第236話『俺、ダーリン』
──どのくらいの時間が経ったんだろう。
窓もない。光もない。
昼も夜も、感覚が剥がれ落ちていく。
ただ、じわじわと──時間だけが、俺を削っていく。
ギィ……
唐突に扉が軋む音。差し込む光。
そして──
「元気ぃ? ダーリン♡」
逆光の中、コハルがシルエットだけで立っていた。
その一歩で、空気の温度が変わる。
「……なぁ。そろそろ、外に出してくれよ」
「キャハハ♪ だーめ♡」
コハルは首を傾げ、鈴を転がすように笑う。
「まだ“コハルのお部屋”にいてもらわなきゃ。ね?」
「どうして……俺なんだよ」
声がかすれる。
「世の中には、俺よりずっとすげぇやつが、いっぱいいる」
コハルはゆっくりと近づいてくる。
ひとつ、またひとつ、足音を刻みながら。
笑ったまま、俺の顎に細い指を添える。
「ん〜……ダーリンが、特別だから♡」
「……俺のスキル、“才能奪取”のことか?」
「へぇ〜、“才能奪取”って言うんだ?」
目を輝かせて、コハルが囁く。
「ねぇ、それ……とっても残酷で、とっても素敵♡」
コハルが顔を寄せてくる。
吐息が頬を撫で、唇が──
「ちょっ、やめ──っ」
寸前で首を反らし、なんとかかわす。
「な、なにすんだお前!?」
「んふふ♡ 恥ずかしがるダーリンも……だぁいすき♡」
その瞬間だった。
コハルの笑みが、ふっと──消える。
目の奥に、黒い炎が燃えていた。
「ねぇ……ダーリンが、コハルのものにならないのってさ」
声が低く、濡れたように落ちる。
「──“あの子たち”のせい、でしょ?」
「……おい、まさか……お前──」
「エマちゃんと、デートの約束してたよねぇ?」
背筋が、凍った。
「まさか……エマの両親の、あの事故……」
「うん♡」
あっけらかんと、コハルは頷いた。
「すっご〜〜〜〜〜く、嫉妬しちゃったの♡」
「……お前、ふざけんな……」
「ふざけてないよ?」
その声は、冷たく、甘い。
「ダーリンには、コハルだけがいればいいの♡」
コハルの指が、胸元を這う。
「だから、ダーリンの世界から……“それ以外”を、ぜーんぶ壊せばいいでしょ?」
プツン。
どこかで、何かが切れた音がした。
俺の中で、怒りが──静かに、飽和する。
「……ッッ……ッざけんな……」
歯を食いしばる。
声が出ない。拳が震える。
「……あぁ♡」
コハルがうっとりと瞳を細める。
「怒ってるダーリンも……最高に愛おしい♡」
その笑みは、完全に──壊れていた。
甘く、狂って、真っ直ぐで。
この女は、本気で“俺”だけを欲している。
俺という人間を、“所有物”として。
──────
──都内・高層レジデンス。夜。
ツバキは静かにソファへ腰を下ろす。
カーテン越しの灯りが、グラスの縁を鈍く照らしていた。
「……なるほどね、コハル……」
手元のカップを回しながら、ぼそりと呟く。
顔は笑っていない。どころか──ほんの少し、引きつっていた。
「よりによって、“あれ”に好かれるなんて……潤、ほんと運がないわね」
氷がカランと鳴る。
苦笑しながら、ツバキはグラスを口元に運ぶ。
「……ま、元を正せば──私が、あの子の前で潤の話をしたせいか」
ウイスキーの苦味が喉を刺す。
だが、ツバキの瞳はむしろ冴えていた。
「……ほんっと、バカみたい」
テーブルに肘をつき、額に手を当てる。
そのまま、数秒間──目を閉じた。
「……けど、許せないのよね」
ぽつりと漏れたその声には、冷たい熱があった。
「“私のおもちゃ”を奪われたままなんて──癪だわ」
そう。問題はそこじゃない。
もっと厄介なのは──**“お父様”の動き**。
「……バレたら終わり。何もかも、台無しになる」
グラスをそっと置き、ツバキは立ち上がる。
一歩ずつ、まっすぐに──
壁際のサイドボードから、1台のスマートフォンを手に取る。
その指先は、まるで手術を行う外科医のように正確だった。
画面に触れる。通話アイコンをタップ。
ワンタッチで番号を呼び出し、相手が出る前に、口を開いた。
「……私よ。えぇ、やるわ」
声は、鋭く。
語尾には、決意よりも──命令があった。
「──“レグルス”を奪う」
窓の外に広がる夜景を背に、
ツバキはゆっくりと背筋を伸ばした。
その背には、確かな“牙”の気配があった。
本気のツバキが、動き出した。
【あとがき小話】
ずるずるずる……
作者がノアに襟を掴まれ、床を引きずられていく。
顔はイタズラ書きと虫刺されで腫れ上がっていた。
ノア「では……作者さん? 説明をしてもらえますか?」
エンリ「これだけ注意したのに……ほんと悪い子さんですね?」(※目が笑ってない)
ユズハ「へいへ〜い♡ ここまで手首ぐるんぐるんは、ちょ〜っと情けないですよぉ〜?」
リア「非常に不快です。よくもまぁ、ここまで……」
カエデ「まぁ……しばくだけで許したるわ」
ミリー「ドーーン! もう許さないんだからっ!」
作者「ご、ごめんなふぁい……いや、サボってたわけじゃないんだ……執筆はしてて……!」
潤「……それ、俺らの話か?」
作者「:(;゛゜’ω゜’):」
一同「タダで済むと思うなよ?」
───そしてその日、才能奪取チーム史上最悪の“あとがき裁判”が開廷した。




