第26話:曖昧
午前中に健康診断を受けたあと、午後半休を取って父に会いに行った。私が勤めている会社は三月末で年度が切り替わるのだが人事異動は十月に行われるので、四月から五月にかけて健康診断を受ける人が多い。胃カメラで鎮静剤を使ったので今日は運転ができない。久々に電車を乗り継いで実家へと向かった。
実家の庭に植わっている茱萸の木に実がなり始めていた。形はさくらんぼに似ているが、甘味だけではなくほどよい酸味があって美味である。子どものころ、母がよく実を取って食べさせてくれた。小鳥がやってきて実をつつき、驚いたように飛び去っていく。食べごろはもう少し先のようだった。
父はせっかく私が来るからと近くの洋菓子店でケーキを買ってくれていたが、鎮静剤の余韻がまだ残っている私はあまり食欲がわかず、あとで食べると言って断った。寂しそうな顔でケーキの箱を冷蔵庫に戻す父を見て罪悪感をおぼえた。
便箋を持ってきていた。私にはLINEではなく手紙でやり取りをする相手が二人いる。一人は母。もう一人は友人の理香である。理香は以前の職場の同期で、いまはわんぱくな二児を育てる母親である。LINEのアカウントも知ってはいるものの、どういうわけか手紙を送り合う関係が続いている。
理香への書き始めたのはいいが、鎮静剤のせいで頭がはたらかず、いつのまにか手を止めてぼうっとしてしまう。私はてっきり鎮静剤は胃カメラの痛みや気持ち悪さを軽減してくれるのだとばかり思っていたが、じっさいには検査時の不安を和らげるためのものらしい。検査中、私は涙目になりながら何度も嗚咽を漏らした。ただ、鎮静剤のために記憶が曖昧で、いまやつらい記憶の輪郭のみが現実と切り離されて遠くに見えていた。過去を切り捨てたような罪悪感がないでもなかったが、その空白を不安で埋めるほどの逼迫感はなかった。私はよくメモをとる人間だった。思いついたこと、忘れたくないこと、忘れられないこと。私のスマートフォンやスケッチブックは記憶とアイデアで溢れている。そんな私が空白を空白のままよしとしている。そのことへの新鮮な不可解さがあった。




