第四十六話
2075年、春。
プロジェクト・イージスの、最も機密性の高い会議室。そこに集ったのは、人類の未来をその双肩に担う、四人の若者たちだった。
イージスの若き司令官である、俺の娘、ひかり。
その夫であり、岡田前総理の血を引く、最高の戦略家、聡。
月面都市から、ホログラムで参加している、人類初の地球外生まれの女性、ルナ。
そして、その車椅子に備え付けられた端末と、この部屋のスーパーコンピューターを直結させ、思考そのものをデータとして語る、車椅子の天才、恵。
俺は、アドバイザーとして、その部屋の隅に、静かに座っていた。ここは、もう俺の場所ではない。彼らの時代なのだ。
議題は、一つ。
恵がもたらした、衝撃的な真実。――この太陽系が、太古の昔から、複数の、そしておそらくは互いに敵対する異星文明の「十字路」であったという、絶望的なまでの、現実。
「……結論として」恵の合成音声が、静かな会議室に響き渡った。「我々がこれまで『来訪者』と呼んできた、100年後に到達する船団。火星の地下に眠る『監視者』。そして、月の地下に眠る『アーティファクト・ゼロ』。この三者は、それぞれが、全く異なる文明の、全く異なる目的を持つ、遺物です」
恵の分析は、残酷なほどに、明晰だった。
「来訪者は、おそらく、資源採集か、植民を目的とする、工業的な文明。監視者は、彼らとは別の、より古代の文明が、銀河の航路を維持するために設置した、自律型の番人。そして、月の航路図は、そのどちらとも違う、我々にはまだ、その目的さえ理解できない、超古代文明の置き土産……」
沈黙が、落ちた。
俺たちの戦いは、たった一つの、強大な敵に備えるためのものではなかった。我々は、巨大な象の足元で、互いに争う、複数の蟻の群れを相手にするようなものだったのだ。
最初に口を開いたのは、聡だった。
「……逃げるべきだ」彼は、静かに、しかし、力強く言った。「この太陽系は、我々が思っていたような、安住の地ではなかった。危険すぎる。我々は、全ての計画を、人類という『種』を、この危険な十字路から脱出させるための、箱舟の建造計画へと、切り替えるべきだ」
彼が指し示したのは、計画書に眠っていた、恒星間探査機計画。人類を、別の星系へと運ぶ、究極の脱出計画。
だが、その言葉に、ひかりが、静かに、しかし、きっぱりと、首を振った。
「嫌よ」彼女は、言った。「ここは、私たちの故郷だ。地球だけじゃない。月も、火星も、私たちが、お父さんたちの世代が、血と汗で築き上げた、私たちの庭だ。なぜ、まだ見ぬ敵の影に怯えて、それを捨てて、逃げ出さなければならないの」
彼女が指し示したのは、木星に、敵の正体を探るための、諜報拠点を建設する、積極的な防衛計画。
戦うべきか、逃げるべきか。
人類が、幾度となく繰り返してきた、究極の選択。それが、今、この四人の若者に、委ねられていた。
会議は、何時間も続いた。
そして、最後に、ひかりと聡は、一つの結論に達した。
「……両方よ」ひかりは、宣言した。「私たちは、両方、やる」
彼女は、聡の目を見た。聡もまた、深く、頷いた。
「聡君と、恵さん」ひかりは続けた。「あなたたちには、人類の、新しい故郷を探すための**『種』**を蒔く、オデッセイ計画を、率いてもらう。それは、万が一、私たちが戦いに敗れた時のための、最後の保険。そして、人類の、無限の可能性を信じる、希望の計画」
そして、ひかりは、月のルナに、視線を移した。
「ルナと、私。私たちは、この故郷を守るための**『剣』**を鍛える。ザイオン計画を始動させ、来訪者の正体を突き止め、彼らと対峙する。たとえ、それが、絶望的な戦いだとしても、私たちは、決して、この揺りかごを、黙って明け渡したりはしない」
剣と、種。
戦うための覚悟と、生き延びるための希望。
その、どちらか一つを選ぶのではなく、その両方を、同時に、追い求める。
それは、俺たち古い世代には、思いつきもしなかった、若く、そして、あまりにも力強い、決断だった。
俺は、いつの間にか、立ち上がっていた。
そして、この、誇らしい、若き指導者たちに、深く、深く、頭を下げていた。
「……頼む」俺の声は、震えていた。「この、星を。……俺たちの、子供たちと、孫たちの、未来を、頼む」
ひかりは、俺に、優しく、そして、力強く、微笑んだ。
「任せて、お父さん」
その日、プロジェクト・イージスは、二つの、全く異なる目的を持つ、巨大なプロジェクトへと、再編された。
一つは、太陽系の外を目指す、《プロジェクト・オデッセイ》。
もう一つは、太陽系の深淵を目指す、《プロジェクト・ザイオン》。
司令室は、二つに分けられた。
片方では、聡と恵が、恒星間航行という、神の領域の計算を始めている。
もう片方では、ひかりとルナが、木星の地獄のような放射線帯に耐えうる、超巨大宇宙ステーションの設計を、始めている。
俺は、その光景を、静かに、見つめていた。
俺が始めた戦いは、終わった。
そして、俺の子供たちが、今、彼ら自身の、新しい戦いを、始めようとしていた。




