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第五十四話

 2077年、冬。

 火星から帰還した《閃き》のクルーたちは、地球の英雄となった。彼らが持ち帰った、異星のエネルギー施設の詳細なデータは、世界中の科学者たちを熱狂させた。だが、その栄光の裏で、船長の鎌田だけは、我々と、重い秘密を共有していた。

「……化け物、か」

 イージス司令室で、火星の「監視者」に関する全てのデータを見せられた彼は、顔面蒼白になりながら、そう呟いた。

「俺たちは、あの時、竜の巣の入り口で、無邪気に石ころを蹴飛ばしていただけだったんだな」

「そうです」私は、静かに頷いた。「そして、その竜は、まだ、眠っているだけです」

 英雄から、真実の証人となった鎌田は、その日から、この恐るべき秘密を守り抜く、我々の、孤独な仲間となった。


 私たちの、次なる戦いは、静かに、そして、迅速に進められた。

 京都の《アマテラス》が生み出した、神の物質、エキゾチック・マター。その、砂粒ほどの、しかし、人類の全財産よりも価値のある物質を使い、私と恵さん、そして聡のチームは、月の「観測者」が示した設計図――「監視者」を鎮めるための、巨大な音叉のような装置――の、小型プロトタイプを、完成させた。

 全長わずか5メートル。あまりにも小さく、頼りない、銀色の竪琴。だが、恵さんのシミュレーションによれば、これがあの機械の神を、再び、永い眠りにつかせるための、唯一の鍵だった。


「本当に、うまくいくのか」

 打ち上げの日。アース・ポートの中央管制室で、聡が、不安そうに私に尋ねた。

「分からないわ」私は、正直に答えた。「でも、やるしかない。これは、私たちの世代が、次の世代に残せる、最低限の、責任だから」


 ミッションの名は、《レクイエム》。火星に眠る、古代の亡霊に捧げる、鎮魂歌。

 竪琴を搭載した、小型の無人探査機は、H3-Heavyの、月への定期便に、相乗りする形で、静かに打ち上げられた。そして、月軌道上で切り離されると、自らのエンジンを点火し、再び、赤い惑星へと、向かっていった。


 数ヶ月後。

 探査機は、火星の周回軌道に到達した。

 イージス司令室のメインスクリーンに、因縁の場所、オリンポス山の、巨大なカルデラが映し出される。その地下深くに、今も、惑星を食い尽くす悪夢が、息を潜めている。


「これより、レクイエムは、最終フェーズへ移行します」

 オペレーターの、緊張した声が響く。

 探査機は、高度を下げ、洞窟の、ちょうど真上に、寸分の狂いもなく、静止した。

 私は、マイクを握りしめた。

「……起動」


 私の、短い命令と共に。

 探査機から、銀色の竪琴が、ゆっくりと、宇宙空間へと、放出された。

 そして、その中央に埋め込まれた、砂粒ほどのエキゾチック・マターが、微弱なエネルギーを供給され、輝き始めた。


 音は、ない。

 光も、ほとんど、ない。

 ただ、目に見えない、特殊な共鳴周波数の波が、惑星の地表を突き抜け、地下深くの、監視者の、中枢へと、浸透していく。

 それは、暴力的な破壊ではない。ただ、優しく、語りかけるような、子守唄。

 『眠れ、眠れ、古き神よ。まだ、あなたの、出る幕では、ない』と。


 数分後。

 恵さんが、モニターを食い入るように見つめながら、震える声で、報告した。

「……監視者の、内部エネルギー反応、急速に、低下していきます……。自己増殖プロトコル、停止……。休眠モードへ……移行……」

「……成功、です」


 司令室が、安堵の、深い、ため息に包まれた。

 私たちは、勝ったのだ。この、恐るべき時限爆弾の、針を、止めることに。


 だが、私は、誰よりも、冷静だった。

「……いいえ」私は、静かに、首を振った。「これは、勝利じゃない。ただの、先送りよ」

 私は、部下たちを見渡し、司令官として、厳しい、現実を、告げた。


「監視者は、消えたわけじゃない。ただ、再び、眠りについただけ。その眠りが、数百年続くのか、数千年続くのか、私たちには、分からない。この爆弾の、完全な解体は、私たちの、さらに、未来の世代――はじめや、ルナの子供たちの、仕事となった。私たちがやったのは、彼らに、考える時間を、残してやっただけ」


 私は、スクリーンに映る、静まり返った、赤い惑星を見つめた。

 一つの戦いは、終わった。

 そして、私は、司令官として、次なる、そして、本当の、戦場へと、向き直らなければならない。


 私は、聡の隣に行き、静かに、言った。

「……そろそろ、時間ね。アビサル・ゲイザーからの、次の報告が、届く頃よ」

 私たちの、本当の敵。

 その正体を、知る時が、来たのだ。

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