第五話
あの日から一ヶ月。俺は、太陽系の重力に魂を削られるような日々を送っていた。JAXA内のジェネシス計画準備室は、さながら不眠不休の戦時司令室と化していた。俺たち軌道計算チームが叩き出した無数の航路案を、推進系チームが燃料効率の観点から突き返し、それを基に今度は資材開発チームが新たなペイロード上限を提示してくる。俺のノートは、数式とコーヒーの染みで、未来の地図というよりは古代の呪術書のようになっていた。
そして今日、俺はW12日本評議会とJAXAの幹部たちの前で、統合された計画の全体スケジュールを説明する役目を負わされていた。
重い扉を開けると、そこにはJAXAの理事長や各部門の部長クラス、そして官邸から来た黒田の姿があった。俺は深呼吸を一つして、PCをプロジェクターに接続した。スクリーンに映し出されたタイトルは、岡田総理が名付けたという、皮肉なほどシンプルなものだった。
『ジェネシス計画 実行タイムライン』
「――これより、ジェネシス計画の全体工程についてご説明します」
俺の声は、自分でも驚くほど乾いていた。
「本計画は、岡田総理の構想が始まった2015年を起点とし、大きく三つのフェーズで進行します」
フェーズ1:内太陽系インフラの構築(2015年~2045年)
「最初の30年。これは、人類が地球の重力井戸から抜け出し、月と火星に生活圏を確立するための、最も困難な期間です」
2015年代~2020年代:黎明期
事業内容: W12設立に向けた国際的な根回し。超大型ロケット**《アルゴノート》の基礎設計と、それを支える「グローバル・ローンチ・アライアンス」**の構想策定。
進捗: すでに完了。我々は今、この時代の終わりに立っています。
2020年代~2030年代:月の産業化
事業内容: 《アルゴノート》初号機による、国際宇宙港の建設開始。並行して、月周回ステーション《ゲートウェイ・Nexus》と、月面資源基地の無人建設に着手。日本のH3-Heavyは、この月への精密な資材輸送で真価を発揮します。
目標: 2030年代後半までに、月面での**水の氷からの燃料生産(ISRU)**を実用化する。
2030年代~2040年代:火星への到達
事業内容: 月で生産した燃料を活用し、火星周回ステーション**《アレス・フロンティア》と、火星基地**を建設。そして2040年代初頭、第一陣となる人類を火星へ送り込みます。
目標: **《トライステラ・ネットワーク》**を完成させ、地球・月・火星間の安定的な物流網を確立する。
「――以上が、我々の世代が命を懸けて成し遂げるべき、第一段階です」
俺は一度、言葉を切った。理事長が、厳しい顔で頷くのが見えた。
フェーズ2:外太陽系へのネットワーク拡大(2045年~2075年)
「次の30年。トライステラ・ネットワークを基盤に、人類の経済圏と活動領域を太陽系全体へと広げる時代です」
2040年代~2050年代:小惑星帯の資源開発
事業内容: 産業拠点となる、国際資源採掘ハブ**《ウェスタ》**の建設。ここで生産される燃料と資源が、ジェネシス計画の経済的エンジンとなります。
2050年代以降:科学探査時代の幕開け
事業内容: **「W12 グレート・オブザーバトリー計画」を始動。月面に電波望遠鏡を建設。同時に、木星圏に科学研究所**の建設を開始します。
フェーズ3:科学探査の黄金時代(2055年~)
「そして、我々の子供や孫の世代が主役となる時代です。完成したインフラを使い、人類は自らの起源を探る、壮大な旅に出ます」
2060年代~2070年代:グランドツアー
事業内容: 木星探査**《ガリレオ艦隊》、土星探査**を本格化。内惑星探査も並行して進めます。
2070年代以降:星々の海へ
事業内容: 世紀のプロジェクトである軌道エレベーター**《アトラス・タワー》の建設を開始。そして、人類の叡智の結晶である恒星間探査機**を、太陽系の外へ向けて打ち上げます。
「――これが、今後百年以上にわたる、我々人類のロードマップです」
説明を終えると、会議室は重い沈黙に包まれた。誰もが、その時間と空間のスケールの巨大さに圧倒されていた。
やがて、理事長が口を開いた。
「……よく、まとめた。だが」
彼は俺の目をまっすぐに見て言った。
「このカレンダー通りに進めるには、何が一番のボトルネックになる?」
俺は、PCの画面に映し出された、無数の計算結果に視線を落とした。
「時間です」
俺は答えた。
「全ての工程は、ギリギリの綱渡りで繋がっています。アルゴノートの完成が一年遅れれば、テラ・アンカーの稼働が二年遅れる。それが、最終的に火星到達を五年遅らせる。岡田総理が予測した危機が訪れる前に、我々はこの梯子を完成させなければならない。我々の敵は、技術的な困難さや予算ではありません。ただ、時間だけです」
その言葉は、俺自身への呪いのように、会議室に響き渡った。




