世界は、確実に変わりつつあった。


 そんな激動の年の瀬、俺たちは再び、宇宙開発省の黒田官房長と向き合っていた。


「衛星ひとみの喪失、スキアパレッリの失敗。残念なことだ」

 黒田は、感情のない声で言った。

「だが、これもまた、岡田総理が予測した未来の一部だ。単独の国家による宇宙開発は、あまりにリスクが高く、そして効率が悪い。一つの失敗が、その国の宇宙計画を十年単位で停滞させる。――だからこそ、我々にはW12が必要なのだ。失敗のデータさえも共有し、人類全体の糧とする。ジェネシス計画は、そのための巨大な安全網でもある」


 黒田は、失敗を責めるどころか、計画の正当性を補強する材料として利用してみせた。この男の思考は、常に未来から現在を見下ろしている。


 そして、彼は本題に入った。

「日本の技術的信頼は、サキモリの成功で証明された。だが、ひとみの失敗で、精密な科学探査の分野では疑問符もついている。我々はその両方を、世界に見せつけなければならない」


 黒田は手元のリモコンを操作した。スクリーンに、巨大な鳥のエンブレムが映し出される。三本の足を持つ、神話の烏。


「これより、ジェネシス計画における日本の担当領域を、正式に**《八咫烏ヤタガラス計画》**と命名する」


 会議室が、息を呑む気配で満たされた。


「八咫烏計画は、二本の柱で構成される。一つは、君たちが進めているH3-Heavyとサキモリによる、次世代輸送システムの確立。そして、もう一つは……」

 スクリーンが切り替わり、テラ・アンカーに接続される、円筒形のモジュールのCGが映る。日の丸が描かれている。


「日本独自の宇宙ステーション・実験棟、そして将来の月面基地アルテミス・プライムにおける居住・生命維持モジュールの開発だ」


 それは、かつて国際宇宙ステーションで作られた実験棟「きぼう」の、正統な後継者だった。だが、規模も、求められる技術レベルも、比較にならない。


「我々は、ただの輸送屋で終わるつもりはない」

 黒田は、俺たちJAXAの技術者一人一人の顔を射抜くように見つめながら言った。

「人類が宇宙で暮らすための“家”を作る。その最も困難で、最も名誉ある役割を、日本の技術で担うのだ。――八咫烏とは、神武天皇を導いた太陽の使い。我々が、人類を月へ、そして火星へと導くのだ」


 俺は、自分の背中に、とてつもなく重い翼が生えたような錯覚に陥った。

 砕けた鏡の破片のような「ひとみ」の失敗と、巨人の肩を借りるようなW12の成功。その両極端な現実の間で、俺たちは進むしかない。

 自席に戻った俺は、ディスプレイに新しいウィンドウを開いた。タイトルは『八咫烏計画 第一フェーズ:月遷移軌道における生命維持モジュールの熱設計』。

 砕けた鏡で未来を照らしながら、俺たちの新しい仕事が始まった。

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