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第21話:思い出



 小夜子さんの家がある松濤は渋谷区だがじつは渋谷駅ではなく神泉駅で降りたほうが近い。私はそれを知らずに渋谷駅まで出てしまったから、ひと駅ぶん余計に歩く羽目になった。教えられた住所を地図アプリに入力すると、渋谷駅から徒歩十五分、距離にして一キロメートル程度とのことだった。歩けない距離ではなかったものの、約束していた十四時までかなり余裕があるので時間を潰さなければならなかった。


 松濤の方角へ向かう途中のスターバックスに入る。日曜日とあって店内は混雑しており、二階の窓側のカウンターが一席だけ空いていたのでそこに滑りこんだ。ショートのスターバックスラテを飲みながら、通りを歩く人たちや交差点を行き来する車の流れを眺めた。道路を挟んで反対側には東急百貨店と、解体工事が進められているBunkamuraがあった。


 私はふと、むかし母とBunkamuraの美術館に行ったときのことを思いだした。東日本大震災が起こった年のゴールデンウィークだった。当時Bunkamuraではフェルメールの展覧会が開催されていて、『地理学者』という作品が東京に初上陸すると話題になっていた。


 私たちは『地理学者』を目当てに企画展に足を運んだ。ディバイダを手に、情熱のこもった目で窓の外を見る地理学者の姿を、母もまた同じ色の瞳でじっと見つめていた。それは私が知っている母の眼差しではなかった。一人の女性として、一人の人間として、そしてなにより一人の創作者としての眼差しだった。あのとき母は孤高への航路をすでに見出していたのかもしれないと、私はいまになって思う。


 母と小夜子さんはまったく対照的だ。母はどちらかといえば内向的で、たくさんの人と仲良くするよりは少数の相手との深い付きあいを好む人である。いっぽう小夜子さんは会う人すべてと友達になれるような性格の持ち主だった。私は間違いなく母に似ているから、小夜子さんのさっぱりとした明るさが羨ましい。私に友人と呼べる人間が極端に少ないのは、付きあう相手を吟味するのにも、吟味した相手に心を開くのにも時間を要するからだった。


 もしも小夜子さんのようになれたら、と考えることがある。あんな生きかたができたらもう少し違った人生を歩めたのではないか。するとInstagramのいいねの通知がスマートフォンに届く。それを見て私は、明るく社交的に生きるだけで本当に満足なのかと自らに問いかける。もしそんな人生を歩んでいたら、きっとキルトの世界に足を踏み入れることもなかっただろう。私は創作と無縁の人生を許容できるだろうか。


 ちょうどいい時間になったのでラテの残りを飲み干して店を出る。平日は気温が下がって冬に戻ったようだったが、今日は春めいた陽気で外を歩いているだけでも気持ちよかった。地図アプリの案内に従って歩いていると、都会的な街並みがしだいに閑静な住宅街へと表情を変える。


 岡村さん。それが私に会いたがっているらしい人の名前だった。いったいどんな人なのだろう。私の足取りはだんだん重くなった。


 池のある公園をとおりすぎた先に待ちあわせ場所のレストランはあった。小夜子さんの知人がやっているフレンチレストランで、自宅から近いこともありよく通っているのだという。


 パリッとしたシャツを着た店員が出迎えてくれたので小夜子さんの名字を伝えると、窓際の大きなテーブルに案内された。どうやら私がいちばん乗りのようだった。

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