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第五十三話

 神の物質――エキゾチック・マターの生成成功から、数日が過ぎた。

 イージス司令室は、静かな、しかし熱を帯びた興奮に包まれていた。漆原主任のチームが、京都の《アマテラス》で、奇跡の再現に挑み続け、私たちは、砂粒ほどの、しかし確実に、そのありえない物質を、備蓄し始めていた。不可能が可能になった瞬間。私たちは、100年後の来訪者と戦うための、最初の弾丸を、その手にしたのだ。誰もが、勝利への道を、確かに、歩み始めたと信じていた。


 その日、事件は起きた。

 司令室の中央、厳重なプロテクトの中に保管されていた、岡田先生の遺物『黒い箱』が、突如、青白い光を放ち始めたのだ。

「何事!?」

「分かりません! ブラックボックスが、外部からのコマンド無しに、自己起動しました!」


 警報が鳴り響く中、恵さんが、信じられない、という顔で私を見た。

「……ひかり司令官。トリガーは、アマテラスです。私たちが、エキゾチック・マターを生成した、そのエネルギーパターン。それが、このブラックボックスの、最後のロックを解除する、鍵だったようです……」


 岡田先生は、この日まで、予測していたというのか。

 次の瞬間、司令室の中央に、立体ホログラムが、光の粒子を結んで、像を成した。

 そこに立っていたのは、私たちが知る、晩年の、穏やかな老人ではない。彼が、この時代へやってきた頃の、若く、力強い、全盛期の、岡田元総理、その人だった。

 それは、彼が、未来の我々に向けて遺した、最後のメッセージだった。


『――おめでとう、友よ』

 ホログラムの岡田は、静かな、しかし、どこか寂しげな笑みを浮かべて、私たちに語りかけた。

『もし、君たちが、このメッセージを見ているのなら、それは、君たちが、ついに、神の火を盗むことに、成功した、ということだ。これで、人類は、100年後にやってくる『彼ら』と、対等に渡り合うための、最低限の『言葉』を、その手にした』


 誰もが、その祝福の言葉に、胸を熱くした。

 だが、彼の表情は、すぐに、厳しいものへと変わった。


『だが、聞こう。君たちは、その神の火で、何をするつもりかね? 来訪者を撃退した後、その手に入れた力で、何を成す? 再び、地上で、資源を奪い合い、互いに憎しみ合う、愚かな歴史を、繰り返すのかね?』


 彼の問いに、誰も答えることはできなかった。

 そして、岡田は、私たちに、彼が本当に、回避しようとしていた、最も恐るべき未来の姿を、見せ始めた。

 ホログラムの風景が、一変する。


 そこに映し出されたのは、23世紀の地球。

 だが、それは、私たちの知る、青い星ではなかった。海は、赤黒く濁り、大地は、茶色く枯れ果てている。巨大なドーム都市が、点在しているが、その外には、生命の気配が、全く感じられない。

『――私が経験した未来では』岡田の声が、重く響く。『人類は、来訪者との戦いに、辛うじて、勝利した。彼らの技術を解析し、模倣し、そして、我々は、彼らを、太陽系の外へ、退けることに成功したのだ』


 ホログラムの視点が、ドーム都市の、内部へと入っていく。

 そこには、物質的には、豊かそうな人々がいた。だが、その顔には、何の表情もなかった。ただ、虚ろな目で、立体映像が映し出す、仮想の娯楽を、貪っているだけ。街には、ゴミ一つ落ちていないが、子供の笑い声も、聞こえなかった。


『だが、その数百年後、人類は、自滅した』

 岡田は、淡々と、告げた。

『無限のエネルギーを手に入れ、宇宙の脅威が去った時、人類は、共通の目標を、見失った。環境汚染は、もはや、取り返しのつかないレベルで、この星を蝕み、AIによる完全な管理社会は、人々から、生きる意味さえも、奪い去った。そして、最後に、精神的な疫病が、我々の文明を、内側から、食い尽くしたのだ』


 彼は、私たち一人一人を見渡すように、ゆっくりと言った。

「来訪者は、人類にとって、最初の『濾過フィルター』に過ぎない。もし、彼らを退けることができても、その先に待ち受ける、自らが作り出した、より巨大なフィルターを、越えることは、できなかったのだ」


 そして、彼は、ジェネシス計画の、本当の目的を、明かした。

「ジェネシス計画は、異星人を迎撃するための、軍事計画などではない。それは、この、避けられぬ『自滅のシナリオ』から、人類の文明そのものを、ジャンプさせるための、巨大なカタパルトなのだ」

「核融合も、常温超伝導も、宇宙移民も、全ては、人類が、この星の資源を食い潰すだけの、寄生虫の段階を卒業し、宇宙という、より大きな生態系の中で、責任ある一員として生きるための、『卒業試験』なのだよ」


 ホログラムの岡田は、最後に、私を、まっすぐに見つめた。

「――ひかり君。君の、そして、君の子供たちの世代の、本当の戦いは、これからだ。来訪者を、退けろ。だが、それは、始まりに過ぎない。その先に、人類が、自滅しない、新しい文明の形を、示してみせろ。……頼んだぞ」


 その言葉を最後に、彼の姿は、光の粒子となって、静かに、消えた。

 司令室には、私たち、そして、あまりにも重い、遺言だけが、残された。


 私たちの戦いは、単なる星間防衛ではなかった。

 それは、人類という種が、「幼年期の終わり」を、自らの手で、迎えられるかどうかを、問われている、壮大な、そして、終わりなき、挑戦だったのだ。


 私は、聡の、そして、モニターに映るルナの顔を見た。

 私たちは、これから、一体、何と、戦えばいいのだろう。

 答えは、まだ、誰にも、分からなかった。

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