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第二十二話

 イザナギ計画専用管制室の空気は、薄く、そして冷たかった。俺たち四人以外の人間は、この部屋の存在さえ知らない。地球の喧騒から完全に切り離された、静寂の潜水艦。我々は今、人類の誰も見たことのない、月の深海へと潜航していた。


 小型ドローン《シズク》が、クレーター「黄泉」の永久影に降下を始めてから、17分が経過していた。シズクのカメラは、暗闇を捉えているだけだ。だが、その機体が搭載した高精度LIDARライダーと超音波センサーは、俺たちのモニター上に、周囲の地形を青白い三次元の点群データとしてリアルタイムで描き出していく。無数の岩塊、切り立った崖。シズクは、それらを巧みに回避しながら、自律的に降下を続けていた。俺が設計した軌道を、完璧に。


「高度50。アーティファクト・ゼロの磁場、計測」

 部下の一人が、緊張した声で報告する。

「……やはり、異常だ。天然の磁性体ではない。何かが、内部で能動的に……シールドのようなものを形成している?」


 心臓が、嫌な音を立てた。あれは、ただの残骸ではないのか。

「降下を続けろ。高度10メートルでホバリング。スキャンシーケンスを開始」


 シズクは、最後の垂直降下を行った。点群データの中に、ひときわ巨大な、滑らかな曲線を描く物体が浮かび上がる。アーティファクト・ゼロだ。ヤタガラス1号がその一部を露わにした、全長数キロに及ぶかもしれない、巨大な異星の遺物。


 そして、シズクは、その巨大な背骨のような構造物の上空10メートルで、音もなく静止した。


「スキャン、開始します」

 オペレーターが、コマンドを打ち込む。シズクから、目に見えない無数のセンサーの光が、下の構造物へと降り注いでいく。

 俺の目の前のメインスクリーンに、昨年、ローバー《コダマ》が命と引き換えに送り込んできた、あの星間航路図の画像が、再び表示された。だが、今度は違う。シズクのスキャンによって、その画像はリアルタイムで更新され、より詳細な情報が浮かび上がってきたのだ。


「……なんだ、これは」

 データ解析担当の若い技術者が、呆然と呟いた。

「線が……航路図のラインが、動いている……?」


 その通りだった。星々を結ぶ無数の光の線は、静的な地図ではなかった。いくつかの線は脈動するように明滅し、いくつかの線は川の流れのように、ゆっくりと移動している。

 それは、地図ではなかった。交通情報だったのだ。銀河系規模の、リアルタイム交通情報システム。


「……まさか……」

 俺は、ある恐ろしい可能性に行き着き、全身の血の気が引いた。もし、これが今も機能しているのだとしたら。もし、この航路を、今も誰かが使っているのだとしたら――。


 その、俺の思考を肯定するかのように、事件は起きた。

 星図の一角、我々から見てペルセウス座の方向にある、一本の航路が、突如として鮮やかな赤色に変わり、強く脈動を始めたのだ。その赤い光は、航路に沿って、明確な意志を持って、ある一点へと向かって伸びていく。

 その終着点は、俺たちの太陽系。――地球だった。


 そして、その赤い航路の終着点の横に、今まで存在しなかった、新たな記号が表示された。

 それは、俺たちの知らない文字体系だったが、その意味は、誰の目にも明らかだった。数字。そして、時間を刻む、カウンター。


『2150. 04. 01』


「……なんだよ、これ」部下の一人が、震える声で言った。「映画の……見過ぎだよな……?」

 誰も答えられなかった。

 これは、地図ではない。交通情報でもない。

 これは、到着時刻表だ。


 俺は、全てを理解した。

 岡田総理が、なぜあれほどまでに急いでいたのか。彼が回避しようとしていた、飢饉や戦争といった「未来の危機」。それは、本当の危機の前触れに過ぎなかったのだ。本当の危機とは、これだ。

 約130年後。何者かが、この地球へやってくる。

 ジェネシス計画は、人類が宇宙へ進出するための計画などではない。

 正体不明の、圧倒的な科学力を持つであろう「彼ら」を、人類が、迎え撃つための、防衛計画だったのだ。


 俺は、震える手で、黒田官房長への極秘回線を開いた。数秒後、モニターに彼の顔が映し出される。俺は、報告した。

「……見て、おられましたか」

『ああ』黒田は、静かに頷いた。『総理の予測が、正しかったことが証明された』


 その時、黒田の背後から、もう一人の人物がフレームインしてきた。

 岡田総理、その人だった。彼の顔には、未来を知る者の、深い疲労と、そして、かすかな安堵の色が浮かんでいた。


「ご苦労だった」総理は、モニター越しに、俺に直接語りかけた。「これで、我々は初めて、反撃の狼煙を上げる準備が整った」

「反撃……?」

「そうだ」総理は、断言した。


「我々には、もう時間がない。君のチームの次の仕事は、この時刻表を、そしてこの航路図を、一刻も早く解読することだ。彼らが何者で、何のために、どこから来るのか。その全てを明らかにしろ」

 そして、総理は、俺に、技術者人生で最も重い、宣告を下した。

「そして、同時に、君には、我々が彼らを『迎撃』するための、太陽系規模の防衛計画を、軌道力学の観点から構築してもらう」


 防衛計画。迎撃。その言葉が、俺の頭の中で反響した。

 俺は、ただの軌道計算技術者だったはずだ。だが、今、俺が設計を命じられたのは、惑星間航路ではない。

 太陽系という名の、巨大な要塞の設計図だった。

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