最終話
岡田元総理・回顧録より(抜粋)
『未来を知る者の孤独とは、答えを知りながら、その解法を、一から、説き続けなければならない、教師のそれに似ている。私は、歴史という教科書の、最終ページを、知っていた。だが、そのページに至るまでの、無数の練習問題を、私の愛する生徒たちは、自らの手で、解かなければならなかった。私が本当に伝えたかったのは、答えではない。答えを、見つけ出すための、勇気そのものだったのだから』
【2095年、秋。ひかり視点】
アトラス特区、軌道エレベーター最上階、宇宙港。
私の目の前の、巨大な展望窓の外には、一隻の、純白の船が、静かに出発の時を待っていた。人類が、初めて、自らの意志で、太陽系の外へと、大使を送るために建造した船。恒星間外交船。私の、名を冠した、私の、最後の船。
父が、旅立ってから、十五年の歳月が流れた。
世界は、父と、黒田さんが夢見た未来へと、少しずつ、しかし、確実に、近づいていた。
天衣財団の《清掃人》たちは、地球の周回軌道から、戦争の傷跡を、ほぼ一掃した。軌道エレベーターは、今や、人や物資を、当たり前のように、宇宙へと運び上げている。
岡田先生が遺した、最後の予言――「人類は、自滅する」という、あの恐るべき未来。それを回避するため、私たちは、戦うことをやめた。イージス計画は、その役目を終え、今は、**《ネクサス・プランニング》**という、新しい組織に生まれ変わっている。その目的は、防衛ではない。地球上の、あらゆる格差と、対立を、宇宙から得られる、無限のエネルギーと、新しい視点によって、解消すること。
私たちは、今、本当の意味で、一つの、地球家族になろうとしていた。
その全てを、私は、この船の、小さな窓から、見下ろしていた。
「……母さん」
背後から、声がした。振り返ると、そこに立っていたのは、逞しい青年へと成長した、私の息子、創と、その隣で、優しく微笑む、月の女神、ルナだった。
二人は、もはや、見習いではない。次世代の、ネクサス・プランニングを率いる、若きリーダーだ。
「……本当に、行ってしまうんですね」
創が、寂しさを隠せない、子供のような目で、私を見た。
「ええ」私は、頷いた。「これは、私にしか、できない、仕事だから」
私は、息子の肩に、そして、ルナの肩に、そっと、手を置いた。
「創。あなたには、おじい様(岡田元総理)から受け継いだ、未来を見通す目がある。ルナ。あなたには、この宇宙で生まれた、新しい生命としての、誰も持たない、感性がある。二人なら、大丈夫。この星を、頼んだわよ」
「……はい」
二人は、力強く、頷いた。
私は、夫である聡に、向き直った。彼は、何も言わず、ただ、静かに、私を、抱きしめた。
「……寂しくなるな」
「すぐに、帰ってくるわ」
それが、嘘であることは、お互いに、分かっていた。この旅は、何十年かかるか、分からない。生きて、再び、この場所へ、戻れる保証など、どこにもない。
「……愛してるわ、聡」
「ああ。俺も、愛してる、ひかり」
別れの時間は、終わった。
私は、一人、船のタラップへと、歩みを進める。
私の任務。それは、半世紀近くの旅を終え、今も、太陽系の外縁部で、我々の出方を、待っている、異星からの難民たちと、接触すること。そして、彼らと、手を取り合い、その数十年後にやってくる、本当の脅威「サイレント・リーパー」と、共に、戦うための、同盟を結ぶこと。
父が、命を賭けて、守った、この星と、未来を。今度は、私が、別の星の、未来と共に、守るのだ。
岡田元総理・回顧録より(抜粋)
『私は、一つの、賭けをした。私が知る、破滅の未来。それを回避するための、最も確率の高いと思われる、航路図を、彼らに、遺した。だが、私は、心のどこかで、信じていた。彼らが、私の描いた航路図を、無視し、自分たちで、全く新しい、そして、もっと、輝かしい航路を、見つけ出してくれることを。未来とは、知るものではない。創るものだ。そして、それを創り出す、原動力の名を、我々は、知っている。――愛、と』
【恒星間外交船船内。出発から、一年後】
漆黒の宇宙空間。窓の外に広がるのは、もはや、見慣れた太陽系の惑星たちではない。ただ、無数の、名もなき星々が、ダイヤモンドのように、輝いているだけだった。
私は、一人、船の、メインブリッジに座っていた。
この一年、私は、ずっと、考えていた。父が、最後に、私に遺した言葉。「未来を、作るのは、愛だ」。
あまりにも、観念的で、非科学的な言葉。だが、科学の、合理性の、その限界の場所で、戦い続けた父が、最後にたどり着いた、その答えを。私は、信じたかった。
その時だった。
「――司令官」船の、メインAIが、冷静な、しかし、どこか、興奮を帯びた声で、報告した。
「前方宙域に、目標船団を、捕捉。……彼らもまた、我々の接近に、気づいたようです」
来た。
私は、メインスクリーンに、船外カメラの映像を、最大望遠で、映し出した。
そこに映っていたのは、アビサル・ゲイザーが、かつて、報告してきた通りの、傷つき、疲弊した、しかし、荘厳で、美しい、異星の船団だった。
「……通信を、開いて」
私は、AIに、命じた。
「我々が、月で受信した、あの数式を、返信するのよ。あれは、彼らが、私たちにくれた、最初の、手紙だったのだから」
数秒後。
難民船団から、応答があった。
それは、言葉ではなかった。音でも、光でもなかった。
私の、脳内に、直接、流れ込んでくる、温かい、そして、懐かしい、感情の奔流。
それは、何千年もの、孤独な旅の、痛み。故郷を失った、深い、悲しみ。そして、見知らぬ宇宙の片隅で、自分たち以外の、知性に出会えた、純粋な、歓喜。
私は、涙が、溢れるのを、止めることができなかった。
やがて、メインスクリーンに、彼らの姿が、映し出された。
長く、しなやかな、手足。穏やかで、大きな、瞳。我々とは、違う。だが、同じだった。その瞳の奥に宿る、知性と、そして、愛は。
『――ようこそ』
船団の長らしき、老いた異星人が、通訳AIを通じて、語りかけてきた。『我々は、あなた方を、待っていました』
「……私もです」私は、涙を拭い、微笑んで、答えた。
「私も、あなた方に、ずっと、会いたかった」
エピローグ:新しい創世記
【さらに、数十年後】
太陽系は、変わった。
木星の軌道上には、地球の船と、難民たちの船が、寄り添うように浮かび、共同で、サイレント・リーパーを迎撃するための、巨大な艦隊を、建造している。
地球では、軌道エレベーターが、彼らの持つ、未知のテクノロジーを、地上へと、運び続けている。
火星では、人類と、彼らが、共に、新しい都市を、築いている。
私は、年老いて、白髪の増えた、息子の創と、そして、いつまでも若々しい、月の女神、ルナと共に、新しく、木星軌道上に建造された、連合司令部の、展望デッキに、立っていた。
目の前には、人類と、難民たちの技術が、完全に融合した、新世代の、超光速宇宙船が、その雄姿を、横たえている。
「第一次、銀河連合艦隊。間も無く、出航します、司令官」
創が、敬礼と共に、私に、報告した。
「分かっているわ」私は、頷いた。「敵は、強い。厳しい、戦いになるでしょう」
「ですが」ルナが、私の手を、そっと、握った。「私たちは、もう、一人じゃありません」
そうだ。私たちは、もう、孤独ではない。
私は、腕の、ホログラム・ペンダントに、触れた。そこに映し出された、今は亡き、父の、優しい笑顔。
(見ていますか、お父さん。これが、あなたの愛した、未来です)
私は、ペンダントを、胸に、しまい込んだ。
そして、眼前に広がる、これから、我々が、共に、戦い、そして、共に、生きていく、仲間たちの、無敵の艦隊を、見据えた。
「――さて。私たちの、本当の創世記を、始めましょうか」
【了】




