表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/58

第二十八話

 それからの数ヶ月、俺はまるで二つの異なる人生を同時に生きているようだった。

 昼は、イージス司令室で、南海トラフ沿岸の微小な地殻変動データを睨みつけ、来るべきXデーに備えて避難経路や物資輸送のシミュレーションを繰り返す。

 そして夜は、月にいる畑中飛行士と、地上にいる小松崎技術者の、ささやかな交流を、神のような視点から見守っていた。


 二人の関係は、ゆっくりと、だが確実に育まれていた。始めは仕事の話だけだったが、やがて、故郷の話、好きな音楽の話、そして、宇宙から見た地球の美しさについて、俺が用意した「特別な通信衛星」を通じて、語り合うようになっていた。それは、俺が仕組んだ、あまりにも不自然で、そしてあまりにも自然な、奇妙なロマンスだった。

 俺は、未来の英雄が生まれるための揺りかごを準備する罪悪感と、二人の間に芽生える純粋な絆への、父親のような温かい感情との間で、引き裂かれていた。


 そして、運命の日は、ある晴れた春の日の午後に、何の前触れもなく訪れた。


「――緊急地震速報!」

 イージス司令室の全てのモニターが、瞬時に赤く染まり、けたたましい警報音を鳴り響かせた。

「震源、南海トラフ! マグニチュード、9.1!」


 岡田前総理の予言は、現実となった。

 巨大な揺れが、ここ筑波の地下深くまで届く。数秒後、関東一円の電力網が落ち、司令室は非常用電源の薄暗い赤色灯に包まれた。

 メインスクリーンには、次々と絶望的な情報が映し出される。沿岸部を飲み込む、黒い津波。寸断された道路。そして、完全に麻痺した、地上の通信網。電話も、インターネットも、もう繋がらない。


「黒田さん!」俺は叫んだ。「例の衛星を!」

「やれ!」黒田さんの、鋼のような声が響いた。「今こそ、八咫烏が、日本の目となり、耳となる時だ!」


 俺は、予行演習通りに、コマンドを打ち込んだ。俺が、畑中と小松崎のために用意した、あの特別な中継衛星。その通信帯域を、日本の災害対策本部へと、全開で接続する。

 その瞬間、暗闇に閉ざされていた日本の上に、宇宙からの、たった一本の命綱が、再び繋がった。


「小松崎君は無事か!」俺は、部下に怒鳴った。彼女の実家は、被災地の中心だった。

「無事です! 彼女は今、筑波のメインコントロールルームで、衛星通信の確保にあたっています!」


 その時、ヘッドセットから、月の畑中飛行士の、切羽詰まった声が聞こえてきた。

『こちら、アルテミス・プライム! 地上の様子が見える! なんてことだ……日本が、黒く……』

 彼は、人類でただ一人、この大災害の全体像を、その目で直接見ていた。


「畑中飛行士!」俺は、彼に直接呼びかけた。「小松崎技術者と回線を繋ぐ! 君のその目から見える情報を、彼女に伝えろ! 彼女なら、それを解析し、救助隊が必要な場所を特定できるはずだ!」


 かくして、歴史上、最も遠く、最も奇妙な共同作業が始まった。

 月面基地の小さな窓から、畑中は、地球を見つめた。津波の進行方向、孤立した地域の分布、そして、地上の誰もがまだ気づいていない、二次災害の兆候。

『……四国の山間部だ!』畑中が叫んだ。『大規模な山崩れが起きている! あれは、麓の村へ向かっているぞ!』


 その声は、衛星を経由し、筑波の小松崎さんの元へ届く。

『了解! 座標を特定! あの村には、まだ避難勧告が出ていません! 急いでヘリを向かわせます!』

 彼女は、悲しみに暮れる暇もなく、畑中から送られてくる情報を、冷静沈着に、救助隊のための具体的な指示へと変えていく。


 一人は、38万km彼方の月から、故郷の悲劇を見つめ、声を張り上げる。

 もう一人は、地上で、その声だけを頼りに、見えざる同胞を救うために、キーボードを叩き続ける。


 俺は、二人の、悲痛で、そしてあまりにも美しい、魂の交信を聞いていた。

 俺が、不純な動機で用意した命綱は、今、本当に、多くの人々の命を救っている。


 数時間後。山崩れに襲われる寸前だった村から、全住民の救出が完了したという報告が入った。

 ヘッドセットから、小松崎さんの、すすり泣く声が聞こえてきた。

『……ありがとう、ございます……畑中さん……。あなたの、おかげで……』

『礼を言うのは、俺の方だ』畑中の、震える声が答えた。『俺は、何もできずに、ここから見ていることしかできなかった。君が、俺の目を、本当の「希望」に変えてくれたんだ』


 その瞬間、俺は、全てを悟った。

 岡田前総理は、ただ、二人が出会うという「事実」だけを求めていたのではない。

 この、極限状況の中で、互いの存在の重要性を、魂のレベルで理解し合うという、「経験」こそが必要だったのだ。

 悲劇の中で、未来の英雄の両親となるべき二人の絆は、俺が計画したどんなシナリオよりも、強く、そして固く、結ばれた。


 俺は、静かに司令室を抜け出し、空を見上げた。

 星々は、変わらず輝いている。

 運命とは、誰かが設計するものではない。ただ、そこにある危機に、懸命に立ち向かう人々の、心の軌跡そのものなのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ