第3話 星乃先輩
出社3日目。
そろそろ“新人”という肩書きが「で、何ができんの?」に変わってくるタイミング。
朝礼で河村所長がまた
「今日は〜朝礼、略して“チョーレイ(超・礼儀)”なっ!」
なんて言ってたけど、もはや驚きすらしない。自分の中で“親父ギャグ翻訳フィルター”が育ってるのを感じる。
……やだ、怖い。これも社内教育の一環ってこと? 社会人、そんなに過酷なの??
さてこの日は、ついに営業デビューの日。
「じゃあ今日は星乃と一緒に、外回り行ってきて」
星乃先輩。それは、この営業所における最後の良心、最後の砦。
“絶対に親父ギャグなんて言わなさそうな、真面目で清潔感ある先輩”ランキング堂々1位(※私調べ)の男である。
「天王洲さん、準備いい?」
「はいっ! よろしくお願いします!」
「うん。じゃあ行こうか」
見た目は、もう完璧。“爽やか男子”そのもの。
スーツのシワひとつなく、靴もピカピカ、髪型もキマってる。もちろん親父ギャグの“お”の字も感じない。
営業先へ向かう道中も、淡々と説明してくれる。
「この近辺は新興のタワマンが多くて、富裕層が多いんだ。そういう人たちは、値段よりも品質を重視するから、提案する商品の軸も変えていく必要がある」
「わ、わかりやすいです!」
完璧なロジカル営業マン。話し方も的確で、まったく無駄がない。
河村所長の“心で感じろ系”の逆。Googleマップより正確。
「あと、このビルの○○株式会社は社長がちょっとクセあるから、アイスブレイクで雑談も大事。ネタは……まあ、昼飯トークとかでいいと思うよ」
ああ、これが……“まともな社会人”ってやつか……!
私、感動してた。やっと見つけた。ここにはいないと思ってた“ノーギャグ社会人”。
この人に営業マナーを叩き込んでもらおう。そう決めた矢先。
「はい、これ。これでお昼、食べてきて?」
そう言って、星乃先輩が私に1000円札を渡してきた。
「え? えっ? え、いいんですか?」
「うん。俺、お昼は別件があるからさ。後で合流する」
そのまま彼は、スタスタと歩き去っていった。
え、なにこの展開!? え、ナニゴト!?
やばい、なにか裏がある、絶対このままじゃ終わらない空気じゃん!!
私の中の警戒レベルが赤く点滅していた。で、気づいたら――
星乃先輩のあとを、こっそり尾行していた。
「やばいやばいやばい、これって社会人としてどうなの!? でもなんか引っかかるんだってば!」
道を曲がる星乃先輩。着いたのは、まさかの――家電量販店。
「えっ、え? 電気屋さん?? 営業って言ってなかった??」
私はコソッと店内に入った。
星乃先輩は、まっすぐテレビ売り場へ……と思いきや、その場で――立ち止まった。
え、まさか……え、これって――
「はっはっはっ!! 古典落語で“ととのいました〜”て!!それ、謎かけやないかいッ!!」
星乃先輩がテレビに向かって爆笑してた。
毎日やってるお昼のお笑い番組を見てる。
「うーんこれは勉強になるな……星乃を保湿してほしーの……なんてどうだろ……」
終わった……
私の希望、終わった……
最後の砦、炎上中……!!!
彼は、**“沈黙の親父”**だったのだ。
職場では一切ギャグを見せず、その分すべてを外で開放していた。
ある意味、二面性の極致。
しかもこのギャグセンス……社長や所長と違って、たまにキレがあるから余計に怖い!!
私はその場をすぐさま立ち去った。
「見なかったことにしよう……いや、見てない見てない、テレビ売り場なんて行ってない……」
その日の午後、星乃先輩は何食わぬ顔で合流し、
「昼、ゆっくりできた? じゃあ午後も頑張ろうか」
と爽やかに言った。
その笑顔は、“ギャグ堕ち”の気配など一切ない完璧なものだった。
でも、私は知っている――あなたの裏の顔を……!
その夜、日報の「本日の学び」欄に、こう書いた。
『ギャグは隠すほどに深い。親父力は、見えないところで蓄積される。』
まさか、親父ギャグに哲学的な学びを感じる日が来るとは――
社会人って、奥が深い。