第3話:繊細
「悲しいように見えますか」
と訊ねてみたが、小夜子さんは作品を見るのに夢中なのか、こちらの声が耳に入っていないようだった。私はもう一度言おうとしてやめた。心の中で勇気がしぼんでいくのを感じた。
常に笑顔を絶やさず、教室の休憩時間に手作りのお菓子をみんなに振る舞う小夜子さんは陽気な人といった印象である。山の手の出身で、話し方や些細な仕草からは育ちの良さが見てとれた。両親に伸び伸び育てられたから呑気な人間になってしまったのよ、と小夜子さんはお菓子を頬張りながら笑う。旦那さんは有名な商社の部長で、都内の一等地に自宅を持っている。小夜子さんは絵に描いたような上流階級の人間だが、嫌味な感じは全くなく、品の良さと愛嬌が同居している。不思議な魅力を持つ人である。
そんなこの世にわだかまる悩みや辛さとは無縁のような小夜子さんが、私の作品の本質を真っ先に見抜いたという事実が意外でならなかった。
「モデルになった場所があるの?」
絵を見つめていた小夜子さんが、急にこちらに向き直った。
「いいえ。実は私、ヨーロッパに行ったことすらないんです」
青白い外壁の城を眺めながら私は言った。
「行ったことがない場所でも、こうやって表現できるのね」
「なぜでしょうね。もしかしたら、人間は誰しも城を持っているからかもしれません。心の中に」
振り返ると、生徒たちがいつの間にか集まって私たちの話に聞き入っていた。私は頬を赤らめ、咳払いをしてから休憩時間の終了を告げた。
繊細な子だと言われ続けてきた。食べられないものは多かったし、初対面の人には必ずと言っていいほど人見知りした。家族や友人の些細な一言に傷ついて、長い間引きずることも少なくなかった。私はそれらの言葉を虚弱な胃袋で時間をかけて消化しなければならず、ようやく消化しきった頃には言った当人がその事実を忘れてしまっていた。
大人になるにつれて少しは強くなったと思うが、それでも初対面の人と話すとストレスが溜まってしかたない。打ち解けるまでに時間がかかり、心を開くまでには更に時間を要した。私の人生において恋愛が長続きしない最大の理由はこの点にある。いつまで経っても私が本音を話さないから、男たちは信用されていないのだと勘違いして去って行く。繊細さゆえの社交性のなさで、私は何度も損をしてきた。
教室の生徒たちにも私は社交性のなさを申し分ないほど発揮した。そもそも言葉のキャッチボールが下手なうえに会話の引き出しも多くないので、頑張って雑談を始めてみても長続きしなかった。ホワイトボードに予め書き出しておいたポイントを語り、実際に目の前でやって見せ、あとは生徒たちに実践してもらう。私はそれを後ろで見守るだけ。もちろんアドバイスはするが、会話はなるべく最低限に留めた。
月曜と木曜の夜、十九時から二十時半までの教室である。教える側は静かに教え、教わる側も黙々と教わる。それでよいのだと自分に言い聞かせてきた。