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第28話:完璧



 結局その日は父とあまり会話もできないまま帰宅し、すぐにベッドに倒れこんだ。うたた寝のつもりが、目が覚めると夜中の一時だった。シャワーを浴びたかったが体力が残っていないため、歯磨きだけしてまたベッドに戻った。


 翌朝、会社に出勤すると、高橋君が事務職員のリーダーである岡部さんに詰め寄られていた。聞こえてくる話し声によれば、高橋君が交通費の領収書をなくしてしまったらしい。しかも遠方の営業で新幹線に乗ったときの領収書だから高額だという。


「領収書がないと、私たちが経理から怒られるんだからね」


 岡部さんの言葉に、高橋君は肩をすくめて頷くばかりだった。岡部さんは普段は落ち着いた人だが、忙しいときに余計な仕事が増えるととたんに怒りっぽくなる。おそらくいまは入社したばかりの新入社員たちにいろいろな事務手続きを教える時期だから、ほかのことに手が回らないのだろう。


「岡部さん。おはようございます」見るに見かねた私は岡部さんに話しかけた。「昨日はお休みをいただいて、ありがとうございました」

「あら、志織さん。昨日は大忙しだったのよ。新人の子たちは説明したことをなかなかおぼえてくれなくて、出された日報をぜんぶこっちで添削しないといけないし。高橋君は領収書をなくしちゃうし」


 と言って、岡部さんは高橋君を睨みつけた。


「高橋君の件はこちらでやっておきますよ」


 私は岡部さんを席に帰すと、高橋君を安心させるために微笑んだ。


「大変でしたね」


 すると高橋君は急に気が抜けたような顔になって、


「ごめんなさい」


 と言った。


「領収書がなくても、代わりになるものがいくつかある。支払いは現金?」

「いいえ、クレジットカードです」

「なら、クレジットカード明細の写しが領収書代わりになるよ」

「ありがとうございます。経理じゃないのに詳しいんですね」

「佐藤さんがよく領収書をなくすから」

「あの佐藤先輩が? 意外っすね」


 佐藤さんは常に営業成績で一位をとり続けている人で、後輩である高橋君の目には完璧な人間のように見えるのだろう。そんな佐藤さんでも領収書を紛失するのだと知って、高橋君は少し安心したようだった。


 私は自分の席に戻って休みのあいだに届いたメールのチェックを始めた。少し離れて座っている岡部さんのもとに高橋君が向かい、チョコレートを一個渡すのがパソコンの画面越しに見えた。岡部さんは険しい顔でチョコレートを受け取ったが、高橋君と話をしているうちにいつもの穏やかな笑顔に戻っていった。


 それから高橋君は私の席までやって来て、


「さっきはありがとうございました」


 と言ってチョコレートを手渡し、去って行った。


 てのひらにはチョコレートが二つのっていた。私はそのうちの一個の包みを開けて口に放りこんだ。今日は金曜日だ。masaさんと会う日が明後日に迫っていた。

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