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第五十七話

 人類の未来を賭けた、私の宣戦布告。その放送が終わった夜、世界は、賛否両論の嵐に包まれていた。だが、私は、その喧騒の中心から、そっと抜け出した。たった一人、会うべき人がいたからだ。


 アトラス特区の、一番、空に近い場所にあるホスピス。その一室で、父は、静かに、窓の外の星を、眺めていた。部屋のモニターには、私の演説が、音声なしで、繰り返し再生されている。


「……来たか」

 父は、私の方を、振り返らなかった。その声は、もう、俺が知る、力強い司令官のものではなかった。ただ、穏やかな、一人の、老人の声だった。

 私は、彼のベッドの横に、静かに、腰を下ろした。


「……お父さん」私は、切り出した。「私が、今日、言ったことは……正しかったのかな。あまりにも、無謀で、独善的な、ただの、理想論だったんじゃないかなって……」

 司令官として、決して見せてはならない、弱音。だが、この人の前でだけは、私は、ただの、不安な、娘に戻ってしまう。


 父は、ゆっくりと、こちらを向いた。そして、皺だらけの手で、私の手を、そっと、握った。

「……ひかり。お前は、今日、私が、生涯、できなかったことを、やってのけたのだよ」

「……え?」

「私は、ずっと、計算してきた」父は、遠い目をして、語り始めた。「リスクを、計算し、損失を、計算し、確率を、計算してきた。イージスとは、そういう、盾だ。黒田君と私は、数字と、戦ってきた。だが、お前は……」

 父は、私の目を、まっすぐに見つめた。

「……お前は、今日、計算をしなかった。選択を、したのだ。恐怖よりも、信頼を。孤立よりも、共存を。……それは、私が、決して、たどり着けなかった、答えだ」


 その言葉に、私の目から、涙が、溢れ落ちた。

「私には、もう、お前に、教えられることは、何もない」父は、穏やかに、微笑んだ。「だから、これが、最後の、贈り物だ」


 父は、ベッドサイドの端末を、弱々しい指で、操作した。

「……黒田君と、二人で、見つけた、最後の秘密だ。『黒い箱』が示した、軌道エレベーターを、完成させるための、最後の、数式。……お前は、新しい友人たちを、迎えに行くと、言ったな。ならば、彼らを、迎えるための、道が、必要だろう。……私が、生涯をかけて、作ってきた、『道』の、最後の、一本だ。……使いなさい」

 彼の端末から、私の個人IDへ、一つの、巨大な、データファイルが、転送された。


 父の呼吸が、少しずつ、浅くなっていく。

「……ひかり。最後に、聞かせてくれないか」

「……何を?」

「お前が、これから、作る、未来の話を。……私の、孫……はじめは、どんな、大人になる? 月で生まれた、ルナ君は、どんな、女性になる?……そして、彼らは……幸せに、なれるのか?」


 私は、溢れる涙を、何度も、何度も、拭いながら、語り始めた。

 まだ見ぬ、未来の物語を。

 創とルナが、手を取り合い、父たちが眠らせた、火星の脅威に、立ち向かう、遠い日のことを。

 そして、彼らが、難民たちと、手を取り合い、銀河の、本当の敵に、共に、立ち向かう、さらに、遠い日のことを。

 それは、絶望的な戦いの物語のはずなのに、不思議と、私の口から紡がれる言葉は、希望に、満ち溢れていた。


「……そうか」

 私の話を、最後まで聞き終えた父は、心の底から、満足したように、深く、息を吐いた。

「……それなら、安心だ……」


 彼は、ベッドサイドに飾ってあった、一枚の、古い、写真に、目をやった。

 若い頃の、父と、母。そして、幼い私の、三人家族の写真。

「……私は、幸せだったよ、ひかり。……お前が、私の、娘で、本当に……」


 父の手から、力が、抜けていく。

「……愛だ」

 彼は、最後に、そう、呟いた。

「……未来を、作るのは……愛だ……」


 そして、父は、私の母の名を、一度だけ、小さく呼ぶと、まるで、長い旅の終わりに、眠りにつくように、静かに、目を、閉じた。


 私は、もう、泣かなかった。

 ただ、冷たくなっていく、父の手を、夜が明けるまで、ずっと、握りしめていた。


 翌朝。

 私が、ホスピスの窓から、外を見下ろすと、アース・ポートの、軌道エレベーター建設現場が、昨日までとは、比較にならないほどの、活気に、満ち溢れていた。

 父が、最後に遺してくれた、数式。それが、もう、この星の、未来を、動かし始めていた。


 私は、父の魂が、そこにあるような気がして、天へと伸びる、銀色の塔を、いつまでも、いつまでも、見上げていた。

 私の、悲しみに暮れる時間は、終わった。

 ここからは、父が、私に、託してくれた、未来を、生きる時間だ。

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