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第2話:城


 キルトの世界に足を踏み入れて六年になる。六年前、付きあっていた彼と破局をしたばかりの私はとにかく孤独を紛らわせる手段を求めていた。別にキルトである必要はなく、映画鑑賞でもよかったし、詩や小説を書いたってよかったのだが、映画の中ではいつも誰かが恋愛をしていてうんざりするし、私は本を読むのは好きでも文学的なセンスは全くといっていいほどなかった。


 キルトを選んだのは、それが常に私の身近にあったからだ。もっというならば母の影響である。母は私が子どもの頃からキルトを作り続けていて、実家のリビングには大きなタペストリーが飾られていたし、テーブルクロスやクッション、ベッドカバーも全部母のお手製だった。それらに囲まれて育ったからか、独り暮らしを始めてからも私の傍らにはいつだってキルトのクッションやバッグがあった。それに母はキルトのコンテストで何度も受賞するなど業界では有名人で、師匠にはうってつけだと思ったのだ。


 私は母に基礎を教わりながらキルト制作に打ち込んだ。失恋による孤独とそれに付随する様々の問題から目を背けるために、ひたすら生地を縫い合わせた。私にとって糸を縫うことは、目的を見失った自分を人生に繋ぎ止める行為でもあった。


 そのうち新型コロナウイルスが蔓延して、私だけではなく世界中の人間が孤独になった。私は神様にお墨付きを貰った気分でますます制作に励んだ。星野源の『うちで踊ろう』をリビングで流しながらソファカバーを作っている間に、三十歳の誕生日を迎えた。Instagramのフォロワーが徐々に増え、キルト作家として評価され始めたのもその頃だった。今では母と同じようにいくつかのコンテストで入賞し、界隈で名が売れ始めている。副業可能な職場に転職し、キルト教室も開いた。現実から逃れるための手段が、いつの間にか生きる糧になっていく。不思議な感覚だった。


 私の運命を変えた作品がある。紫や黒のパッチワークで描かれた夜空を背景に煌々と輝く主塔(ベルクフリート)。『城』と名付けられたそのタペストリーで私は初めて賞をとった。その作品は今、私の教室の壁に他の代表作と一緒に飾ってある。自慢しているみたいであまりいい気はしないが、教室を開くことを母に相談したとき、そうしたほうがいいと勧められたのだ。生徒は先生の作品を見て、自分もこういうのを作ろうって励むものだよ。母に言われて、私は駆け出しの頃に母の作品を見ながら黙々と手を動かしていたことを思い出した。


「どこか寂しげな作品ね」


 初めて教室に来た日、壁に飾られた『城』を見て小夜子さんは言った。


「えっ」


 私は思わず聞き返した。手に持っていた紅茶のマグカップを落としそうになる。


「ごめんなさい。悪い意味じゃないのよ。ただ、美しさの中にもの悲しさがある気がして、それがかえって魅力的だなって思ったの」


 私は驚きを禁じ得なかった。この『城』という作品を見て、悲しいと言った人は小夜子さんが初めてだった。しかし、その悲しさこそ私がこの作品をとおして表現したかったものであった。『城』を見た人はみな、夜空ではなく幻想的に浮かび上がる城そのものの美しさを語ろうとする。私に賞を与えてくれた審査員たちでさえ、夜空に溶いた悲しみには目もくれず、城のディティールばかりに着目して感想を述べていた。


 作品の本質を見抜いてもらえないことを恨む気持ちはない。本質が伝わらなかったとすれば、伝えきれなかった私の力不足に他ならない。ただ、悲しみに気づいてもらえないことほど悲しいものはなかった。

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