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第十二話

「残り、12時間」

 フライトディレクター(FD)が呟いたその言葉は、統合管制センターの全ての楽観論を打ち砕く、冷たい鉄槌だった。我々が勝ち取ったはずの時間は、指の間から砂のようにこぼれ落ちてしまった。もはや、一分一秒の猶予もない。


「軌道計画室!」FDの鋭い声が、俺の名を呼んだ。「12時間以内にランデブー可能な軌道は組めるか!?」

「無茶です!」俺の隣で、若い部下が悲鳴のような声を上げた。「最短でも15時間はかかる!」


「いや、できる」

 俺は、自分でも驚くほど冷静な声で答えていた。極限のプレッシャーが、逆に俺の思考を氷のように研ぎ澄ませていく。

「ただし、通常のランデブーは不可能だ。救助船を、テラ・アンカーの未来位置に、ヘッドオン(正面衝突)に近い角度で突っ込ませる」


「正気か!」誰かが叫んだ。「そんな危険な軌道、前例がない!」

「前例を作るんだよ!」俺は、コンソールに新たな計算式を打ち込みながら叫んだ。「減速のための燃料は、ドッキング直前の逆噴射で使い切る! 一発勝負の、自殺的な軌道だ。だが、これしか彼らを救う道はない!」


 FDは、わずか数秒間、目を閉じて思考を巡らせた。そして、顔を上げた彼の目には、覚悟が決まっていた。

「……分かった。その軌道を採用する。日米の射場に伝えろ。人類史上、最もクレイジーな打ち上げになると」


 そこからの数時間は、人間の精神がどれだけの速度で情報を処理できるかの限界を試すような時間だった。

 俺たち軌道計画室は、二機の救助ロケット、H3-HeavyとファルコンXXのための、二つの異なる、しかし等しく無謀な軌道を同時に設計した。それは、一点の曇りも許されない、精密なバレエの振り付けのようだった。


 メインスクリーンに映る、種子島とケープカナベラルの映像。そこでは、地上のクルーたちが、まるで戦場を走り回る兵士のように、ロケットの最終準備を急いでいた。液体水素と液体酸素が、極低温の白い霧を立ち昇らせながら、機体に注入されていく。


 もう一方のモニターでは、テラ・アンカーの船内の様子が、静かに映し出されていた。

 CO2濃度の上昇によるものか、クルーたちの動きは明らかに緩慢になっていた。だが、彼らはパニックに陥るどころか、驚くほど落ち着いていた。船長は、地球から送られてきた緊急手順書を冷静に確認し、他のクルーに指示を出している。アメリカ人の科学者は、観測機器の電源を、定められた手順通りに一つ一つ落としていた。ESAのパイロットは、船外活動用の宇宙服の最終チェックを行っている。

 彼らは、自分たちが助かると信じているのではない。自分たちが死んだ後も、この「家」が生き残り、後続の仲間たちがその礎を継いでくれると信じているのだ。その静かな覚悟が、映像越しに、俺たちの胸を締め付けた。


 そして、運命の時が来た。

 地球の自転により、二つの射場が、テラ・アンカーへの最短軌道に乗る、ごくわずかな時間。打ち上げウィンドウは、同時に開かれる。


「種子島、打ち上げ準備完了!」

「ケープカナベラル、ゴー・フォー・ローンチ!」


 FDが、マイクを握りしめる。

「こちら、W12統合管制。――クルーを、迎えに行ってやってくれ」


 カウントダウンが、英語と日本語で、同時に始まった。

「……Three, Two, One……」

「……さん、に、いち……」


「「リフトオフ!」」


 地球の、昼と夜の側から。

 二本の、人類の希望を乗せた槍が、同時に空を突いた。H3-HeavyとファルコンXXは、凄まじい轟音と共に、漆黒の宇宙へと駆け上がっていく。


 管制室の誰もが、祈るように、その二つの光跡を見上げていた。

 それは、人類が初めて、国境を越え、技術の垣根を越え、ただ一つの目的――仲間を救う――ために、心を一つにした瞬間だった。


 だが、俺はもう次の仕事に取り掛かっていた。打ち上げ後の、わずかな軌道のズレを補正するための、第一回軌道修正計算だ。

 12時間の針は、もう止まらない。レースは、まだ始まったばかりだ。

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