第19話:町子
数日後、masaさんからメッセージがあった。『第七官界彷徨』をもし読んだのであれば感想を聞きたいという内容だった。ちょうど前日に読み終えていた私は、主人公の町子に強く共感したことと、彼女の周囲の男性たちはひと癖もふた癖もあって好きにはなれないが同時に憎めない部分があることなどを伝えた。
町子は分裂心理や蘚の研究をしている二人の兄、そして音楽学校への入学を目指す従兄と下宿で暮らしながら密かに詩人を目指している。下宿の男たちはみな変わり者で、なかでも従兄の三五郎は音楽学校に合格できないのを下宿の古いピアノのせいにしたり、町子がくびまきを買うための金で自分のネクタイを買ったりするような男だが不思議と愛嬌がある。町子と三五郎は恋愛に似た関係性を構築するが、なかなか恋愛には発展しない。町子は物語の節々で第七官とはなにかについて考察する。恋の足音がすぐ近くに聞こえる下宿のなかでも第七官の探求の手を休めない町子には創作者の素質がある。『第七官界彷徨』は町子の恋物語であるとともに、創作者としての苦悩の物語でもある。
私はキルトアーティストとして、町子の苦悩の部分にこそ惹かれた。masaさんはもしかすると町子の淡い恋心に共感してほしくて私にこの作品を薦めたのかもしれない。私はmasaさんにキルト作家であることは伏せていたし、そもそも私たちは恋愛をするためのアプリを使ってやりとりをしているのだ。
『カノンさんに紹介してもらった小説もとても面白かったです』
今度はmasaさんが私の薦めた本についてさっぱりとした感想を述べた。カノンとは私の登録名で、パッヘルベルの『カノン』であるとともに『観音』でもある。
私は『第七官界彷徨』を教えてもらったお返しに太宰治の『皮膚と心』を紹介した。『皮膚と心』は不器用な夫婦の物語である。互いにコンプレックスを抱えているがゆえにぎこちない夫婦生活を送る二人。妻は胸に吹き出ものができたことで精神的に不安定になってしまうが、夫と一緒に病院に行くと、すぐに治るものであったと判明する。不安が解消された妻は、そこで改めて夫の優しさに気づかされる。masaさんは先ほどの感想に付け加える形で、作品の特に気に入った点をいくつかあげた。
私は話を聞いているうちに顔が熱くなるのを感じた。じつをいうと、私にはまだmasaさんと付きあう未来が見えていない。そもそもマッチングアプリというものに対してあまりいいイメージを持っていなかったし、そこで出会った人と付きあうなど想像もできなかった。しかし私はいま、masaさんの求める答えを返せたかどうか気を揉み、masaさんが『皮膚と心』を気に入ってくれたことに心の底から喜びを感じている。デザイン案を考えなければ、と急に思った。こんなことをしている場合ではない。キルトアーティストの『ori』としてやるべきことをやらなければならない。創れ。私のなかの町子が叫んでいる。
私が浮ついた心を創作意欲によっておさえこもうと必死になっていたとき、
『もしよかったら、いちどお会いしませんか?』
というmasaさんからのメッセージが届いた。




