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第27話:嫌悪



 文字をしたためることによって、頭のなかの空白を文字で埋め合わせようと試みる。手紙を書くことを思いついたのは健康診断を受けた直後だった。半覚醒の頭で病院から一歩出たときに感じた私と世界との距離。それを詰めるのに必要な文字数をはかる必要があると私は直感したのだ。すぐに文房具屋へと駆けこみ、便箋と封筒、鉛筆、消しゴムを買った。最初は母に宛てて書こうかとも考えたが、最近電話したばかりで特に知らせるべきことが思いつかなかったので理香に宛てて書くことにした。


 白紙の便箋に文字を刺繍するごとに、痛みに似た感覚が体の芯の部分に起こる。忘れかけていた。入ってきたものを溶かすための器官に、決して溶けないものが入りこむ異物感。「かたい」という字を書こうとして、「固い」なのか「硬い」なのか「堅い」なのかわからなくなり、急に手紙を書く意欲がしぼんでいく。私は鉛筆を置いて、ケーキを食べようと父に言った。父が嬉しそうに冷蔵庫から箱を取り出して持ってくる。


 苺がのったショートケーキを一口ほおばると、甘すぎて頭が痛くなった。舌で味わうぶんにはそこまで甘く感じないのにもっと奥で痛みを感じるのは、脳が疲れているからだろうか。私は一緒に出された紅茶を飲んで、口のなかに残った甘味を洗い流した。


「無理して来てもらって悪かったな」


 父は空になった私のカップに紅茶を注ぎながら謝った。そのぎこちない謝罪が健康診断のあとに実家を訪ねることに対してか、そもそも定期的に実家を訪ねるようにしていることに対してなのかわからなかった。前者であれ後者であれ、私自身が決めたことなのだから、父が謝る道理などないはずだ。それなのに、父は心の底から申し訳なさそうに「悪かった」と言う。父が「悪かった」と言ったとき、私は嫌悪感をおぼえた。それはまるで初めからそこにいたかのように、私の胸の特等席にわが物顔で座りこんでいる身元不明の嫌悪感だった。悪くないのに謝罪する父に対してか、あるいは悪くない父に謝罪させてしまった私自身に対してなのか。いずれにしても、私と父の両方を傷つけかねないものだと思った。


「いいよ。私が決めたことだから、お父さんが謝る必要はない」


 かつて寡黙であった父はとうぜん、謝ることも少なかった。そもそも謝罪をしなければならないほど父が私の生活に干渉することがなかった。だからこそ、私は父から謝られるということに慣れておらず、父もまた謝ることに慣れていないのかもしれない。私は家族が一つだったころのことを、最高ではないにしてもいい思い出だったと考えている。しかし、じつはできなかったことが数多くあって、私はレコーダーに録画した番組のCMをカットするように、よくなかった記憶を切り捨てていたのかもしれない。そう思ったとたん、記憶のなかに一つまた一つと空白地帯があらわれた。べつのなにかで埋め合わせるにはあまりに遠く、広すぎる空白だった。

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