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第25話:きっかけ



 公園を出てふたたび駅まで歩き始めたが、しばらく進んだところで私は自分が神泉駅ではなく渋谷駅を目指していることに気がついた。慌てて来た道を引き返そうとしたが、岡村さんは山手線に乗って帰るということなので、そのまま渋谷駅へ向かうことになった。


「どうしてキルトづくりを始めようと思ったんですか?」


 岡村さんと打ち解けたような気がしたので、私は少し踏みこんだ質問をしてみた。創作活動と無縁の人生を送ってきた人なら、こういう質問をもっと気軽にできるのだろう。しかし、ときに創作の動機やきっかけは決して癒えない傷を庇う絆創膏であることを私は知っている。それを不用意に剥がそうとすれば、かえって傷を広げてしまうかもしれない。


「考えごとをするときに手を動かす癖があるんです。ペンを回したり、意味もなくノートのページをめくってみたり。どうせ手を動かすならなにか作ってみよう。そう思ったのがきっかけです」


 そう言って岡村さんはInstagramのアカウントを教えてくれた。アカウントを検索すると、先ほど話してくれたタペストリーの画像が最初に目に入る。桜があしらわれた生地を使った、春らしい作品だった。岡村さんはとにかく多作な人のようで、スクロールしきれないほどたくさんの作品が並んでいる。この作品の数だけ彼女がなにかを考え、あるいは悩んだのかと思うと、壮大な歴史書や伝記の類を読んでいる気分だった。


 会食の場で話せなかったぶんを取り戻すかのように、岡村さんは私の作品について多くの質問をし、私はその一つ一つになるべく丁寧に答えた。教室で生徒たちに説明しているときを思い出す。いつもなら話す内容を事前に準備しないとしどろもどろになってしまうのだが、どういうわけか言葉がすらすらと紡ぎ出された。アルコールがまだ残っているおかげか、あるいは岡村さんの人当たりがいいからかもしれない。


「志織さんの作品には仏教にちなんだものも多いですよね」

「仏教関連の本を読むことが多いから。でも、べつに詳しいわけではないの」

「以前インスタにアップしていた『天華菩薩』は私のいちばん好きな作品なんです。そうだ、志織さんはクシャナ仁美ってご存じですか?」


 クシャナ仁美。初めて聞く名前だった。岡村さんが言うには、最近話題のキルト作家らしく、素性のいっさいが不明。作品の画像だけをSNSにひたすら載せているのだという。教えてもらったInstagramのアカウントには、曼荼羅をモチーフにしているであろう極彩色のタペストリーの画像がいつくも投稿されていた。難解だが、見る者の心をとらえて離さない引力が感じされる作品ばかりだった。クシャナとはたしか刹那という意味だったな。私はふとそんなことを思った。


 岡村さんとはそのあと少し話をして、互いの連絡先を交換してから渋谷駅で別れた。帰宅してすぐに小夜子さんから、


『私がいないあいだに旦那が失礼なことを言ったみたいでごめんなさい』


 というメッセージが届いた。


『どうか気にしないでください』


 私はそう返信してから、まとまりかけたデザイン案を仕上げるためにスケッチブックを開いた。

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