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世界一可愛い一馬くん

完結です。

「一馬くん遅いな……」


 蒸し暑い夏のおかげで今日は体育で一馬くんが短パンを履いている激レアな日。

 授業中にもちろんその小さくて可愛い膝小僧を舐め回すように拝んだが満足出来ず。更衣室で待ち伏せして着替える一馬くんを見るついでに最後の最後まで目に焼き付けようと待っていた。

 待ち始めて十五分。一馬くんは体育委員で後片付けがあるのは知っているが、それにしても中々顔を出さない。

 今日はバスケの授業で片付ける物と言ってもボールとタイマーくらいだ。一馬くんの友達も手伝っていたからすぐに終わるはず。


 もしかしたら一馬くんに何かあったんじゃないか、と一度想像してしまえば妄想は止まらない。重い用具の下敷きになって抜け出せなくなっているんじゃないか、熱中症になって倒れてしまったんじゃないか、廊下で転んで怪我をしたんじゃないか。

 気付いた頃には俺は体育館倉庫に走り出していた。

 一馬くんに何もありませんようにと願いながら。あわよくば危険な目に遭う直前に出会(でくわ)して俺がヒーローのように助け、一馬くんに「夏稀、かっこいい……」と頬を赤らめて胸キュンされることを願いながら。


「俺が絶対助けるからね、一馬くん」


 今日も今日とて下心全開な夏稀は五十メートル走6.7秒の脚で廊下を駆け抜けた。


 

 ︎✿

 


 体育館倉庫の錆だらけの大きな両開き扉はピッタリと隙間なく閉まっていた。冷たい鉄が反り立つ壁のように俺の前に立ちはだかる。

 取手に手をかけて開こうとするが、おかしなことにピクリとも動かない。両手で引いても無意味だった。


「鍵、かかってる……?」


 バスケ部に所属する夏稀は普段誰よりも早く朝練に来て用具を準備するのだが、その際に体育館倉庫に鍵がかかってる、なんて場面に遭遇したことはなかった。

 誰も鍵なんてかけない開閉自由な体育館倉庫。この前油を差したから劣化が原因とは考え難い。


 不可解な現象に嫌な推測が過ぎる。俺が考えうる最も最悪なシチュエーション。高校生活をテーマとしたAVによく使用されるありきたりな状況。


 途端、倉庫の中から物音が聞こえ、同時に小さな二つの声が聞こえる。


「……一馬くん!」


 扉に耳を押し当てると元から地獄耳の俺は一馬くんの狼狽える声、息遣い、端的に発せられる喘ぎ声に似たような何かをぽつりぽつりと認識する。

 最悪なシチュエーションがまさに今再現されてしまっていた。俺の脳で声を元にシーンを構築する。

 『監禁』、『強姦』、『卑猥な一馬くん』。

 体育館倉庫で友人に襲われ無理やり脱がされる一馬くん。

 力の差で負けてしまいされるがままになってしまう一馬くん。

 

 大切な一馬くんを穢す存在が、その綺麗な手に、その整った顔に、その世界一大好きな脚に、太ももに触れることに。俺は『事件』という形以外で事を集結させられる自信がなかった。


「なん……!や…て!……助けて!」


 確かに聞こえる、いつも冷静で大声なんて滅多に出さない声を合図に、俺は鍵穴に向けて拳を振り上げた。

 鍵穴はあの()()の顔。ど真ん中に深く凹みを作って鼻を、前歯を折るように。二度三度と殴らずとも一度で人前に立つことが困難になるほどの傷跡を残せるように。

 殺意を込めた拳を、俺は躊躇なく振り下ろした、はずだった。


「この垢バラされたくなかったら大人しくしてろよ。大事な『友達』に知られたくないだろ?自分がこんなに変態だなんて」


 風圧だけが周囲に広がって、轟音無くして静寂が留まる。

 生まれながら持った『一馬くんの話題に関しては普段の倍働く頭』は現在も正常に機能していた。故に、『変態』という新たな一馬くん分子に本能が全身を硬直させたのだ。

 一馬くんが『変態』……?

 あの純粋無垢選手権代表みたいな喋り方と顔をしておいて?少し鋭い目つきは誰よりも優しくて慈愛に満ちたヤンキーのようなギャップ萌えを連想させると有名なあの一馬くんが?

 一馬くん山手線ゲーム俺オンリーを開催しても一生出ないであろうワード。一馬くんについては丸一日語り続けられる自信があるが、絶対でない。『変態』なんて。


 一馬くんを襲っているのが赤の他人なら、俺はこのまま鍵を破壊し犯人のあらゆる箇所を再起不能にしていただろう。

 しかし相手は、俺よりも一馬くんと過ごした時間が多い、俺が最も羨むポジション。『幼馴染』。

 俺の知らない一馬くんを知っていてもおかしくない、古くからの友。


 そんな幼馴染から発せられた『変態』に俺の身体は震えていた。

 一馬くんが変態なわけないだろこのクソが!と怒りに震える反面、え、一馬くんが変態……?最&高越してラブ&ピース…?と歓喜に震えてしまう。

 だが、やはり勝ったのは怒りだった。


 その前の『この垢』『バラされたくない』『変態』の言葉で状況を察せられないほどバカじゃない。

 好きな人が変態なのは十分よろしい、よろしすぎることなのだが俺は些か執着深く愛の重い男だった。


 その可愛い瞳が映すのは俺一人でいい。その脚も顔も存在も、照れ屋なところも優しいところも変態なところも。知っているのは俺以外いらない。

 歓喜に震えたのは一瞬。レイコンマ一秒が経過する度に冷静になって、俺は『その事実を知っている俺以外の存在』に嫉妬する。

 『垢』なら、幼馴染以外にも一馬くんの秘密の一面を知っている人物はまだまだいるのだろうか。数え切れないくらいの知らない誰かが、一馬くんを見て、興奮して、慰めたのだろうか。

 一馬くんが穢されている現状と同じくらい、許せなかった。


 一馬くんの脚を称賛する。一馬くんの存在を肯定して、自分の全てを捧げたいと願う。彼の一部を見て渇望する。彼の愛おしい一面を知って明日を生きる希望を見出す。

 俺となんら変わらない同類を、きっと俺には裁く価値はないけれど。

 俺は一馬くんに出会ってしまったから。その優しさに触れてしまって、深い沼に落ちてしまったから。

 手放すことも見せ物にさせることも、それが一馬くんにとっての幸せだったとしても、俺は決して許容しない。

 

 先とは違う殺意で俺は再度拳を振り上げる。彼の友人に対して。彼の一部を知る有象無象に対して。

 そして俺という存在がいながらも愚かなことをしている、バカで可愛い最愛に対して。


 今度は轟音が広く穏やかな体育館に響いた。


「は、何!?爆発……!?」

「は……夏稀……?」


 重たい扉を動かせば悲鳴のような音を上げて開く。

 その先に居たのは案の定、マットの上に押し倒されている一馬くんだった。

 ベルトに手をかける彼の幼馴染。目を丸くして片手を着いて起き上がる一馬くん。胸板を押したり、急所を蹴ったりしない無抵抗な優しい一馬くん。

 

 まさかとは思うけど、一馬くんは受け入れていた?


 俺が近付くと狼狽えて誤解だなんだのと言い訳を並べる彼。「一馬が俺を誘ったんだよ!」という言葉を最後に俺は今最高潮に達している苛立ちを込めて鼻を折った。

 真っ赤に腫れていく顔から手を離すと、ぬちゃりと不快な鼻血が付いてくる。それを拭うように、鳩尾に一発入れたあと布にグリグリと拳を押し付ける。


「い゛、あぁあ゛!!!やめ、おぇ゛……!おいやめろこのクソクズ!!!聞こえてんのかよ!」

「クソクズとかどの口が言ってんだよ」


 吠えるだけの駄犬、いや駄犬以下のダニの頬を殴る。今度は鼻血が付かないように注意しながら。

 舌を切ったのか口から血を流し、鼻血を流し。充血した目や真っ赤になった鼻は治安が悪い。抗争にボロ負けしたヤンキーのようだ。つい鼻で笑ってしまう。

 微かに拳に残る血をハンカチで拭う。俺はそういう『液体系』は生憎一馬くんの物しか受け付けていないのだ。


 そして当の一馬くんは怯えるというよりも、何やってんだコイツという目で俺を見ていた。

 驚愕に満ちたその目は相変わらず可愛いし写真に撮ってしまいたいけれど、今は彼に苛立ちをぶつけてしまう。こうなったのも彼のせいなんだから。


 円満な夫婦とは一体どのように成り立つのだろう。長続きするカップルにはどんな共通点があるのだろう。

 ずっとそばにいて支え合うこと?辛い時は慰めて傷を舐め合う日々を続けること?

 否、それは酸いも甘いも共に経験することだ。

 二人きりでイチャイチャと欲求をぶつけ合ったり甘い言葉を囁き満足させ合うだけでは浅い。

 時に喧嘩し、時に嫌う。本音を暴露し感情をぶつけ合い、本性を知ることが大切なのだ。

 互いの本心の対立を乗り越えてこそ深い絆が生まれ、俺と一馬くんの愛は簡単に切れないものとなる。

 もし切れたとしても、それは未練を伴うものであり依存は免れない。どこまでも寄り添う永遠の愛。


 だからこれは一つの必須事項。俺は厳しくならなければいけない。

 一馬くんの前にしゃがみ、一馬くんを見下ろす。俺の影に包まれた一馬くんは少し怯えていた。


「ねぇ一馬くん、一馬くんが『変態』ってどういうこと?」

「そ、れは……」

「山口が言ってた『垢』って何。俺知らないんだけど、見せてよ。山口に見せられて俺に見せられないことなんてないよね」


 いつもより意図的に、一際低くした声に一馬くんの肩は震える。恐らくあまり触れられたくないことなんだろう。トラウマとも言える何か、知られたくない事情が隠れている。

 それでも俺は問い(ただ)すことを止めない。


「いやだ……夏稀には、見せたくない……」

「なにそれ。俺だけ仲間外れ?一馬くんにとって俺ってそんなに信用ないの?まぁそっか、別に一馬くんは俺の事そこまで特別だと思ってるわけじゃないもんね。『ただの友達』に見せたくないか」

「違う!!いや、そう……だけど……俺は……特別に思ってる……」


 目を泳がせて少し恥ずかしそうに言う彼にニヤケそうになるも今は我慢。

 俺に質問攻めされると思ってなかったのか、押されている一馬くんは時々、ほんの一瞬泣きそうな顔を浮かべる。

 眉をぐっと寄せて困り、悲しむその様子は俺のキュートアグレッションを暴走させた。


「へぇそうなんだ。俺のこと特別に思ってくれてるんだ、なら見せてくれるよね。俺一馬くんがえっちな格好でその脚全世界にフリーで晒してても一馬くんがどれだけ変態さんでも大丈夫だよ」

「う……変態って言うな……!え、えっちなかっこなんてしてない!」


 珍しくムキになって顔を真っ赤にする一馬くんのなんと可愛いことか。良い詩が書けそうだ。

 自分のえっちな格好を想像したのか、一馬くんはゆでダコのような顔を腕で隠そうとするが俺はすかさず手首を掴む。

 そして前傾姿勢になり、一馬くんを俺の影で完全に覆った。


「えっちな一馬くん、俺に見せて?ほら早く」

「うわ、わぁぁあ!やめろ!近い!近いから!見せるから離れろ!!」


 息を切らして肩で呼吸する一馬くんの頭を、飼い犬を褒めるように撫でる。それは彼にとってとっても屈辱的な嫌がらせのようだ。

 俺は唸る一馬くんを堪能し、苛立ちを完全に収めた。


「偉いね一馬くん」

「うるさい、もういいから離れて」

 

 言質を取られた一馬くんは俺に渋々スマホを渡した。

 いじけるように三角座りになって頬を膨らませる一馬くんに正座するように言う。


「説教でも始まるの…?」

「違うよ。ほら、俺頑張って一馬くんのヒーローになったからさ。ご褒美だよご褒美」

「お前……本当に欲に従順なやつだな」 


 一馬くんの薄い短パン越しの美しい太ももに頭を乗せ「はぁ〜〜極楽極楽〜」と感触を楽しみ、深呼吸して一馬くんの匂いを楽しむ。

 俺に意見を言える立場ではないからか一馬くんは口を噤んでいるが、下から見える彼の顔は相当険しかった。


「ふふっ、すごい顔。パスワードは?」

「000000」

「セキュリティガバすぎ。後で俺の誕生日に変えとくね」

「……」


 スマホを開き某SNSアプリを起動。

 そこには『カズ』という名前の、なんとフォロワー一万五千人以上いるアカウントがあったのだ。普段からあまりSNSに触れない俺は、数十人程度だと見積もっていたが絶句する。

 心に傷を深く抉られたが、めげずに投稿欄を遡った。


「なぁ、夏稀……やっぱり……うん……」


 投稿内容は短い言葉と脚の写真。主に太ももが大半を占めていた。

 膝小僧より少し上の丈まである、その絶妙な長さがエロい短パンを履いた部屋で撮ったであろう脚のみを映した写真。

 もう履いてないんじゃない?ってくらい短い、俺が一馬くんに捧げている女子バレー部のような短パンを履き、太ももを露出した写真。

 いやもう履いてないじゃん、とツッコんでしまうほどオーバーサイズのパーカーでギリギリ際どい部分を隠された女の子座りをした写真。


「なぁ夏稀ってば」

 

 どれも惚れ惚れしてしまうほど綺麗だ。何時間、いや丸一日見てしまうほど魅力的で官能的。

 こんなにえっちな写真を一馬くんが?自発的に?どんな表情で、どんな気持ちで、どんな環境で撮っているのか。想像しただけで鼻の奥がじわりと熱くなり口角が上がる。

 俺は一つ一つの写真を()()スマホであるに関わらず写真フォルダに保存し、細かく()()した後ある操作を施した。


「無視すんなよ夏稀、おい」


 流石、フォロワー一万人越えだけあってコメント数も引リツ数も多い。短い言葉の賞賛は勿論、長文の『ラブレター』とも言える熱烈な文章の書かれたものもある。

 俺の知らない一馬くんを知っている、俺と同じように一馬くんの脚に魅了されたハイエナ。


「なつき……ちょっと、いつまで見てんの…もう結構経ったよ」

 

 コメントを見る数が増すほど、はらわたが煮えくり返るような怒りと何も知らない自分への悔恨が湧き出す。

 一万人も知っているのに、こんなにえっちな一馬くんを俺は知らなかった。

 特別で誰よりも彼を視界に入れて恋をしていたはずなのに、俺は負けている。

 下唇を噛んで『今日もカズくんの脚はさいっこ〜!いつもありがとう♡オカズにさせていただきまーす♡』という腹立たしい絵文字をこれでもかと加えたコメントに憎悪の念を込める。


「お願いだから夏稀……なんで無言なの?夏稀……」


 だが俺だって負けてばかりではないはずだ。

 ハイエナたちは一馬くんがアホなことも料理が上手なことも美人で優しいことも知らない。ハイエナたちは一馬くんと勉強会をしたこともないし、多分実際に触ったこともない、はずだ。

 俺の方が一馬くんを知ってる!宣戦布告して俺は最後の一枚を葬った。


「うんでもなんでもいいから……なつき、なんか言えよ夏稀……」


 先ほどから敢えて無視していた声が、震えを増して弱々しく響く。俺の頭を撫でていた手の力は次第に強くなり、頭皮は若干悲鳴を上げていた。


「え……」

 

 その力は一層増し、俺の頬に冷たい雨が落ちてきた。一粒、二粒、連続して落ちる。

 流石にいじめすぎたかと跳ね起き、一馬くんの泣き顔を見て焦燥が増す。まさかあのクールな一馬くんが泣くとは思っていなかった。

 しゃくり声を上げながら、一馬くんは必死に真っ赤になった顔を腕で隠そうとしながら涙を拭う。

 

「ふっ……ぅ゛……うぅ……もう見んなよまじで……!嫌いになったならもういいだろ……!!」

「き、らい……?」

「夏稀、おれのこと嫌いになったんだろ……!もうやだ……こうなるってしってたから、うぅ……!だから見せたくなかったんだよバカアホ夏稀……!!」

「ご、ごめん一馬くん……つい怯えてる一馬くんが可愛くていじめちゃって……じゃなくて、あ、あぁ〜〜!!泣かないで泣かないで一馬くん!俺が一馬くんのこと嫌いになるなんてあるわけないじゃん!天変地異が起きてもありえない!」

「嘘だぁ!俺がそ、そんなえっちなの投稿してるの見て無視してドン引きしてたんだろ!?もうこんな泣いてんのもキモイし最悪……嫌いにならないわけない」

「ならないよ!!俺は今も昔もずっとベタ惚れ!一馬くん以外考えられないし出会った頃からずっとずっと好きだよ!」

「……すき…?」

「うん……俺ずっと、一馬くんは知らないだろうけど、ずっと前のあの日から。俺は一馬くんのことが好きだよ」


 目を擦ろうとする手を止めるように、一馬くんの頬を包み赤くなった目の下を撫でる。『好き』に驚くその顔に、言い聞かせるように口を開いた。


 

 ︎✿

 


 父は医者、母は人気女優。多忙を極めた二人は家にいることは少ないが、休日は必ず夏稀に時間を回してくれた。

 勉強は天才的頭脳の持ち主の父に。ヴァイオリンの習い事は優れた聴覚を持つ母に。二人の遺伝子を受け継いだ夏稀は教えを吸収し難なく物にする。

 そんな夏稀を顔も知らない大人たちは天才だと褒め称え媚びを売って夏稀に近付く。

 

 しかしどれだけ才能を持っていようと利用出来る価値があろうと、両親は自分の意思を押し付けず、夏稀の願いを何よりも優先してくれた。

 求める物はすぐに差し出し、嫌う物は即排除される。夏稀の一言で彼らは動き、死ねと言ったら死ぬんじゃないかというほど、息子を神のように崇め忠誠を誓っていた。

 優しいけれどどこが歪んだ両親。しかしそんな二人から生まれた夏稀はその異常を苦とせず当たり前のものとして受け入れていた。


 出る杭は打たれる、ということわざは夏稀の辞書には存在しない。出来ないことに遭遇しない才能に加えその場にいるだけで存在を感謝される容姿は全てを解決した。

 請わずとも嫌なくらい女子にモテる。嫉妬で夏稀をいじめる男子も一人としていない。教師も顧問も校長でさえも、夏稀を『利用出来る価値ある存在』として特別視し、重宝した。


 まさに順風満帆。望むものも望まないものも自然と手の内に入ってくる。

 そんな人生に不満を抱いている、といった漫画のお坊ちゃんのようなことを言うつもりは無い。もちろん自分を甘やかす両親を咎めるつもりもない。

 この環境に心から感謝しているからこそ、俺は無言でただひたすらに現状を受け入れていた。擦り寄る気持ち悪い女も大人も、黙って紳士に対応していた。

 

 そんな夏稀の人生は、無抵抗で、空を眺めるようにただ流れる光景を見つめているようだった。

 話し声、コロコロ変わる表情、感情を露わにした行動。無抵抗でいるうちに、自分はそこにいて当事者として会話に加わっているはずなのに、柔らかい椅子に座ってつまらない映画を見ているような感覚になることが増えていった。

 次第に好きな食べ物を食べるという『喜び』も、大好きだったバスケをする『楽しさ』も無くなっていって。気付いた頃には味も匂いも人の『温かさ』も分からなくなっていた。


 そして無抵抗な人生に突如現れた――『退屈』。


 親が一番喜びそうな高校への受験勉強をしていた中学三年生の夏休み。滞ることなく繰り返される何も感じない日々で、ぽっと頭に浮かんだ。

 数列の問題を解いていた手が止まって、頭に浮かんでいた公式は宙に舞う。目を通したはずの文章は触れたことのない外国語のようにまるで頭に入らない。

 現実を受け付けない脳を『退屈』という言葉が占領して、それから何に対しても身が入らなくなった。

 ヴァイオリンのレッスンも高度な講座も俺を取り囲んで行われる大人数での対話も。『無』から『怠惰』に変わっていく。


 その単語が浮かんでしまった日を境に夏稀は『怠惰』を避けるようになり、グレることはなかったが周りからは「なんか夏稀くんって変わったよね……」と言われるようになった。俺は今まで演じていた部分をやめただけで、元々の無言な性格も『完璧』をこなすことも辞めていないのに。

 まるで夏稀の全てを知っているかのようなセリフに嫌気がさした。

 だから富裕層が通う偏差値の高い高校を無理やり辞退し、夏稀はサイコロで適当に決めた偏差値の低い高校に通うことにした。


 今までと全く違うド田舎。大都会とはかけ離れた田んぼだらけの慣れない環境に一人暮らし。ほぼ全員が顔見知りと言った高校に、初対面の夏稀は飛び込んでいく。

 まるで『退屈』からかけ離れているように見えた。魅力的で、未知に溢れた色鮮やかな未来を夏稀は思い描いて胸を躍らせていた。

 だがしかし、そんな期待も簡単に打ち砕かれる。


 都会も田舎も、富裕層も一般層も大して変わらなかった。

 簡単すぎるレベルの授業に毎度百点なんて取れない方がおかしいテスト。無理難題を押し付けずペコペコとゴマをする担任。彼女気取りの香水くさい女子。

 あぁ、うんざりするほど変わらない。

 

 強いていいところを挙げるとするなら、田舎は高層ビルや無駄にデカい駅が無く、どこまでも広がる空を一望出来るくらいで。

 夕焼けも星空も都会と比べ物にならないくらい綺麗だ。視界一面に広がる景色は他より少しだけ魅力的に見える。

 必然的に趣味が散歩となった夏稀は夜空の下でぼんやり歩き、届きもしない星に手を伸ばす。

 俺が『退屈』と感じないものはこの遠い未知の宇宙にしか無いのではないか。だがその希望もどうせ結果は予想通りで、最後は『退屈』に満ちているのではないか。

 広大に広がる宇宙でさえ、彩りを失い始める。


 なぜ生きているのか。なんのために生きているのか。


 模索しても辿りつかない疑問を胸に色褪せた道路を歩く。

 そんな時、ほのかに焼きそばの香りが夏稀の鼻腔をくすぐった。長年機能を失っていた一つの感覚を軽く呼び起こされる。

 顔を上げた先にあったのは住宅街から少し外れてポツンと建った小さな店。隣に一軒家が建って、田んぼに囲まれた孤独な定食屋。


 夏稀は定食屋『柳屋』の前におびき寄せられるように、いつの間にか立っていた。

 木製の扉を横にスライドすると案外人に溢れていて、座れる席は三つほどしかない。扉の音に顔を向けた優しそうな顔をしたおばさんが夏稀の顔を見るなり歓声を上げる。


「あらぁイケメンさん…!いらっしゃぁい!好きなところ座ってねぇ」


 今にも腕を組んできそうなほど近いおばさんに口の端を引くつかせる。少し見えた希望もやっぱり無理かと悟った。しかし充満する匂いだけは変わらない。魅力的で、美味そうだと食欲がそそられる。どんな有名シェフが作った一流料理も美味しそうなんて思わなかったのに。


 焼きそばを注文すると五分もしないうちにもくもくと煙を出す定食が机に置かれる。あまりの早さにインスタントかと疑った。

 普段モノクロに見える景色のはずが、今は鮮やかな茶色や緑、人参色が混ざって輝きを放っている。喉を鳴らし、無意識に箸を伸ばしていた。


「…………うまい…!!」


 ふんわりと口内に広がる香ばしい味と出来立ての『温かさ』。噛むと甘みが溢れて、かと思えば少量かけられた唐辛子の辛味が混ざって絶妙にマッチする。冷たくて新鮮な嫌味一つないキャベツに味がしっかりと染み込んだ人参、もやし、柔らかいチキン。

 どこの米だと叫びたくなるほどふっくらとしたご飯に多すぎず少なすぎない、程よい量の薄味めのお味噌汁。

 幼い頃両親に感じた『温かさ』を感じた。じんわりと広がる熱に二人の笑顔が浮かんだ。電話をかけて「親不孝者でごめん、育ててくれてありがとう」と言いたくてたまらなくなる。実際に、突然かけて困らせる。

 親の声を聞いたせいか、焼きそばのせいか。鼻の奥が痛くて涙が溢れた。

 ずっと『退屈』で隠れていた感情、感覚がポツポツと姿を表す。焼きそばを咀嚼するたびにモノクロはフルカラーへと変化する。


 情けなく泣く姿を誰に見られようが、ヒソヒソと噂されようが『喜び』の前ではなんの弊害にもならない。ただ久方ぶりの幸せに涙を流す。焼きそばの美味しさに素直に感動する。

 俺は今、生まれて一番『生』を実感していた。


「あの……大丈夫ですか」


 鼻を啜る音に紛れたテノールの声が、差し出されたハンカチとともに現れる。受け取ったハンカチで拭った視界に映ったのは赤い瞳の彼。

 焼きそばよりも眩しい、運命の人だった。


「え、ぁ……」

「……本当に大丈夫?」


 軽く眉を顰めるエプロンを着た彼はまるで星のように光り輝く。白馬の王子様のように、少女漫画のヒーローのように。夏稀は瞳も言葉も奪われてしまう。

 星に手を伸ばした結果、星は目の前に落ちてきた。

 世界で一番眩しい星は夏稀を見つめ首を傾げていた。


「あ、ぅ……お、おかわり」

「え?」

「焼きそば定食、二つ目もらっていいですか……」


 初恋童貞は恋を知らない。かっこいいセリフも口説き方も何も知らない。

 だが泣きながら注文するという恥ずかしい姿に運命の人は吹き出した。


「な、なにそれ!あははっ!泣いてたのって焼きそば食べたかったからなの?ふふ、面白すぎでしょ」


 涙袋をさらに大きくして困ったように笑う彼は、また夏稀の瞳と、次は心臓をいとも簡単に奪う。

 可愛い。可愛いがすぎる。

 夏稀の心臓は容易くキューピッドに射抜かれてしまった。


「はははっ、おもしろ。泣いて呼び出さなくても普通に呼んでくれたらすぐ来るし作るから。次は泣かないでね」


 先ほどの笑顔とは違う穏やかな微笑みにまた夏稀は射抜かれる。

 ひらりと手を振って運命の人は行ってしまったけれど、それに気付かないほど頭は働かなくて。ある単語が、『退屈』とは真逆の単語が脳を支配する。


「しゅきぃ……」


 夏稀は両手を目の前で合わせ涙を流した。この日、彼の世界に運命が現れ絶対的な神が降臨したのである。

 

 帰宅したのは三つ目の定食を完食した後だった。


 その日以降、世界に『柳屋の青年』を中心とした彩りを取り戻した夏稀は定休日以外は『柳屋』に通うようになった。彼の作った定食を食べるため、そして何より彼に会うため。


 彼を毎日観察して拝んで、彼を知って。夏稀はさらに好きになる。

 柳一馬くん。運命的にも夏稀と同じ学校に通う別のクラスの同級生。

 困っている人がいたら誰よりも早く駆けつけて助け、困っていなくても人助けをする優しい子。

 料理が好きで上手で、毎日努力している真面目で一途な子。

 そして夏稀のドストライク、太ももが魅力的な子。観察を続けていると見つけた彼の特徴。布越しでもわかるその美しさに何人が倒れたことか。

 夏稀は自分は変態ではないと思っていたが、一馬くんに関してはどうも純情ボーイではいられなかった。


 一馬くんを知り、一馬くんのために生きる。

 夏稀はいつの間にか一馬くんを唯一とし、救えないほどベタ惚れしていたのだ。



 ︎✿



「……と言ったわけでして……」

「そういえばあの時ボロ泣きしてたな、夏稀……」

「お恥ずかしい……」

 

 思い出した記憶を慈しむように目を細める夏稀に、喉の奥がきゅっと締まる。彼の気持ちが純粋で一途で嘘偽りのないものだからこそ、罪悪感は一層膨れ上がって一馬を襲う。


「まぁ、その……要するに俺は一馬くんに救われたんだよね。今まで退屈で生きてる意味すらわからなかった人生を一馬くんは変えてくれた。そんな一馬くんを俺が嫌いになるなんてありえないよ」


 安心させるように微笑んで一馬の頬をゆるりと撫でる。その目の温かさが、熱烈な愛の純粋さが、渇望していたはずなのに今はただ痛い。

 彼を解放させてやらなければという使命感と、無駄なことは言わずに、愛されてるんだから受け入れて自分も愛せばいいんじゃないかという悪魔の囁きが拮抗する。

 なにも言わなければ夏稀は好きでいつづけてくれるだろうか。いや、考えるまでもなく夏稀は一馬を永遠に愛すだろう。

 しかしそれは騙すということ。偽物の『優しさ』、またの名を『正義』を植え付けられてきた一馬にとって許容し難い、『悪』に該当する行為。

 高校生になっても一馬はじいちゃんという存在には到底敵わなかった。今目の前にいないのに、見られていたらという妄想の恐怖が『正義』を強要する。


「……違う」

「え?」

「違う……俺はそんな出来た人間じゃない……夏稀を救ったのもハンカチ渡したのもじいちゃんに言われたからやってただけで、俺自身が優しいわけじゃない」


 自分の優しさは幼い頃からじいちゃんの命令で強制されていただけであって俺の意思など微塵も含まれていないこと、誰かを助けることは寧ろ面倒だと思っているし、本当はやりたくないと思っていること、でもじいちゃんが怖いから嫌々やっていること。

 弱々しい声でポツポツ語る一馬を、遮ることなく夏稀は黙って聞く。その沈黙が一馬の焦燥感をさらに募らせるとは知らずに。

 一馬は冷や汗をダラダラと流し顔を青ざめさせ、パニックで視界も歪んでまともに見えていなかった。速度を増す呼吸についていけなくて心臓が痛い。


「俺は、純粋でも綺麗でもない、夏稀が思ってるような人間じゃない……俺は夏稀を騙してるんだよ……!本当は、もっと、傲慢で人の気持ちも考えれない最低野郎で、口だって悪いし悪口だっていっぱい言ってる……!夏稀が好きな俺は幻覚で、俺は正真正銘のクズなんだよ!!」


 遮るように俯いた顔をひんやりとした両手が包んで上を向かせる。涙で澱んだ世界に夏稀の青い瞳だけが鮮明に映る。

 

 だがいつも優しいその瞳は今は酷く冷たくて、息を呑んで言葉が詰まった。


「一馬くんは全然分かってないね」

「……え?」

「一馬くんは俺が大好きな一馬くんを微塵も理解してない。それどころかそんなに卑下して罵って、黙って聞いてたけど流石の俺も怒るよ」


 声のトーンは普段一馬に向けられる甘ったるい物とはかけ離れていて、怒気の含まれるそれに萎縮する。なぜとは説明は出来ないけれど彼を未だ見たことがないくらい怒らせてしまった。

 その瞳に見つめられていると足腰が震えてしまう。まるで『躾けられている』という感覚に唇が戦慄く。


「ごめん、なさい……ごめんなさい夏稀……」

「うん……いいよ、許してあげる」


 だが夏稀はじいちゃんと違ってすぐに目を細めて頭を撫でてくれた。『よくできました』と両手で頬をこねくり回される。


「そんなに怯えないで一馬くん。俺もごめんね、いくら怒ってたとはいえここまで怖がらせるつもりなかった」

「ううん、俺もごめん」

「ふふ、ねぇ一馬くん」

「……なに?」

「一馬くんは優しいよ。俺の大好きな一馬くんは確かにちょっとえっちかもだけど、素直で綺麗なのは変わらない」

「……お前俺の話聞いてたのかよ」


 猫のようにジト目で睨む一馬に夏稀はおかしそうに笑う。顎を撫でて機嫌を取り愛おしい運命を真っ直ぐ見つめた。


「俺が一馬くんの話聞き逃すなんてあるわけないでしょ。聞いた上で言ってるんだよ。

 一馬くんは自分は優しくないって言ったけどさ、俺が初めて更衣室に連れて行って性癖暴露した時気持ち悪がったり否定もしなかったよね。それどこか触らせてくれたし誰にも話さないでくれた。これだけで十分一馬くんは優しい人じゃない?」

「いや、だからそれは優しくするよう言われてたからで……」

「言われてたもなにも関係ないよ。確かにおじいさんの命令が根本にあるのかもしれないけど、そうしようって考えて行動してるのは一馬くん自身でしょ?

 お年寄りに優しいのも嫌なこと進んで引き受けるのも、毎日真剣に『柳屋』で定食作ってるのも、全部一馬くんが最終的に『やろう』って思ってやってることじゃん。

 嫌だって思いながらもそうやって妥協して実際に行動に移せる人は多くない。面倒なら逃げてもいのに、見て見ぬふりせず受け入れる一馬くんは、本当に優しい人だと思うよ」

「そ、そんなの綺麗事だ……誰だって言われたらやるだろ」

「でも継続出来るとは限らない。一馬くんは根っこから優しいからずっと続けられたんじゃないの?」

「う……お前、俺に甘すぎる……採点基準ゆるゆるかよ、甘やかすなよ……」


 褒められることに慣れていない一馬は真っ赤に頬を染めて目を背けてしまった。だが耳まで赤いんだから全く隠せていない。


「ふふ、こんなに可愛い一馬くんが見れるならもっと甘やかしたくなっちゃうな」


 耳輪をなぞって耳たぶを摘むと小さく肩が跳ねる。顔を隠そうとする一馬の腕を掴み頭の上で一纏めにした夏稀はそのままマットに押し倒した。


「一馬くん、好きだよ。好きだから俺は一馬くんのことならなんでも知りたい。だから教えて、俺に見せて。素の一馬くんを。どうせまだ隠してることあるんでしょ?」

「あるけど……い、いやだ……恥ずかしいしやっぱり嫌われたくない……」

「まだそんな心配してるの?俺が一馬くんを嫌うって本気で思ってる?

 はぁ……あのさ一馬くん。俺はたとえ一馬くんがどんなに横暴で傍若無人で最低最悪のヤニカス野郎だったとしても一馬くんのことが好きだよ。

 だってそもそも性格が悪くてもまず太ももが好きだし」

「え?」

「あ。安心して一馬くん。俺はたとえ事故で脚が無くなっちゃったとしても顔が好きだから嫌わない。顔が潰れちゃったとしても鎖骨が好きだし、腕も首も髪もお腹も好きだから……一馬くんが小指一本になっても俺はずっと一馬くんのこと愛してるよ」

「お前……ほんと恥ずかしいことさらっというよな。てか重いわ、なんだよ小指って」


 不安の滲む顔はパッと晴れて困ったような笑みを浮かべる。その笑みを愛おしいと見つめる瞳に気付いた一馬は、ようやく自分が思い悩んでいたことは杞憂だったのだと認めた。

 夏稀は俺がどうなろうと嫌うことはない。どんなに変貌しようと一馬が一馬である限り、未来永劫に愛すだろう。


「その、俺さ……うぅん…………絶対引くなよ」

「うん。絶対引かない」

「……いっぱい嫉妬、してた。俺はただの友達のくせに、高尾くんとかお前の仲良い人たちに。

 前お前の膝の上にいろんな人乗ってただろ。その時、すごい嫉妬して……高尾くんって夏稀のなんなんだよって詮索したり本当は俺みたいに太もも触らせてるんじゃないかって疑ったり……そこは俺の場所なのにってめっちゃ、いらいらした……」

「……」

「……嫌いになった?」


 恐る恐る逸らしていた目を夏稀に向けると同時に、夏稀の頭が勢いよく落ちてくる。ゴンッ!と音を立てて一馬の首元に頭突きし、肺中の息を全部吐き出すようにため息を吐いた。


「いや、なにそれ。何、それ。マジで。はぁ〜〜〜!!かっっっわいすぎるんですけど!!!好き!愛してる!!銀河一!!!」

「は?」


 グリグリと額を首に押し付けて犬のように甘えられ、背中に手を回され抱き寄せられる。突然の密着に慌てふためくが自分以上に興奮している夏稀は力が強く、びくともしない。


「もう好き、マジでもっと好きになった。なに嫉妬って。可愛い超えて天使。嫉妬する一馬くんとか前代未聞すぎるしヤンデレ一馬くんSSRすぎて俺明日死ぬかも。本当に可愛い、可愛すぎるし反則でしょそれ。なに、俺をどうしたいの?可愛さで殺したい?そんな小悪魔な一馬くんも好きだよ愛してる」

「お、おう……引かないんだな」

「当たり前じゃん。てか俺も嫉妬なんて毎日してるし。一馬くんを視界に入れてニヤニヤしてる輩とか裏垢のフォロワーとか山口とかさ。みんな一馬くんに下心抱きすぎて嫉妬しまくり。全員ケツの穴から×××して×××にしてやりたいし頬を×××にして磔にして×××で×××にしてやりたい。山口に関してはするから」

「俺の知らない単語が多すぎるな……でも物騒なのはわかる。絶対やめろよ」

「ごめんだけどいくら一馬くんの頼みでも山口は許せないよ。裏垢は写真全保存してアカウント削除したからもう許すけどさ……本当に良かったよね。一馬くんが誰とも交流してなくて。もし一言でも話してたら俺どうなってたことか……」

「は!?消したの!?」

「え、うん。いらないでしょ。てかいるの?俺というものがありながら?」

「いやぁ……いらないけどさぁ……」


 ドス黒く愛の重い瞳に夏稀の自分の遥か上をいく『重さ』を感じて口の端がヒクつく。だがまた一馬の鎖骨に顔を埋め幸せそうに深呼吸する夏稀を見て可愛さを覚えてしまうんだから一馬も人のことは言えない。

 どれだけ重かろうと深かろうと、この大型犬を飼い慣らせるのは世界に一馬しか存在しないし、一馬の穴を埋めることは夏稀以外許されていないのだから。きっと二人は『運命』なんだろう。


「可愛い、可愛いね一馬くん。ねぇ好き……愛してるよ」

「え、なに……んっ」


 降り落ちてきた唇は優しく触れ、そっと離れた。


「あ、ぁ……あぁぁぁぁあ!?お、前!そういうことは!先に言ってからしろよ!!」

「えぇ?なにその反応、まさか初キス?」

「…………」

「え嘘。冗談のつもりだったんだけど……え?」

「うっさいな悪いかよこのヤリチン!お前とは違うんだよ!!」

「え、えぇ?裏垢やってて?こんなにえっちなのに?こんなに可愛いのに?キスもしたことないなんて……純粋無垢ちゃんすぎる……すきぃ……」

「煽ってるよな?もう……お前なんて嫌いだ、早く離れろアホ犬!」

「いやいやいやこんな中途半端にやめれないから!一馬くんが可愛すぎてもう俺止まれないよ!!」

「キモい言い方するな!」


 再びキスしようと顔を近づける夏稀の胸板を強く押して拒むが、一馬も決してしたくないわけではない。ただ心の準備と経験がないだけで。

 額にデコピンをして迫る夏稀を軽く諌める。


「続きは、その……今日定休日だから、家で待ってる……部活終わったら、早く来い。それまで……ま、『待て』」

「うわ、うわうわうわ、うわぁ〜〜〜!一馬くん〜〜〜……!もちろんワン!!」


 それから大型犬が本当に止まれたのか、はたまたマットの上で組み敷くような交尾が始まってしまったのか。それは二人しかしらない。

 ただ明日の一馬の首には、真っ赤な花がいくつも咲いていた。

見て下さった方々、ありがとうございました。次回作でまた会えたら嬉しいです

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