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第十三話

 ロケットが宇宙空間に達してからは、熱狂は消え、冷徹な計算だけが支配する時間となった。俺たちの目の前にあるのは、二つの光点。一つは、日本の誇るH3-Heavyから分離した、有人宇宙船りゅうぐう。もう一つは、アメリカの民間企業が運用する、最新鋭のクルードラゴン。二隻の救命ボートは、俺たちが描いた無謀な軌道の上を、忠実に飛んでいた。


「りゅうぐう、第一回軌道修正噴射、成功。軌道誤差、0.001%」

「クルードラゴンも同様。予定よりわずかに速い。さすが民間機だ、荒々しいが速い」

 管制室の各所から、安堵の混じった報告が上がる。だが、誰も笑顔にはならない。12時間というタイムリミットを考えれば、まだスタートラインに立ったに過ぎない。


 問題は、常に予想しない場所で牙を剥く。


「軌道上に、未確認のデブリを捕捉!」

 宇宙状況監視(SSA)チームからの警告が、管制室の空気を再び凍りつかせた。

「サイズは小さい。だが、クルードラゴンの予測軌道と、9分後に交差する!」


 メインスクリーンに、新たな脅威が表示された。数センチ程度の、過去の人工衛星の破片。地上ではただの金属片だが、秒速数キロで飛び交う宇宙では、宇宙船を貫通しうる凶器と化す。


「回避しろ!」FDが叫ぶ。

「ですが、回避マニューバを行えば、燃料と時間をロスします! 到着が、致命的に遅れるかもしれない!」

 アメリカの管制官が、悲痛な声で応答する。


「やるしかない!」俺は叫んだ。「H3を先行させ、ドラゴンをバックアップに回す! 俺が最短の回避ルートを計算する!」

 俺の指が、再びキーボードの上を疾走する。デブリの軌道、ドラゴンの現在位置、テラ・アンカーの未来位置。その三つの点を結ぶ、新たな解を、脳が焼き切れるほどの速度で探し出す。


 一方、テラ・アンカーの船内では、静かな闘いが続いていた。

「……ケイト、少し眠れ。顔色が悪い」

 船長の、マスク越しのくぐもった声。アメリカ人の科学者、ケイトの呼吸が、少しずつ荒くなっているのがモニター越しにも分かった。高濃度二酸化炭素ハイパーカプニアの影響が出始めているのだ。

「大丈夫……。この実験データだけは、地球に……」

 彼女は、朦朧とする意識の中で、必死にデータを地上へ転送しようとしていた。


 タイムリミットが、容赦なく迫る。クルードラゴンは、俺が算出した回避軌道に乗ったが、到着は30分遅れることが確定した。もはや、日本の《りゅうぐう》だけが、唯一の希望だった。だが、その《りゅうぐう》でさえ、到着はリミットのわずか数分前。ドッキングの最終シーケンスに少しでも手間取れば、全てが終わる。


 どうすれば、時間を削れる? あと数分、いや、数秒でもいい。どこかに、削れる時間はないのか。

 俺は、ディスプレイに映るテラ・アンカーの三次元モデルを、鬼のような形相で睨みつけていた。ドッキングポート。ハッチ。エアロック。その、あまりにも複雑な接続手順。……待てよ。


 天啓は、絶望の淵で訪れた。

「FD!」俺は、椅子から立ち上がって叫んだ。「方法があります! ドッキング時間を、3分短縮できる!」

 管制室の全ての視線が、俺に突き刺さる。


「テラ・アンカー自身を、動かすんです」

「何を言っている! もうメインエンジンは使えん!」

「メインエンジンじゃない! 姿勢制御用の、小さなスラスターです! それを使って、ステーション自体を、ゆっくりと回転させる!」


 俺は、一気にまくし立てた。

「りゅうぐうが到着する直前に、ドッキングポートが、**向こうからりゅうぐうを『迎えにいく』**ように、ステーションを回転させるんです! りゅうぐうは、複雑な最終姿勢制御のほとんどを省略し、直線的にポートへ進入できる! 野球のキャッチャーが、ボールのコースにミットを動かすのと同じです!」


 それは、前代未聞の、そして狂気のアイデアだった。動く的である宇宙ステーションを、さらに自ら動かすなど、教科書のどこにも載っていない。だが、俺の計算上、それは可能だった。そして、それしか、方法がなかった。


 FDは、俺の目を10秒間、無言で見つめた。そして、深く、頷いた。

「……分かった。責任は、俺が取る」

 彼は、テラ・アンカーの船長へ、マイクのスイッチを入れた。

「船長。聞こえるか。今から、人類史上最もクレイジーな、キャッチボールを始める」


 メインスクリーンに、最後の希望である《りゅうぐう》が、漆黒の宇宙の彼方から、小さな光点として近づいてくるのが映し出された。

 そして、その光に向かって、巨大な沈黙の家が、最後の力を振り絞り、ゆっくりと、その腕を広げるように、回転を始めた。

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