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第四十二話

 2060年、冬。

 俺は、もうすぐ還暦を迎えようとしていた。白髪が増え、モニターの細かい数字は、もう眼鏡なしでは追えない。俺が人生を捧げたジェネシス計画は、人類を月へ、火星へと導いた。だが、その輝かしい成功の裏で、俺たちは、取り返しのつかない過ちを犯していた。


 軌道上の冷戦――血の流れない、静かなる戦争は、10年近く続いた。勝者はいなかった。ただ、無数の残骸だけが、そこにあった。

S俺たちが作り出した、完璧な無人兵器。それらは、互いの国の衛星や輸送船を、正確に、そして効率的に破壊し続けた。その結果、地球の周回軌道は、人類史上最悪のゴミ捨て場と化した。


S「ケスラーシンドローム」

 かつて、一人の科学者が予言した悪夢。一つのデブリが、次のデブリを生み、その破片が、また次の衛星を破壊する、無限の連鎖反応。それが、現実となったのだ。

 今や、地球低軌道は、死の領域だった。気象衛星は沈黙し、天気予報は過去の統計データに頼るしかない。GPSは途切れ、自動運転のトラックは、ただの鉄の塊と化した。軌道エレベーターの建設は、絶えず降り注ぐデブリの脅威によって、中断を余儀なくされている。


 俺たちは、宇宙へ進出するために、宇宙への道を、自らの手で閉ざしてしまったのだ。

 この愚かな戦争を終わらせたのは、政治的な和平交渉ではなかった。ただ、互いに、これ以上失うものがなくなったから、というだけの、虚しい停戦だった。


 そして、俺の個人的な世界でも、一つの大きな光が、消えようとしていた。

「……ステージ4だそうだ」

 病院の無菌室。ガラスの向こう側で、黒田さんは、まるで他人のことのように、静かに言った。がんに蝕まれた彼の体は、かつての鋼のような強靭さを失い、痩せ細っている。

「……未来を知ることはできても、自分の寿命までは、分からんものだな」

 彼は、自嘲するように笑った。俺は、何も言葉を返すことができなかった。共に、この国の、そして人類の未来を背負って戦ってきた、唯一無二の盟友。その彼が、今、静かに、死んでいこうとしている。


 その夜、俺はアース・ポートの、自室の書斎で、一人、酒を飲んだ。

 もう、俺の時代は、終わったのだ。

 俺のやり方は、戦うことだった。軌道という名の戦場で、計算という名の武器を振るうこと。だが、その戦いは、世界に、癒しがたい傷跡だけを残した。

 これからの世界に必要なのは、剣を振るう腕力ではない。傷を癒し、瓦礫の中から、新たな道を築く、しなやかな知性だ。


 俺は、震える手で、アトラス特区の評議会へ、一通の辞表を提出した。

 そして、もう一通。プロジェクト・イージスの、次期責任者を推薦する、最後の具申書を作成した。


 翌日。イージス司令室。

 俺は、自分が育て上げた、最高のチームの前に立った。

「……本日をもって、私は、イージス計画の全ての指揮権を、返上する」

 静かな、しかし、確かな動揺が、部屋を走った。


「私の戦いは、終わった。そして、私は、多くの点で、間違っていた」俺は、深く、頭を下げた。「これからのイージスに必要なのは、私のような古い兵士ではない。新しい世代の、新しい視点だ」

 俺は、部屋の隅に立つ、二人の若者を、手招きした。


 俺の娘、ひかり。

 そして、岡田前総理の孫、あきら

 二人は、アトラス国際学園を首席で卒業し、今や、このイージス計画に欠かせない、若き頭脳となっていた。


「ひかり」俺は、娘の目を、まっすぐに見た。「君は、私を超える、軌道力学の天才だ。そして、何より、私にはなかった、他者の痛みを理解する心を持っている。君が、この盾の、新しい司令官だ」

 そして、俺は、聡君に向き直った。

「聡君。君には、祖父君から受け継いだ、百年先を見通す目がある。そして、対立ではなく、対話によって、未来を築こうとする、真の指導者の資質がある。君が、この計画の、新しい羅針盤だ」


 俺は、自分のIDカードを、コンソールのスロットから抜き取った。そして、そのカードを、二つに折り、ひかりと聡、それぞれの手に、半分ずつ握らせた。

「……頼んだぞ。俺が壊してしまった宇宙そらを、もう一度、作り直してくれ」


 それが、俺の、最後の命令だった。


 俺は、司令室を、一度も振り返らずに出た。

 もう、俺の居場所は、ここにはない。

 俺は、エレベーターに乗り込み、地上へと向かった。

 病院にいる、たった一人の友の、残り少ない時間と、向き合うために。

 俺が守ろうとした未来の、全てを、若き二人の、その双肩に託して。

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