意味など知らずに唱えよう
「“踊れ亡霊”」
好きか嫌いかでいえば、断然前者に傾く。
他の魔法と圧倒的に違うのは、それが薄い幕であり、そして長時間持続し、また特殊な効果を持つという点である。
「“包み込んで廻り巡れ”」
僕にとっての結界は、魔力で作る振り子時計のようなものだ。
いくつもの歯車が正確に噛み合うことによって、時を示し続けるという効果を持続させる。
結界も同じで、幾つもの複雑な工程を経ることによって、下界からここを隔絶することができる。
「__“隔絶”」
数百の工程の上に成り立つ繊細さこそが、何よりも美しい。
僕の好きな魔法と『技能』を挙げろと言われたら、絶対に上位に食い込むであろう。
「__“呪すら喰らえ“ “それらを糧に永遠に蠢け”」
しかし結界というのは万能かといえば、当然そうではない。欠点もある。
これは繊細なのだ。決して時間勝負で組み上げるものではない。
だが現実を見よう。『空封』崩壊まで、あと、28秒。
空間断絶魔法の完成率、30%。理論上、魔法の完成まではちょうど28秒。
どちらが先か、本当にわからなくなってきた。冷や汗が噴き出るのに、それを拭く暇さえない。
あまりにも最悪な現状に魔力調整の最中にも関わらず地面を強く踏みつけてしまった。
しばらくして足元から割れるような音が響く。
「“歪めて落とせ” “捻じ曲げ捨てろ” “理想郷と地獄を隔てて”__」
今でさえ必要な手順を三段飛ばししている感覚。さらに急いで構築失敗した場合、確実に退却中の魔王軍が全滅する。
そしてもし構築中に相手の拘束が解けると、今度は僕の命が危うい。
「!」
『道化師』を封じてあるところから、強い魔力が漏れで始めた。相手の抵抗が激しいせいなのか、崩壊が早くなっている。
間に合わない。
だが詠唱を省略しようにもここまで複雑な結界魔法でそれはできない。
いっそ結界構築などやめるべきか、そんなことを考えたところで最悪の一手が脳裏に浮かんだ。
それは、魔法、『技能』を大幅に強化する一つの手段。
二重詠唱などとは比べ物にならない強化率を誇るそれは、僕が主さまに教えてもらったものだった。
それを使えばたとえ不完全な空間断絶魔法であろうと、通常の結界より遥かに強化できる。
だがそれは確実性のないものだった。
これはリスクの問題ではない。ただ、10万回試して一回強化されるかという程度にしか成功しない。
今まで試して成功したことはない。それは当然とも言える。
これは、上位魂所持者が使うもの。
魔力の無駄と『技能』に注がれる無駄を削ぎ落として、全てを今使っているもののみに集中させるという技なのだ。
彼らにとっては当然のテクニック。僕にとっては、不可能中の不可能。知覚していないエネルギーをどのように操るのかなど知る訳もない。
間に合えという祈り虚しく。バキっと不吉な音が聞こえてしまった。
先ほどから渦巻くように『道化師』を拘束していた魔法に、大きなヒビが入った。
歯を強く噛み締める。もう迷う時間すら与えられていない。
「『祈る』」
詠唱を中断。
強化の詠唱。
上位者のみの、古い言葉。
「______Bu iwole ec ke oc inralve」
この後に何が起こるのか、そして何が正解なのが僕は知らない。
この言葉自体、主さまに教えてもらっただけで「本当の意味」を知ってはいない。
ただ、賭けるだけ。
どことなく体が熱くなり、パズルのピースが自動で噛み合わさっていくような気がした。
自分の冒している危険に震えてかもしれない。
封が今破られれば、本当に僕という存在が消えかねない。
本能からの警告を無視しているからこそ体が悲鳴をあげ、熱くなっているだけかも知れない。
なんで僕はわざわざ魔王軍の撤退のためにここまでしているのだろうか。
正義感?
義務感?
不幸な魔王軍への同情?
それが僕の中にないとは言い切れない。どこかでそれらの気持ちはあるのかもしれない。
だが、根本的な理由は決してそこにない。
なぜこんなことをしているか?
決まっている。
僕は、必ず実行するからだ。
「______『亡霊の舞踊場』!」
いつもより圧倒的ななにかの力に動かされ、僕の好きな魔法が組み上がっていくのを感じた。




