殿下、お願いだから昨夜のことは忘れてください
おはようございます。私、第三王子殿下の近衛兵を務めております、名前をカシアといいます。
さっそくですが、朝から慌てています。
なぜって、起きたら服を着ていなかった上に、昨夜の記憶がなかったものですから。
頭がズキンズキンと痛みます。二日酔いのようです。昨日は飲みすぎてしまったようですね。ところでここはどこでしょう? 自宅でないことは確かなのですが、見覚えがありません。
シーツは普段使っているものより上質で、ベッドも広く、2人寝ても十分な広さです。とりあえず服でも着ようと立ち上がります。
クローゼットを開けようと手をかけたところで、部屋のドアが開きました。全くの無警戒だった私はそちらを振り返り、固まりました。
「で、殿下…!」
護衛対象がそこにいました。下は履いていましたが、上は何も着ておらず、無駄のない筋肉のついた体があらわになっています。私は護衛するどころか、情けないことに全裸でその殿下の濡れた髪を凝視することしかできません。髪が濡れているということは、つまり、一緒にこの部屋に泊まったということでしょうか? 殿下はともかく、私は全裸ですので、全裸の私と半裸の殿下が一つの部屋で、何もなかったと思いたいですが、そう思う方が現実的ではないように思えます。
「カシア、起きたんだ、おはよう」
殿下はいつも通りでした。王妃様譲りの美貌を隠しもせず、爽やかに微笑み挨拶をされます。私に限らず、誰に対してもこうなのです。感じのいいところは美点でしょうが、その挨拶からは何の感情も読み取れず、この状況と相まって、私はどうすればいいやら判断しかねていました。
「おはようございます。殿下」
とりあえず挨拶は返さなければなりません。相手は殿下なので、たとえ全裸と半裸であっても。
「体調は大丈夫? ずいぶん飲んでたみたいだけど」
「はい、任務に支障はありません」
実際は頭が割れるほどの頭痛がしているのですが、頭痛程度は気合いで何とでもなりますので、そのように返事をしました。
少しずつ状況が飲み込めてきて、そうなると何も着ていないことが改めて恥ずかしく感じられてきます。せめて下着だけでもと思い、手をかけていたクローゼットを開けると、きちんと畳まれた私の服がありました。さっとそれを掴み、殿下に向き直ります。
「恐れ入りますが着替えてまいりますので、一旦失礼致します」
ほとんど殿下をおしのけるようにして、ドアから脱衣所に移動して、ドアをバタンと閉めました。それと同時に緊張が解けて、ふらふらと床にへたり込みます。
一体、本当にどういうことなのかしら、まさか私、殿下と…? でも頭は痛いけれど、ほかに変なところなんてないし、と思ったところで、このごに及んで、下腹に違和感を感じ始めたのです。
「なんてこと」
頭を抱えてしまいました。心配事はたった一つ。
私の気持ち、まさかバレてないでしょうか。
殿下のことを好きだという気持ちは今までひた隠しにしてきました。貴族とはいえ底辺の騎士の娘と王族では釣り合うはずもないことはもちろん、殿下にはすでに第一夫人、第二夫人、第三夫人まで、婚約者が決まっていたからです。
万が一にも両思いなんてことはありえませんが、もし奇跡が起きたとしてよくても愛人で、肩身狭く暮らさなくてはなりません。そんな状態で一生を暮らすのなんてまっぴらごめんです。しかも、これが大事なことですが、愛人になれば騎士で居続けることはできません。
騎士の仕事は恋とは別で、諦めることはできません。親に反対されながらも自分で志し、手にした職です。今は殿下付きとして、ゆくゆくは殿下の奥様、もしくはお子様たちをお守りする、そんな中で私の意思を尊重してくれる方と、縁があれば結婚でもして、1人か2人子を産んで落ち着いたら復職する予定なのです。
それにしても、お酒とは恐ろしいものです。一体昨夜の私は殿下に何を言ったのでしょうか。全く思い出せません。
「大丈夫か」
時間が経ちすぎたからでしょうか、殿下が心配そうに声をかけてくださいます。お優しいですね。誰にたいしてもこうなのです。もしあなたが優しくされたとしても期待してはいけませんよ。私の二の舞を踏んではなりません。
その万人に優しい御声を聞いて、気を取り直して、一気に着替えました。
「はい、お待たせしました、いつでも出発できます」
ピシッと敬礼すると、殿下は困ったように片眉を上げられました。
「そんな急がなくてもいいじゃないか。今日は休日だろう」
「ええ、ですが同席させていただいている以上、殿下の護衛任務に休日はございません」
私はサッとドアの横に立ちました。この位置であれば、侵入者にいつでも対応できます。私は先輩などからよく「リスのようだ」と言われます。その通り、小柄で俊敏であることが強みだと思っています。悩みはリスのようなふわふわとした髪質が、扱いづらいということでしょうか。
その時も、リスよろしく俊敏に、自然にドアの横に立ちました。いつも通りの姿勢でとても落ち着きます。
「外には別で護衛がいるから、今日くらいはゆっくりしてほしい、命令だよ、ここに一緒に座ってくれ」
そう言って殿下はベッドの隣を指さされました。嫌だと思いましたが、殿下に命令と言われては、逆らうわけにはいきません。
渋々殿下の隣に腰を下ろしました。
「その様子だと、昨日のことは覚えてないね」
「はい、全く記憶になく、できれば殿下の記憶からも消し去っていただきたく存じます」
「そんな勿体ないこと、できないよ」
どんな顔をしてそんなことを言っているのか気になって、顔をあげてしまいましたが、すぐに後悔しました。キラキラとしたお顔にとろけるような笑みがのっています。
「あの、一体私は昨夜どんな失態を…いえ、やっぱりいいです。いいんです。知ったら戻れなくなりますから、ええ」
「戻れなくてもいいんじゃない?」
なんて甘い声でしょうか。誘惑されている気分になりますが、気のせいです。よく振り返ってみれば、王子はいつもこんな調子で周囲を振り回すのがお好きな方なのです。私は気を取り直して、立ち上り、宣言しました。
「戻らなければならないのです! 外に護衛が別でいるとのことですし、本日は休日ですので、本官はこれにて失礼します!」
護衛がいなければ休日であっても城まで送り届ける義務がありましたが、ほかに護衛がいるなら、私は殿下のお側を離れていいことになります。殿下の返事も待たず、敬礼をした後、とにかく急いで部屋を出ました。
出ると、上官と同僚がいました。2人が今日の殿下の護衛なのですから当然です。私は二人にお疲れ様ですと敬礼をして、何食わぬ顔で自宅へ帰りました。
しかし、改めて考えると恥ずかしすぎます。殿下と何があったか思い出せませんが、おそらく全てを同僚に知られていたのでしょう。明日からどんな顔で出勤すればいいのでしょうか。自分のベットの上で、頭を抱えて転がりまわりました。
さて、私がいなくなった後の殿下と護衛のやり取りが以下の通りであったそうです。
「ご愁傷さまです、殿下」
「一体、どうすればいいんだと思う?」
「そうですね、見るからに両思いだとわかってるのに、好意丸出しで近づいても、贈り物をしても、何をしても明後日の方向に解釈されて、なかなか結ばれないことに焦れた周りがセッティングした酒の席でうまいこと既成事実が作れたにも関わらず、逃げられた殿下の御心労は私などには計り知れないことですし、これ以上どうすればいいのかと言えば、ご両親にでも先にお話を持っていけばいいのでは?」
「それはもうやったじゃないか。身分が違いすぎるから、娘には過分だ、愛人がちょうどいい、先に婚約者でもいればとか何とかいうから、婚約したのに、本人にはさらに距離を取られるようになってしまった」
「…今回のことで、さらに避けられないといいですね」
私がそういうことがあったと知ったのは、ずいぶん後になってから。殿下がすべての婚約を破棄して私を第一夫人として迎えると宣言された後のことです。
そのため恥ずかしさでのたうち回っていた、その日の私には、全く想像がつかないことなのでした。