第三十三話
半年という時間は、宇宙のスケールで見れば一瞬に過ぎない。だが、今の俺たちにとっては、無限に等しい猶予であり、同時に、絶望的に短い締め切りでもあった。
惑星間航行船《閃き(ひらめき)》が、火星へ向かう静かな旅を続ける間、俺たちのチーム「イージス」は、地球で、見えない敵との、第二の戦いを始めていた。
「――ダメだ! オリンポス山周辺のデータは、いくら解析しても、異常なエネルギー反応は見つからない!」
部下の一人が、ディスプレイの前で頭を抱えた。
俺たちは、火星にいる無人探査機たちの観測データを、片っ端から洗い直していた。クルーたちを、あの運命の洞窟から引き離すための、新たな「宝物」を見つけ出すために。だが、火星は、あまりにも静かすぎた。まるで、巨大な猫が、息を潜めて、獲物が来るのを待っているかのように。
その日、俺は久しぶりに、JAXAの本部キャンパスを訪れていた。目的は、公の顔としての仕事――火星ミッションの進捗報告会のためだ。だが、俺にはもう一つ、裏の目的があった。
会議が終わり、俺は、一人の初老の男性に声をかけた。岡田前総理の、腹心の部下だった男。そして、今は、退官して、岡田財団の理事長を務めている人物だ。
「……先生」俺は、彼を人気のない談話室へと誘った。「一つ、個人的な質問を、よろしいでしょうか」
彼は、全てを察したような、穏やかな目で俺を見た。
「岡田先生の……お孫さんのことですか」
俺は、息を飲んだ。
「驚くことはありません」彼は、静かに言った。「私も、イージス計画の末席に名を連ねる者です。そして、先生が、二つの血筋を未来で交わらせようとしていることも、存じ上げております」
「では、教えてください」俺は、核心に迫った。「そのお孫さんは、今、どこで、何を?」
彼は、窓の外に広がる、平和な日本の風景を見ながら、答えた。
「……今、高校二年生です。政治家の家系を嫌い、親に反発して、天文学者になるのが夢だと、息巻いておられる。――先日も、JAXAが主催する、高校生向けの天文学コンテストで、最優秀賞を受賞されました」
「……え?」
「テーマは、『太陽系外惑星における、生命存在可能性の確率論的考察』。審査員だった西田博士が、『末恐ろしい才能だ』と、舌を巻いておられましたよ」
俺は、全身に鳥肌が立つのを感じた。
血は、争えない。いや、岡田は、この才能が未来で必要になることを知っていたからこそ、この壮大な計画を……。
「だが」理事長は、俺の方を向き直った。「その才能が、花開くかどうかは、分からない。彼には、まだ『試練』が与えられていない。そして、彼を導くべき、もう一方の血筋――畑中君と小松崎君の子供は、まだ、生まれてさえいない」
彼は、俺の肩に、そっと手を置いた。
「我々が今、作っているのは、英雄そのものではない。英雄が、正しく育つための、『揺りかご』なのだよ。そして、その揺りかごを守るための、もう一つの揺りかご……それこそが、君たちイージス計画の、本当の役割なのだ」
その言葉は、俺の心に、深く突き刺さった。
俺たちが守るべきは、ただの人類の未来ではない。畑中と小松崎の間に生まれる子供。そして、岡田の孫。その二人が、いずれ出会い、結ばれるための、穏やかで、平和な世界。その「揺りかご」そのものを、俺たちは守らなければならないのだ。
その夜。俺は、イージス司令室で、再び火星のデータと向き合っていた。
だが、俺の視点は、変わっていた。探しているのは、もはや、クルーを惹きつけるための、派手な「宝物」ではない。
俺が探すべきなのは、オリンポス山の「監視者」が、絶対に気づかれてはならない、弱点だ。
「……西田博士」俺は、インカムで、解析チームにいる博士に呼びかけた。「視点を変えましょう。エネルギー反応を探すのではなく、『エネルギーの欠損』を探すんです」
「……どういうことかね?」
「監視者が、もし、数億年も自己修復を続けているのなら、必ず、外部からエネルギーを補給しているはずです。そのエネルギー源は、おそらく、火星の地熱。ですが、そのエネルギー輸送経路には、必ず、僅かなロスが生じる。周囲の温度よりも、ほんの僅かに、温度が低い地点があるはずです。地中に埋まった、巨大な送電ケーブルのように」
それは、もはや天文学ではなく、考古学に近い発想だった。
俺たちは、火星全体の、微細な地表温度の分布図を、何年分も重ね合わせ、その僅かな差異を、AIを使ってあぶり出していく。
そして、三週間後。
俺たちは、ついに、それを見つけた。
火星の、オリンポス山とは正反対の、南極に近い極寒の平原。その地下を、まるで巨大な蛇が這うように、周囲よりも温度が0.01度だけ低い、奇妙な線が、数百キロにわたって続いていた。そして、その線の終着点には……。
「……洞窟だ」部下の一人が、震える声で言った。「オリンポス山とは違う、全く別の、未確認の、巨大な地下洞窟がある……!」
俺は、確信した。
オリンポス山は、敵の「城」だ。そして、今、我々が見つけたこの場所は、城へ兵糧を運び込むための、秘密の「裏口」に違いない。
俺は、FDを通じて、火星へ向かう《閃き》の船長、鎌田に、新たな指令を送った。
「――惑星規模のダストストーム(砂嵐)の発生予測を鑑み、第一次着陸目標地点を、オリンポス山から、南極圏のヘラス平原へと変更する。繰り返す。目標は、オリンポス山ではない。ヘラス平原だ」
俺は、クルーたちに、嘘をついた。
そして、俺は今、彼らを、ドラゴンの巣の正面玄関から、その裏口へと、静かに誘導しようとしていた。




