第十一話
統合管制センターは、静かな戦場と化した。
俺の周囲には、軌道計画室の精鋭たちが集結し、それぞれのコンソールで凄まじい勢いで計算を叩き出していた。テラ・アンカーのメインエンジンを、どれだけの時間、どの角度で噴射すれば、ランデブー軌道へ最も安全に移行できるのか。与えられた時間は、ほとんどない。
「リアクションホイールのトルクが不安定だ! このままじゃ、噴射開始時に姿勢が崩れるぞ!」
衛星管制の専門家が叫ぶ。
「分かってる! 噴射パターンを修正して、トルクの揺らぎを相殺するプログラムを組んでる!」
俺は、ディスプレイから目を離さずに怒鳴り返した。指先が、キーボードの上を火花が散るように踊る。俺の頭の中では、何百万通りもの未来の軌道が生まれ、そして消えていく。その中から、たった一つの、6人の命を救うための針の穴のような正解を見つけ出さなければならない。
メインスクリーンには、二分割された映像が映し出されていた。片方は、日本の種子島宇宙センター。もう片方は、アメリカのケープカナベラル宇宙軍基地。そこでは、H3-HeavyとファルコンXXが、まるで決闘を待つガンマンのように、それぞれの発射台で最終準備を進めていた。二つの救命ボート。だが、それも俺たちがテラ・アンカーを正しい場所へ導けなければ、ただの鉄屑だ。
もう一方のモニターには、テラ・アンカーの船内映像が映し出されている。CO2濃度の上昇で、カメラの映像がわずかに霞んで見えた。日本の八咫烏モジュールに集められた6人のクルーは、非常用の呼吸マスクを装着し、静かにその時を待っている。船長の、ヘルメット越しの落ち着いた目が、俺たち地上の管制官をじっと見つめている。その視線が、俺の背中に突き刺さる。
「……最終軌道、確定!」
8分後。俺は、全ての計算を終えた。それは、完璧とは程遠い、いくつもの妥協とリスクを孕んだ、苦渋の軌道だった。
「FD、これが我々に出せる、最善解です。噴射時間は27秒。成功確率は……85%」
「残りの15%は?」FDが、血走った目で俺を睨む。
「……ステーションが制御不能のスピンに陥るか、最悪の場合、空中分解します」
管制室が、再び沈黙に包まれた。85%の希望と、15%の絶望。その天秤に、6人の命と、人類の夢が乗せられている。
「……やろう」FDは、絞り出すような声で言った。「クルーに伝えろ。5分後に、人生で一番の揺れが来ると」
宇宙にいるクルーに、最終的な噴射計画が送られる。船長からの返信は、短く、そして力強かった。
「了解した。家を揺らすのは、家主の権利だ。――頼んだぞ、地上」
その言葉が、合図だった。
「テラ・アンカー、メインエンジン、点火シーケンス開始!」
俺は、自分の仕事が終わった後も、席を立つことができなかった。ただ、固唾を飲んで、ディスプレイに映るテレメトリデータを見つめる。それは、俺が書いた脚本通りに、巨大な宇宙の役者が動いてくれるのを待つ、無力な脚本家の心境だった。
「……3、2、1……点火!」
テラ・アンカーの船尾から、青白い炎が噴き出した。船内カメラの映像が、激しく揺れる。棚から備品が飛び出し、無重力空間を乱雑に飛び交った。
俺の心臓が、喉から飛び出しそうだった。頼む、耐えてくれ。
テレメトリのグラフが、激しく乱高下する。姿勢制御システムが、悲鳴を上げている。だが、俺たちが組んだ補助プログラムが、必死にその揺れを打ち消そうとカウンターを当てているのが分かった。行け。行ける。
長い、長い27秒だった。
「……噴射、終了」
エンジンが止まり、船内の揺れが収まる。そして、テレメトリのグラフが、ゆっくりと、だが確実に、俺たちが算出した予測軌道へと収束していくのが見えた。
管制室に、爆発的な歓声が上がった。FDが、マイクに向かって叫ぶ。
「軌道変更、成功だ! テラ・アンカーは、新しい軌道に乗った!」
だが、その歓声の最中、俺は自分のディスプレイに表示された、ある小さな異常値に気づいていた。
生命維持システムの管制官が、血の気の引いた声で叫んだ。
「FD! CO2濃度が、予測よりも速いスピードで上昇しています!」
「何だと!」
「軌道変更の振動で、どこかの配管に新たなクラックが入った可能性があります! このままでは……クルーのタイムリミットは、20時間から、12時間に短縮されます!」
歓声が、ピタリと止んだ。
俺たちは、家を動かすことには成功した。だが、その揺れで、家そのものの崩壊を早めてしまったのだ。
残された時間は、12時間。
メインスクリーンに映る二機のロケットが、まるで死刑執行の宣告のように、不気味に静まり返って見えた。




