表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/58

第二部 第四十七話

 父が、イージスの指揮を退いてから、五年が過ぎた。

 2077年、春。アトラス特区の地下深く、イージス司令室。父がかつて座っていた司令官の椅子に、今、私が座っている。壁にかけられた彼の写真が、まるで、お前にはまだ早い、とでも言いたげに、私を静かに見下ろしていた。


 私の名前は、ひかり。かつて、星と星の間に道を作った男の、娘。そして、人類の存亡を賭けた極秘計画プロジェクト・イージスの、二代目司令官。


 私の目の前には、巨大なホログラフィック・ディスプレイが、二つの、あまりにも巨大な計画の進捗を、無慈悲なほど正確に表示している。

 左半分は、《プロジェクト・ザイオン》。木星圏に、来訪者の通信を傍受するための、巨大な諜報ステーションを建設する、人類の「剣」。私が、直接、指揮を執っている。

 右半分は、《プロジェクト・オデッセイ》。太陽系の外へ、人類の「種」を運ぶための、恒星間移民船。私の夫であり、岡田前総理の孫である、あきらが、その責任者を務めている。


 戦うための計画と、逃げるための計画。

 私と聡は、夫婦でありながら、人類の未来に対する、二つの異なる答えを、同時に、追い求めていた。


「――ひかり司令官。ザイオン計画の、第一次シミュレーション結果が出ました」

 月のアルテミス・プライムから、ルナの、落ち着いた声が、ホログラムで報告してくる。彼女は、もはやただの「月の最初の子」ではない。ザイオン計画の生命維持と、船体構造材を開発する、若き天才科学者だ。

「……やはり、ダメです。木星の放射線帯は、我々の想定を、遥かに超えている。現在の最新のシールド技術を使っても、ステーションの寿命は、もって五年。有人での長期滞在は、不可能です」


 ルナの報告は、私たちが、この半年間、ずっとぶつかり続けている、巨大な壁だった。木星が放つ、死の放射線。それは、どんな金属も、どんな電子機器も、そして、どんな人間の体も、無慈悲に、破壊する。

「何か、新しい素材は?」

「いくつか試しています。月の『アーティファクト・ゼロ』の構造をヒントにした、自己修復合金。ですが、まだ、理論の段階です……」


 絶望的な報告。だが、私は、弱音を吐くわけにはいかない。私が、この計画の、司令官なのだから。

「……分かったわ、ルナ。研究を続けて。必ず、道はあるはずよ」

 私は、気丈に、そう答えるしかなかった。


 その夜。アース・ポートの、私と聡の居住ユニット。

 聡は、書斎で、分厚い哲学書と、量子物理学の論文を、交互に読んでいた。彼のオデッセイ計画は、技術的な問題よりも、もっと根源的な、神学的な問いに、直面していた。


「……ひかり」聡は、疲れた顔で、私を見た。「オデッセイに搭載する、管理AIの、倫理規定を、考えているんだ。もし、オデッセイが、生命のいる惑星にたどり着いた時、AIは、どう判断すべきか。もし、その星の知的生命体が、まだ、石器時代だったら? 接触すべきか、すべきでないか。我々には、彼らの神になる権利も、悪魔になる権利も、ないはずだ」


 私は、彼の隣に座り、その手に、自分の手を重ねた。

「……あなたは、お祖父様に、似てきたわね」

「そうかな」

「ええ。いつも、百年、千年先の、まだ誰も心配していないことを、一人で、心配している」

 私たちは、小さく笑い合った。お互いが、それぞれ、途方もない重圧と戦っていることを、知っていた。私たちが、夫婦でいられるのは、一日の終わりに、こうして、互いの孤独の重さを、ほんの少しだけ、分かち合える、この時間だけだった。


 翌日。

 司令室で、一人、頭を抱えていると、不意に、背後から、懐かしい声がした。

「……あまり、根を詰めすぎるな。お前は、昔から、一人で抱え込む癖がある」

 父だった。引退した後も、アドバイザーとして、時々、こうして、ふらりと、司令室にやってくる。


「お父さん……」

「木星の、放射線のことだろう」父は、まるで、全てを見透かしたように言った。「私と、黒田さんが、まだ現役だった頃、同じ問題に、ぶつかったことがある」

 彼は、一つのデータチップを、私のコンソールの上に、そっと置いた。


「これは、岡田先生の『黒い箱』から、我々が取り出した、もう一つの断片だ。来訪者たちが、巨大ガス惑星の、強力な磁場を、どのように『航行』しているかの、理論データだ。――彼らは、放射線を、盾で『防ぐ』のではない。川の流れを受け流すように、船体の周りの磁場で、**『受け流して』**いる」


 私は、息を飲んで、そのデータを開いた。そこには、私の知らない、全く新しい、物理学が、記されていた。

「……どうして、これを、今まで……」

「お前に、渡せなかった」父は、静かに言った。「この理論を、今の我々の技術で、実現できるかどうか、分からなかったからだ。だが、今の君たちなら……ルナ君や、恵君のような、新しい世代の頭脳なら、あるいは……」


 父は、それだけ言うと、私の肩を、一度だけ、力強く叩いて、去っていった。

 私は、一人、司令室に残され、父が遺してくれた、未来の断片を、食い入るように見つめていた。


 父の世代の仕事は、未来を「守る」ことだった。絶望的な未来から、可能性という名の、か細い一本の糸を。

 だが、私たちの仕事は、違う。

 渡された、無数の、そして、矛盾する可能性の中から、どの未来を、選び取り、そして、どの未来を、切り捨てるのか。

 私たちの仕事は、未来を**「選ぶ」**ことなのだ。


 私は、月のルナへ、回線を開いた。

「ルナ。……シールドの設計思想を、ゼロから、見直すわよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ