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第三十二話

 管制室の万雷の拍手が、まるで遠い世界の出来事のように聞こえた。

 俺の耳にこびりついていたのは、西田博士が読み上げた、未来の断片。「奴は、ずっと、待って……」。その言葉が、俺の脳内で、終わらないエコーのように反響していた。

 祝福ムードに沸く同僚たちに背を向け、俺はイージス司令室へと駆け込んだ。


「……どういうことだ、岡田先生!」

 緊急招集された極秘回線の中で、俺は初めて、あの冷静な岡田前総理に対して、感情を剥き出しにしていた。「あなたは、知っていたのか! 火星に何かいることを!」


 モニターの向こうで、岡田は静かに首を振った。その顔には、俺と同じ、あるいはそれ以上の苦悩が刻まれている。

「知らなかった。私が知っていたのは、『最初の時間軸』の火星ミッションが、原因不明の『全滅』に終わったという、断片的な事実だけだ。その原因が、技術的な失敗なのか、それとも……外的要因なのか、知るためのデータは、この『黒い箱』の中にも残っていなかった。――今、君が発見したこの通信記録が、我々が初めて手にした、その理由の断片だ」


「船を、ヒラメキを、呼び戻すべきです! 今ならまだ、間に合う!」

「不可能だ」その言葉を発したのは、黒田さんだった。「惑星間航行は、バス旅行とは違う。一度、火星への遷移軌道に乗った船が引き返すには、膨大なエネルギーと、数年単位の時間が必要になる。現実的ではない」


 そして、もう一つのモニターに映る、現職の岸辺総理が、冷徹な、しかし指導者としての決断を下した。

「……ミッションは、続行する」

「総理!」

「聞け」岸辺は、俺の言葉を遮った。「この船出は、もはや日本だけのものではない。W12の、全人類の希望だ。これを、理由も明かせぬまま中止すれば、ジェネシス計画そのものが瓦解する。そうなれば、130年後の『本当の危機』に、我々は対抗する術を失う。――六名のクルーの命と、百億の人類の未来。私は、後者を選ぶ」


 それは、為政者として、あまりにも正しく、そしてあまりにも残酷な判断だった。

「では、彼らを見殺しにしろと!」

「そうは言っていない」岸辺は、俺の目をまっすぐに見つめた。「君は、軌道計画の天才だと聞いている。ならば、道がなければ、作ればいい。違うか?」


 彼は、俺に、新たな、そして絶望的な任務を課した。

「ヒラメキが、火星に到着するまでの、六ヶ月。その間に、解決策を見つけ出せ。クルーに真実を告げることなく、彼らを、オリンポス山のその洞窟に、近づけさせない方法を」


 無茶だ。オリンポス山の巨大洞窟群は、今回のミッションにおける、科学的に最も価値のある、最優先の調査目標なのだ。そこへ行くな、と命令すれば、クルーは必ず理由を問いただすだろう。


 会議が終わり、俺は、西田博士と二人、イージス司令室で、巨大な火星の立体地図を前に、立ち尽くしていた。

「……どうすればいい」俺は、弱音を吐いた。「理由もなく、登山家にエベレストに登るな、と言うようなものだ」


「いや……」西田博士は、顎に手をやりながら、深い思索の海に沈んでいた。「登山家は、エベレストよりも魅力的な山があれば、そちらに登るかもしれんぞ」

「……え?」

「つまり、こういうことだ」博士は、俺の方を向いた。「クルーたちが、オリンポス山の洞窟のことなど、忘れてしまうほどの、**もっと凄い『何か』**を、火星で見つけてやればいい」


 博士の言葉は、逆転の発想だった。

 危険から、遠ざけるのではない。もっと強い希望で、彼らを別の方向へ、誘導するのだ。


「だが、どこに、そんなものが」

「探すのだよ」西田博士は、子供のような笑みを浮かべた。「我々には、最高の道具がある。2020年に火星へ到着した、あの日米中UAEの、無人探査機たちだ。彼らが集めた、膨大な地表データを、もう一度、洗い直す」


 俺の目の前に、一筋の光が差した。

 そうだ。あの探査機たちは、オリンポス・ビレッジ建設のための、地質調査を行っていた。だが、そのデータの中に、まだ誰も気づいていない、別の何かが眠っているかもしれない。


「解析の目的を変える」俺は、決意を固めた。「これまでの探査目的は、『過去の生命の痕跡』を探すことだった。だが、今日からは違う」

 俺は、部下たちに、新たな指令を下すべく、コンソールに向かった。


「我々が今から探すのは、**『現在、活動している、何らかのエネルギー反応』**だ。微弱な熱源、季節によるメタン濃度の変化、不可解な磁場の乱れ。――何でもいい。火星が、ただの死んだ星ではないという、動かぬ証拠を見つけ出すんだ」


 それは、砂漠の中から、一本の針を見つけ出すような、途方もない作業だった。

 だが、俺たちのレースは、もう始まっている。

 モニターの片隅で、ヒラメキの光点が、静かに、赤い惑星へと向かっていく。

 俺は、祈るような気持ちで、キーボードを叩き始めた。


 火星の地図を、書き換えろ。

 彼らが、あのドラゴンの巣に、たどり着く前に。

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