第14話:インプット
デザイン案が決まらないまま数日が過ぎた。提出期限にはまだ余裕があるが、『まだある』という言葉がいつのまにか『もうない』という言葉に変わるおそろしさを私は幾度も経験してきた。早くなんとかしなければ。しかし、どうやって? 考えているあいだに時間だけが過ぎていった。
『スランプから抜け出す方法』
そんな言葉をインターネットで検索してみると、どのサイトも書かれている内容はほぼ同じだった。小さな目標を立てて実行する。日々の努力を信じて気持ちを前向きにする。誰かに相談してみる。私は検索するのをやめた。誰もが同じ方法でスランプから抜け出せるなら、この世に傑作と呼べるものは存在しなくなるだろう。
アウトプットではなくインプットが必要なときなのかもしれない。私は本棚から美術関連の書籍やカタログを手当たりしだいに引っ張り出した。
この二、三年くらいだろうか、休日に美術館へ足を運ぶことが増えた。年を重ねるごとに気軽に誘える友人が減っていくので、一人で時間を潰す方法を見つけなければならない。私にとってそれが読書と美術館巡りだった。美術に興味があったわけでも、造詣が深いわけでもなかったが、キルト制作を始めてから絵画や彫刻といった美術作品を鑑賞する機会が自然に増えていった。
じっさい、カタログを眺めているだけでも頭の奥の凝り固まった部分が揺さぶられ、わずかなひび割れからアイデアが浸み出してくる感覚があった。まだほんの少しの湧き水だが、いろいろな作品に触れて感動の楔を打ちこめばいずれ割れ目が広がって奔流になるかもしれない。私は分厚いカタログを出先にまで持ち歩き、空いた時間に目をとおすようにした。
「ずいぶん重そうな本ね」
教室終わりにカタログのページをめくっていると、小夜子さんが背後から話しかけてきた。黒いゆったりとしたワンピース姿の彼女からは、有名なブランドの香水の匂いがした。
「名古屋に行ってきたときに買ったんです」
展覧会のために名古屋を訪れたとき、愛知県美術館で開催されていたパウル・クレー展に行ってきたのだった。もともと行く予定はなく、そのような展覧会が開かれていることすら知らなかったのだが、名古屋駅で広告をひと目見た瞬間に私は心を奪われてしまった。クレーの代表作である『赤、黄、青、白、黒の長方形によるハーモニー』は色も大きさも異なる長方形の数々をパッチワークのように描いた絵画である。その色鮮やかさがまず目を引くのだが、私は美しさのなかにどこか寂しげな印象を感じた。陰鬱とまではいわない。賑やかな教室の隅で一人、本のページをめくる指先ほどのささやかなメランコリーだった。




