第17話:時間
三月はどこも年度末であわただしいもので、私の勤め先も例に漏れず繁忙期の真っ最中だった。忙しさゆえの熱気と、連日の残業からくる疲労感がオフィス内でせめぎあっていた。同僚はみな疲れたといいながらも目をぎらぎらと輝かせている。おそらく私も同じような目をしていることだろう。営業社員から提出される日報と交通費の領収書を照合しながら、私はデスクワークで凝り固まった肩を揉んでほぐした。
家に帰ってからスケッチブックを開こうかとも思ったが、翌日のレッスンの準備がまだなのでパソコンに向かった。緊張しやすく臨機応変な対応が苦手な私は人前に立つと言葉が思い浮かばなくなる。たとえそれが見知った人たちであったとしてもだ。ホワイトボードに書く内容や説明する内容、おそらく来るであろう質問への回答をあらかじめ用意しておくと安心してレッスンに臨める。
小学生のとき、先生というのは授業以外はずっと暇にしていて、夏休みは宿題もなく遊びほうけているとばかり思っていた。自分が先生と呼ばれる立場になったいま、授業をしているときよりもむしろしていないときのほうが忙しいのだと思い知らされた。
雨が降り始めたらしい。カーテンを閉めきっていても雨粒が窓を叩く音が聞こえてくる。下高井戸駅から徒歩三分、京王線の線路に面したマンションの三階に私は住んでいた。電車の音は少し大きいが、スーパーやシネコンではない小さな映画館が近くにあって、職場の新宿へのアクセスもいいので気に入っている。
レッスンの準備が終わり、スケッチブックを手に取ったときにはもう日付が変わっていた。疲労が溜まって重たくなった瞼を持ち上げてデザイン案を描こうとするも、気がつくと船を漕いでいて、まっすぐ引いたはずの線があらぬ方向へ急ハンドルを切っていた。
もっと時間がほしかった。もっと時間があれば、いま以上に制作に打ちこめるのに。もっと時間があれば、スランプだってきっと抜け出せるのに。もっと時間があれば……。ないものねだりとわかっていても願わずにはいられない。時間の不足は創作活動を行う社会人にとっての宿命だ。仕事を辞めればもっと創作に時間を費やせるが、仕事をしなければ食べていくこともできない。残業申請と貯金残高に日常を食い潰されながら、みなどうやって創作の時間を確保しているのだろう。私はカレンダーのアプリを開いた。展覧会に出展する作品の締め切りまでは四ヶ月以上あるが、制作にもある程度の期間が必要になる。残された時間は決して多くなかった。




